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   夜 明 け の 同 窓 会 

★ プレストーリー 1998年8月12〜13日 ★


第三章 8月13日…未明

1.高校時代の思い出

…そして、日付が変わろうという時刻になった。大学生ならば、この時間まで起きているのもよくあることなので、みんなはけろっとした顔をしている(といっても、辺りは真っ暗なので、はっきりそうとわかるわけではないが)。
肝心の弘希はというと、
「ふわぁぁぁ…」
あくびを噛み殺しつつ、篤志と一緒にモニターに見入っていた。その隣で、智香子は一心不乱に夜空を眺めている。
「うふっ」
と、弘希を見るなり、智香子はくすっと笑った。
「だいぶ眠そうね」
「え? ああ…」
弘希は、ばつが悪そうに頭をかいた。
「普段はこんなことはないんですが、さすがに夜中にこうしていると、ね…」
「そうね。外にいるだけでも、けっこう体力を使うものね」
「まあ、仕方ないと思いますよ。昼間寝ていた僕たちと違って、冴草くんは一日かけてここまでやって来たんですから」
そう言う篤志も、人が悪そうに笑っている。居心地が悪いことおびただしい。
弘希は、この日三杯目になるコーヒーに手をつけた。眠気はともかく、暖かいコーヒーは随分と助けになる。
一息つくと、弘希は辺りを見まわした。暗くてよくわからないが、みんな夕刻よりは厚着をしているようだ。
そう言う弘希も、篤志から借りたジャケットを着込んでいる。
「けっこう寒いもんですね」
「ええ、まあね。ここは山の中腹だし、大学のある場所自体が、けっこう高いところにあるから」
そう言って、智香子は弘希を見やった。
「そう言えば、冴草くんの大学って…」
「ああ…」
弘希は微笑んだ。弘希の大学は、ここと違って、海辺に面した都会にある。当然、標高はゼロだ。
「まあ、それに高校も街中にありましたからね、夜もこれほど冷え込みませんでしたよ。いいことは二つもないです」
「そう、確かにそうね」
そううなずくと、智香子は再び夜空に目を向ける。
「今はまだ夏だからこの程度だけど、冬は本当に大変よ。スキーウェア程度じゃ、一晩もたないわ。準備に手を抜こうものなら、翌日はまず布団から抜け出せないわね」
「ははは、そりゃ大変だ」
弘希からからと笑う。それを聞きとがめた篤志は、
「冴草くん、それ、冗談ごとじゃないんだよ。しっかり防寒対策をしてないと、冬はほんとに大変なんだ」
「ああ、わかってる。もちろん俺にもわかってるさ。お前の彗星観測にああ何回も付き合ってれば、いやでも分からざるを得ないよ」
まったく、と篤志は苦笑した。ときおり、冗談とも本気ともつかない台詞で居合わせた友人たちを困惑させるのは、彼の特技といってよかった。こんなところは、高校時代と全然変わっていない。
そんな二人のやりとりにひとしきり笑った智香子は、ふと'彗星'という単語に興味を覚えた。
「ねえ、冴草くん。彗星って、一年半前にやって来たあの大彗星?」
「いや     」
と首を振った弘希は、ふと考え直す。
「たしかにそれもあります。でも…」
昨年の春にやってきた彗星も、むろん弘希は見ている。歴史上最大級というふれ込みのついた巨大な彗星で、長期にわたってその名に恥じない立派な姿を見せてくれたが、彼にとってそれは、あくまでも予定された範囲の出来事だった。
「…やっぱり一番印象が強かったのは、その一年前にやってきたあれですね」
「ああ、そっか…」
篤志も懐かしそうにうなずいた。
「そうだね。あのときが、高校に入って、初めての彗星観測だったから」
なるほど、と智香子もうなずいた。彗星というものが、どれほど突発的にやってくるものか、まざまざと教えてくれたのがその彗星だったのだ。
「あれは、ほんとに予期しない出来事だったものね…」
韋駄天彗星と呼ばれたその彗星がやってきたのは、一昨年の一月のことだった。当初、10等級のあまりぱっとしない彗星だったため、専門家以外は誰もこの彗星のことなど気に留めていなかった。
ところが、である。三日後に彗星の軌道要素が発表されるやいなや、状況が一変した。二ヶ月後に、この彗星が地球からわずか1500万キロメートルという至近距離(これは歴代十六位にあたる)を通過していくというのだ。そのときの光度は0等からマイナス一等級。予想どおりなら、ここ二十年来で、最大の彗星になるはずだった。
全世界の天文界は興奮に包まれた。当時、高校の科学部にいた篤志も例外ではなく、時ならぬ悪天候と寒さに悩まされながらも大急ぎで観測の準備を整えたのだ。そのあたりの事情は、大学に入りたてだった智香子も変わるところがない。
そして、多くの天文家が待ちに待った最接近のとき、大方の予想を裏切ることが起こった。事前の予想では数度を越えることがなかった彗星の尾が、予想を上回る六十度以上に達したのだ。こんな長い尾を持つ彗星は、今世紀の初めに現れて以来、実に八十年ぶりのことだった。これを目の当たりにした、篤志たち(もちろん智香子たちも)が感激したことは言うまでもない。
そして、その年のゴールデンウィークを過ぎたころ、夜空を見上げた多くの人々に忘れられない思い出を残しつつ、この彗星は人々の視界から消え去っていった。発見から四ヶ月あまり、まさに韋駄天彗星と呼ばれるにふさわしい彗星だった。
「…思えば、あれから立て続けなんだよね」
智香子はそうつぶやいた。彼女の言葉どおり、その翌年には史上最大級の彗星が期待に違わぬ姿を見せてくれた。こんな年は珍しく、この二年間は、まさに彗星の当たり年といてよかった。
「ええ。そうですね。あれから、毎年のように大忙しです」
篤志も同感、といったようにうなずく。彼にとっては、この数年は、まさに至福の時だった。これほど大事件の続いた年は他に例を見ない。
そして、それは今年も続くのだ。何しろ、今年は…。
そんなことにはとんと縁のない弘希だが、今この瞬間は、いかにも生粋の天文家といった顔でうなずいている。
「おかげで、俺は毎年のようにこいつのサポートをやらされてます。大変ですよ、まったく…」
「ふふっ」
智香子はくすくす笑う。
「それにしては、随分と気合を入れてやって来るんだね、冴草くんって」
「まあ、ね」
弘希は照れたように頭を掻いた。
「ひとくちに科学部といっても、ピンからキリまで、いろいろな奴がいましたからね。こいつみたいに専門の分野を持ってて、朝から晩までそれにどっぷりと浸かってる奴なんて、むしろ珍しい方だったんですよ。そういう奴と一緒に何かやってるのは、俺にとってもいい時間でしたから。それに、こいつのオーダーは、いつも俺の技術力を限界まで使ってくれますし」
「そうね。あなたの作ってくれたこれは、ほんとにいい手助けになるわ」
そう言うと、智香子は頼もしそうにCCDカメラを見やった。これのおかげで、流星観測がどれほど楽になったことか、智香子は今身を以って体験している。
「嬉しいですよ、そう言ってもらえると」
そう言って笑う弘希の顔は、まぎれもなく科学が人を幸せにできると信じる科学者のそれだった。
ふと、会話が途切れる。夜空から目をる離さない智香子にならって、弘希と篤志は再び視線を転じた。月が出ているため満天の星空というわけにはいかないが、それでも標高の高い山の夜空は十分に美しい。
弘希はつと東の空を見やった。秋の星座はすでに中天高く上がり、東の地平線には冬の星座がちらほらと顔を出し始めている。
いよいよ、今日のクライマックスが始まろうとしていた。




2.ペルセウス座流星群


そして、午前二時。輻射点のあるペルセウス座が中天高く昇ってきた。先刻から、他の天体を観測していたメンバーも、ちらほらと望遠鏡から目を離して夜空を見上げている。
智香子は、すでにカウンターを片手に、東天をじっと見つめていた。時折まばたきをする以外は、まったく微動だにしない。真摯に東の一点を見つめるその姿は、まさに流星を追う狩人のそれにふさわしかった。
「さすがに数が多いな…」
智香子同様に、夜空を見上げながら、弘希はつぶやいた。こんなふうに、肉眼だけで夜空を見上げ続けることなどあまりないだけに、一晩にこれほどたくさんの流星を見るのは初めてだった。
「まあ、今日は極大日だからね、いつもこんなに見えるわけじゃないよ」
弘希の隣で、篤志がくすっと笑った。彼はCCDカメラで観測しているため、さほど夜空を注視していない。それだけに、流れ星を純粋に楽しむ余裕があった。
「月が出てなければ、もっとたくさん見えるんだろうけど」
「この日は毎年こんなふうに?」
「そう、だね。この流星群は中学のときから見てるけど、月のあるなしを除けば、毎年ほぼ同じ数だけ見えるよ。流星観測の初心者には安心して薦められるんだ」
「なるほど」
弘希はうなずいた。もっとも、いくら数が多いといっても、ひっきりなしに、というわけではない。一時間に六十個ほどだから、ほぼ一分につきひとつの割合である。ひとつ見つけたら、CCDカメラで光度と経路を確認して、その繰り返しだ。もちろん智香子がそばにいるおかげで、流星を見逃すことはまずない。
弘希は再び空を見上げた。流星観測は初めてだが、こうして流れる流星の数を数えているのは、けっこう楽しい。
そこまで考えて、ふと弘希は気づいた。
いや、楽しいというよりも、むしろ…。
「何でかな…?」
弘希は誰に言うともなくつぶやいた。たしかに、今この瞬間、自分はとても充実した時を過ごしている。それはわかる。けれども…。
弘希はふと辺りを見まわした。ときおり遠くを走る車の音だけが響き渡る、静かな駐車場。月明かりだけが辺りを照らしているため、お互いの表情まではわからないが、それでもみんな、真剣に夜空を見上げているのがわかる。
ああ、そうか…。
弘希はひとり、こくっとうなずいた。ここに流れる時間と、そこにいる自分たちの形作る空間、それが特別なのだ。
この時間、多くの人はもう寝ている。あるいは、起きていたところで、天空で起こっていることなど気にはしない。それが普通の人達にとっては日常というものだ。
けれども、そんな誰も気にしないところでは、こんなに素敵な事が起こっている。それを教えてくれた仲間たちは、一人の例外を除いて、つい数時間前に知り合ったばかりだ。
そんな彼らと一緒に、自分は今、こうして夜空を眺めている。自分たちだけの時間、自分たちだけの場所。たしかに、今この瞬間は特別だった。ここにこうしているだけで、弘希にはそれがわかった。
月明かりの中を、時おり流星が流れていく。中天から優しい光を投げかけてくる月のおかげだろう、何もしないでぼうっとしているわけでもないのに、自然に心が安らいでいく。そして、頭上には、空いっぱいに輝く夏特有の湿気を帯びだ明るい星たち。こんな感覚を覚えたのは、実に久しぶりのことだった。
ふと、弘希は惜しい、と思った。あんなに長い夜だと思っていたのに、もう残り時間はあとわずかだ。それが終われば、再び元の日常が始まる。不粋な感慨だとはわかっているが、今、とても素敵時間を過ごしているだけに、そう思わざるを得ないのだ。
もうすぐ夜が明ける。




3.夜明け

…そして夜明け。
「終わったね」
「ああ、終わった…」
弘希は、篤志と並んで明けていく東の空を眺めていた。その周りではサークルの仲間たちが、器材を片付けながら同じように空を見ている。智香子はといえば、すでに記録を終えたCCDカメラのデータをチェックしていた。
「やっぱり、この時間って何度体験してもいいよなあ…」
「夜明けをこうして迎えるのが?」
「うん」
篤志は朝焼けを見ながら、こくっとうなずいた。
「僕たちが一晩じゅう起きて星を見てるときは、必ず何か目的があるときだからね。それが終わって、こうして朝焼け見ると、何か特別な感慨があるんだ」
「やりたかったことをやり遂げた後の満足感、かな?」
篤志はちらっと弘希を見やると、再び視線を戻した。何も言わなかったが、弘希は、彼が自分を見たとき、かすかに微笑したのを見逃さなかった。道は違っても、ひとつのことを追い求める者同士だ。余計な言葉はいらない。
「そっか…」
弘希はうなずいた。篤志と同じように、視線を朝焼けに戻す。月明かりにぼうっとしていた夜空は既に青味がかり、暗い星々は姿を消している。東の空は鮮やかな赤に染まり、日の出が近いことを告げていた。
と、弘希は朝焼けの中に、ひときわ明るく輝く星を見つけた。まだ地平線が出たばかりだ。
「あれは?」
弘希は東天を指差す。
「ああ。あれは金星だよ。今は太陽の西側に回っているから、明け方に見えるんだ」
「なるほど。あれが明けの明星ってわけか…」
初めて目にする明け方の金星を、弘希は眩しそうに見つめた。こんな機会でもなければ、この時間にあの星を見ることもない。
「見てみるかい?」
と、篤志はあさっての方を指し示した。そこでは、惑星観測用の長焦点屈折望遠鏡が、東の空を向いていた。
「今は丸く見えるだけだけどね」
だが、弘希は笑って首を振った。このまま太陽が昇ってくるのを待ってみるのもいいかもしれない、そう思ったのだ。
「はい、冴草くん」
データのチェックを終えたらしい智香子が、コーヒーの入ったマグカップを差し出す。弘希はありがたく受け取った。
「ふうっ…」
一口コーヒーを飲むと、弘希は息をついた。こうして朝焼けを眺めながら飲むコーヒーは、また格別だ。
「楽しかった?」
隣でコーヒーを飲みつつ、智香子が尋ねる。
「ええ、とっても。こういう一晩を過ごすのも、たまにはいいものですね」
「でしょ」
嬉しそうに笑う智香子は、篤志と視線を交わす。
「また誘うからね、冴草くん」
「ああ。頼むぜ、篤志。こんな誘いなら大歓迎だ」
「うん」
そううなずいて、篤志は微笑した。それが遠い未来のことではないことを、弘希はまだ知らない。
それぞれの感慨を込めて東の空を見やる三人を朝焼けが朱色に染めていく。こうして、ペルセウス座流星群の夜は終わった。
もうすぐ8月13日の朝が始まる。

 


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