夜 明 け の 同 窓 会 

★ 本編 1998年11月17〜18日 ★


 第一章 9月…同窓会発起


1.二台目のCCD全天カメラ


そして、九月がやってきた。長い夏休みが終わり、弘希の大学も後期の日程に入っていた。
弘希が再び篤志から連絡を受けたのは、九月ももうじき終わろうというときだった。
「なに!! あれと同じものをもうひとつ作ってくれ、って?」
電話口で、弘希は首を傾げた。篤志の言う'あれ'とは、夏休みに弘希が作った、流星観測用のCCD全天カメラのことである。
「うん。今度のものは、あれよりも高性能なものじゃなくてもいいんだ。というか、あれとそっくり同じもの、というのが絶対条件なんだ」
「一体なんでまた…。あのカメラは、五年や十年はメンテナンスなしで動くように作ってあるはずだし、あんなかさばるものはひとつあれば十分だろう。それとも、お前の部屋はそんなにだだっ広いってわけか?」
弘希はそう言ってくすくす笑う。
「僕が使うだけなら、確かにそうなんだけどさ…」
と、受話器の向こうから、篤志の苦笑混じりの声が聞こえた。
「実は、栗崎先輩があのカメラをえらく気に入っちゃって、自分用のものがひとつ欲しいんだって。それと、あのカメラが複数あれば、流星の多重観測ができるから」
「多重観測?」
と、弘希は聞き返す。流星の多重観測というのは、複数の離れた場所から空の同じ場所を撮影して、流星の軌跡を立体的に捉える観測のことである。三角測量とまったく同じ原理で、観測者が多ければ多いほど観測の精度が上がる。全天観測が可能なうえにJJYとGPSで時間と現在位置を計っている弘希のCCDカメラは、まさにうってつけなのだ。
「で、栗崎先輩が、ぜひともそれをやりたいと?」
「そう。解析用のソフトは以前からこちらに揃っているから、後は器材の問題なんだ。冴草くんの全天カメラなら、流れた流星をみんな捉えられるから、次の機会にぜひともやりたいって言って」
それに、来年は四年生だから、先輩も満足にサークル活動ができそうにないし、と篤志は、やや寂しそうにそう言った。
四年生だから。その意味は弘希にもよくわかった。大学の四年生というのは、時間の大半を就職活動に奪われてしまう時だ。サークル活動はもとより、大学の授業にさえ、ほとんど出ることはない。
あれほど入れ込んでいた先輩だものな、と弘希は思った。たった一度会っただけだが、あの先輩の天文にかける情熱は弘希にもよくわかる。
「大変だろうけど、何とか頼むよ。今度はただで作ってくれとは言わないからさ。それなりのお礼はするから」
「なるほど。それなりに、ね…」
弘希は、からかうような抑揚をつけてうなずいた。声の調子から、篤志がほんとうに栗崎智香子を尊敬していることがうかがえる。
「わかったよ。同じものをもうひとつ、だな」
「よかった、ありがとう、冴草くん」
弘希はうなずくと、壁にかけられたカレンダーを見やった。畳一畳分もある月めくり式の特注カレンダーで、講義の予定などのスケジュールがびっしり埋まっている。
「ただ、こっちも今は授業が始まってるから、この前みたいに二週間で、ってわけにはいかないが…」
「来月中にできればそれでいいよ。こっちも無理を承知で頼んでいるわけだしね。できたカメラは、送ってくれれば後は僕の方で何とかできるから」
「了解。じゃ、すぐに製作にとりかかるよ。できたら、送る前にメールを入れるから」
「うん。毎度毎度、ほんとに悪いね」
篤志は、何度もありがとうと言って、電話を切った。そんなに感謝されては、いやでも急がずにいられないな、と弘希は思う。
そして、弘希は重大なことを聞き逃していた。流星群は一年を通じていくらでもあるのに、なぜ篤志がこの時期を選んだか、ということである。弘希は知らなかったが、このとき、まさにとんでもないものが、ひたひたと迫りつつあったのだ。




2.弘希のアパートにて


ところで、弘希はあのカメラをすべて一人で作ったわけではない。どちらかといえばコンピュータのプログラミングが不得意な弘希は、カメラに搭載するソフトの一部を、科学部の仲間に手伝ってもらっていた。
その仲間というのが、高校時代から付き合いのある相沢 満(あいざわ みつる)である。高校時代は弘希と同じ科学部に所属しており、弘希と同じ大学に入ったただひとりの科学部員だ。
アパートの弘希の部屋で、満はその話を聞いた。部屋がその隣ということもあって、彼はよく弘希の部屋に遊びに来ている。
「…へえ、やっぱりがんばっているんだな、久川も」
話を聞いた満は、懐かしそうにうなずいたものだった。高校時代に、天文の専門家として活躍していた篤志のことは、彼もよく覚えている。特に、一年、二年の春休みと立て続けにやってきた大彗星の観測では、弘希たちと組んで大活躍したものだった。
「天文に関しては、科学部であいつの右に出る奴はいなかったからな。大学に入ってからいろいろできるようになったから、奴にとっては張り切り甲斐があるだろうさ。サークルに入って、かなり活発にやってるみたいだぜ」
「昔はけっこうおとなしい奴だったんだけどな」
満はそう言って笑った。天文を趣味にしていたこともあってか、高一のときから篤志は、どちらかといえば目立たない存在だった。一年のときに今世紀最大級の彗星がやってこなければ、三年間をその他大勢で過ごしていたかもしれない。もっとも、その他大勢という点は、満も同じだったが。
「で、結局もうひとつ作るわけかい?」
「ああ。あいつにあんな調子で頼まれちゃ、作らざるを得ないさ」
「設計図を送って奴に作らせりゃいいのに」
弘希は笑った。
「ははは、そいつは無理だよ。望遠鏡ならともかく、こんなぶ厚い設計図を見せられた日にゃ、奴だって目を回しちまう」
「まあ、な」
満は肩をすくめてうなずいた。弘希の言うとおり、このCCDカメラの設計図は、国語事典と見間違うほどの厚さがあった。無理もない。このCCDカメラの設計図面から中に収められたソフトの原始仕様まで、みんなここに書かれているのだ。これを作れるのは、この大学広しといえども、弘希以外にはいなかった。
「で、いつまでだって?」
満は体を起こしてたずねた。
「ああ、十月の末まででいいってさ。お互い大学生だからな。講義やら何やらで、そんなに時間も取れないだろうってことらしい」
「なるほど。けっこう余裕があるわけだ」
この前は三週間でできたこのCCDカメラだが、それはあくまでもフルに使える時間があってのことだ。後期が始まった今は、そんなに回せる時間があるわけではない。それでも、二ヶ月ちかくあれば、かなりの余裕を持って作り上げることができるだろう。
「で、手伝ってくれるのかい?」
「もちろん!!」
満は当然と言わんばかりにうなずいた。高校時代は確かにその他大勢だったかもしれないが、それでも彼が科学部員だったことは、確かな事実なのだ。


 

3.しし座流星群への誘い


そして、十月も終わりに差し掛かったとき、二台目のCCDカメラが完成した。外見も性能も、最初のCCDカメラとまったく同じものである。
夜間のテストがすべて終わった後で、弘希は篤志宛てに電子メールを出した。返事は翌日の夕方にやってきた。郵送してくれれば、自分で組み立てて使ってみたいという。篤志の住む街まで、週末をかければ行けないことはなかったが、今は別に特別な観測があるわけではない。彼の言うとおり、弘希はカメラ一式を郵送で篤志のもとへ送った。
それから三週間ばかりたったある日のことである。その篤志から、電話がかかってきた。
「なに、今度の火曜日にこっちへ来てくれって!?」
話を聞いた弘希は驚いた。週末ならともかく、授業のある平日にとは、一体どういうことだろう?
「うん。君に、ぜひとも見せたいものがあるんだ。休みがとれないのはわかってるけど、何とかならないかな?」
「う〜ん、そう言われてもなあ…」
弘希は困った顔で考え込んだ。確かに弘希の通う大学は三流だが、それでも彼は講義には真面目に出ている。生徒の八割にとってはただの子守唄だが、わかる人間にはその内容がとてつもなくハイレベルであることに気づいたからだ。できることなら欠席したくない。
「来週の土日ってわけにはいかないのか? 来週なら、週末に予定入ってないし、そっちに行くとなると、往復するのにどうしても二日は必要だし」
「そういうわけにもいかないんだ。君も知ってるだろうけど、今度の火曜日が一番のチャンスなんだ。週末じゃ意味がないよ」
「チャンスって、一体…」
そう言いかけて、弘希はふと黙り込んだ。生粋の理系人間である彼らしく、科学雑誌は和洋を問わずきちんと購読している。主として工学系の雑誌なため、ほんの数行しか記述がなかったのだが、その中に、この十一月にあるイベントについての記事があったのを思い出したのだ。
「…もしかして、しし座流星群、か?」
「そうだよ。三十三年に一度だけやってくる、大流星群だよ!!」
篤志は興奮した口調で言った。実を言えば、しし座流星群は毎年十一月になると見ることができる。この前弘希が見たペルセウス座流星群と同じく、その時期に地球が流星群の軌道を横切るからだ。明るい流星が多いのが特徴だが、その出現数は通常、多くても一時間に二十個程度だ。
だが、今年は違う。
「しし座流星群の母彗星は、テンペル・タットル彗星といって、三十三年の周期で軌道を回ってるんだ。この前、この彗星がやってきたのは1966年。このときは、アメリカで一時間に数十万個というすさまじい数の流星が出現してる。そればかりじゃなくて、この流星群は、過去何回も大変な数の流星を降らしているんだ。そのテンペル・タットル彗星が、今年の二月にまた帰ってきたんだよ!!」
これが何を意味するのか? つまり今年のしし座流星群は、例年以上の大出現をする可能性があるのだ。
「ああ、そうか。そう言えば…」
弘希は思い出した。この夏、一台目のCCDカメラを篤志のもとへ持っていったとき、彼の所属するサークルの仲間たちがその話をしていたのだ。あのときは、別に気にも留めなかったのだが…。
「だけどさあ、あのときの話じゃ、流星群の大出現ってのはかなり予想が難しいってことだったぜ」
「うん。まあ、それはそうなんだけどね」
篤志は苦笑混じりに言った。彼の言うとおり、流星群の出現予想は必ずしも正確なわけではない。いくら軌道がはっきりわかっていても、その上をどれだけ流星のもとになるチリが回っているか調べる術がないのだ。特に、このしし座流星群のような母彗星が回帰したときはなおさらである。
したがって、予想は統計的に立てるしかないのだが、しし座流星群は、毎回、派手な流星雨を降らせていたわけではなく、何も起こらなかった年もあるのだ。今回もいくつかの予想が発表されていたが、共通するのはその極大日だけで、その数については三桁ほどの幅があるのが現状である。
「でも、最低でも例年並の流星は流れるわけだし、賭けの要素が大きいけど、やっぱり今回見逃してもう三十三年も待ちたくはないし、ね」
「確かに」
弘希はうなずいた。三十三年といえばかなり長い時間である。自分たちが平均寿命まで生きるとすれば、もう一度チャンスがあるわけだが、実際にそこまで生きていられるという保証はないのだ。
と、そこまで考えて、弘希は気づいた。
「おい、篤志。ひょっとしたら、あのCCDカメラでしし座流星群を?」
「うん、そういうこと」
受話器から篤志の笑い声が響いた。
「まあ、流星群ならどれでもよかったんだけど、どうせなら、この流星群を記念すべき最初の観測にしたくってさ」
「なるほどな」
弘希は納得した。あのCCDカメラは、流星であれば肉眼で見えるもっとも暗い六等星まで捉えることができるので、流星群ならば、特に大規模なものを狙う必要はない。だが、三十三年に一度というメジャーな流星群ならば、デビューを飾るのにうってつけかもしれない。
「それで、俺に来てほしいというわけか」
「うん。無理にとは言わないけど、できれば一緒に見てほしいんだ」
そういうわけならば、と思わない弘希ではなかったが、彼は別に天文に興味を持っているわけではない。篤志の思いはよくわかるが、自分にはあまり関係がなさそうだ。
「わかったよ。でも、今すぐってわけじゃないだろ? 返事はちょっと待ってほしいんだ」
「うん。それは構わないよ。事前の準備なんて、半日で終わってしまうものだしね。当日の朝までに連絡をくれれば、それでいいから」
「了解。じゃ、それでいこう。じゃ、またな」
弘希はそう言って電話を切った。




4.予期せぬ闖入者


ところで、こういうことはよく重なるものである。それから数日後、弘希は再び、高校時代の旧友から電話を受けた。相手は、何ときらめき高校の”愛の伝道師”こと早乙女好雄である。
「なにっ、しし座流星群を一緒に見ようって!?」
話を聞くなり、弘希はすっとんきょうな声を上げた。高校のときは女の子にしか興味がなかった(と思っていた)好雄から、こんな話題が出るとは思ってもみなかったのだ。
当の好雄は、まるで祭りに誘うような声でしゃべり続ける。
「ああ。何でも、その何とかって流星群は、三十三年に一度しか見れないっていうじゃないか。それなら、みんなで見ようと思ってさ」
「みんな、って?」
「ああ。公と藤崎さんに、虹野さんに、夕子に…、とにかく、知り合いみんなに声をかけたんだ。で、藤崎さんが、お前ならその手のことに詳しいんじゃないかって言ってたんでな。それでとりあえずお前に電話してみたってわけだ」
「はあ…」
弘希はため息をついた。高校時代についたとんでもないニックネームが、こんなところまで飛び火してるとは思ってもみなかった。どうやら、彼女たちは、”高校で一番の科学者”だから、何でも知っていると思っているらしい。
「ん、どうした?」
「あのな、好雄。確かに俺は科学には詳しいが、それはあくまでも工学系に限っての話だ。天文なんて、普通の人と同レベルの知識しかないんだぜ」
一応、そう抗議してはみるが、案の定、好雄にはまったく効果がない。
「ふんふん。そりゃそうかもしれないけど、でもこの流星群のことはけっこう知ってるだろ。大学に入っても、科学部に入ったって話だし」
いきなり自分の話になって、弘希は狼狽した。大学に入ってこのかた、彼は好雄と連絡をとっていない。
「お、おい、好雄。どっからそんなこと聞いた?」
「へへ〜ん。俺様の情報収集能力をナメるんじゃないぜ」
電話の向こうでさも自慢気に話す好雄が言うには、弘希と同じアパートに住む、彼の幼馴染みの涼子からみんな聞いていたのだそうだ。まさに、女の子に関する限り全校レベルのつてを持っていた好雄の面目躍如といった感がある。ということは、弘希のことは彼女から、みんな好雄に筒抜けだったわけだ。
それはともかく、弘希は気を取り直すことにした。
「そんなことより、好雄、その日は平日なんだぞ。フリーターの朝日奈さんはともかく、藤崎さんや虹野さん達は学校があるし、就職した人だっているんだろう。大丈夫なのか?」
「ああ、その辺はご心配なく」
好雄は妙に得意そうに言った。
「みんな、何とか都合をつれてくれるってさ。で、お前はどうなんだ?」
「う〜ん」
弘希は考え込んだ。その日までまだ余裕があるため、弘希は篤志にも返事をしていない。当日は大学で講義があることがはっきりしたので、どうしようかと今まで迷っていたのだ。
「どうせ、お前も見に行くんだろう?」
「いや、実のところまだ決めてないんだ。篤志から観測を手伝ってくれって誘われてはいるんだが、何しろ平日だからな。ここからだと行き帰りで二日つぶすことになるし、どうしようかと思ってさ」
「篤志? ああ、科学部にいた、俺たちと同い年の久川篤志、だな」
「よく覚えてるな」
「まあな。一年の時に彗星を見せてもらった仲だし」
ああ、そうか、と弘希は思った。あのとき、確か好雄たちも一緒にいたのだ。彼のおかげで科学部の観測がちょっとした観望会に早代わりしてしまったが、その実かなり楽しかっことははっきり覚えている。
そこまで言って、不意に好雄の声が明るくなった。
「そうだ、どうせなら、俺たちも混ぜてもらおう。あいつは高校のときからその手のことには詳しかったからな。あいつがいれば俺たちも何かと心強いし」
「おい、ちょっと待て!!」
弘希は慌てて怒鳴った。篤志の観測は、彼が大学のサークルの仲間たちとやるのだ。部外者がのこのこ訪ねていったりしてはとんでもないことになってしまう。
けれども、すべては後の祭りだった。
「んじゃ、俺は奴に連絡をとってみるよ。当日また会おうぜ!!」
「好雄!!」
能天気な声を残して、電話は切れてしまった。唖然とする弘希の耳に、ツーツーという音だけが空しく響く。
まいったなあ、と弘希は内心思わざるを得なかった。まだ篤志にもちゃんと返事をしていないのに、いきなりこんな予想外のことが起こってしまった。好雄のことだから、みんなに弘希もやってくると大見栄を切って伝えるだろう。これではいやでも参加するしかない。この時点で、弘希の予定は決まったようなものだ。
ふうっとため息をつくと、弘希はパソコンに向かった。篤志に出すメールを作るためである。
 



目次に戻る  第ニ章に進む