夜 明 け の 同 窓 会 

★ 本編 1998年11月17〜18日 ★


 第五章 11月18日…天上の祭典


1.祭典の始まり


一体、どのくらいの時間が経ったのだろう。弘希は、外から聞こえてくる、何やら騒々しい声に目を覚ました。まだ頭がぼうっとしているため、自分には関係ないらしいと思うと、すぐに寝返りをうって再び心地よい眠りへと沈み込んでいく。
残念ながら、弘希の思惑どおりにはいかなかった。
「おい、弘希、起きろ!!」
誰かがパチパチと頬を叩いている。弘希は不機嫌そうに目を覚ました。
「何だよ、一体…」
いくらきらめき高校bPの科学者であろうと、寝起きばななどこんなものだ。もちろん、相手がそんなことまで頓着するわけがない。
「いいからこっちへ来い!! 大変なことになってるんだ」
大変なこと? 訳のわからない弘希は、もぞもぞとシュラフから抜け出すと、ジャンバーを着込んで外に出た。
ふと見まわすと、辺りはパニック状態だった。そこにいた誰もが、東の空を見上げている。ああ、そういや今日は、と妙なことを思いつつ、弘希はみんなの視線を追う。
その瞬間、弘希は軽い目眩に襲われた。何かがおかしい。ただ立っているだけなのに、何だか猛スピードで突っ走っているみたいだ。どうやら、まだ寝ぼけているらしい。弘希は、頭を振ってぐるりと空を見まわしてみた。
とたんに、
「な…!!」
弘希はやっと状況を理解した。空一面に、おびただしい数の星が流れているのだ。先刻の違和感はそのせいである。眠気は瞬時にして吹き飛んだ。
「うそだろ…」
弘希は再び東の空を見やった。流れ星はすべて、東の空の一点、しし座の首を辺りを中心に流れていた。そう、ついにやってきたのだ、三十三年に一度のしし座流星群が。
ふと見ると、いつのまにか篤志が隣にやってきていた。その顔は、あふれんばかりの喜びに輝いている。
「とうとうやってきたよ、しし座流星群が…」
「篤志、これは一体…」
篤志は事情を説明した。彼の話によると、つい三十分ほど前から、流星の数が異常に多くなりだしたのだという。最初は誰も信じられなかったが、全天に流星が降り注ぐにおよんで、大急ぎでそれまで寝ていたみんなを起こしにかかったのだそうだ。
「この五分間のデータを集計してみたけど、一分間の平均出現数は約ニ千個、一秒間に五十個とちょっとかな。これは、前回をはるかに上回る規模だよ」
「わずか三十分でこれか…」
弘希は驚嘆した。大出現の予報は弘希も目にしているが、ここまで大規模な出現を予測したものはない。
「それだけじゃない」
と、篤志はさらに驚くべき事実を口にした。
「十分前に出現数の増加が落ち込んだから、そこでピークに達したかなって思ったんだけど、まだ増加が止まってないんだ」
「!!」
驚きのあまり、弘希は二の句が継げなかった。これほど沢山の流星が流れているのに、まだ増加が止まらない。ということは、つまり     
「そう。本当のピークはこれからなんだ。ひょっとしたら…」
篤志はそう言って口をつぐんだ。およそ流星を専門とする観測家として、これ以上のことは口にするだけでも恐ろしい。そう言っているようだった。
弘希は、改めて夜空を見上げた。そこには、全天をところ狭しと流れる流星がある。まさに流星雨という形容がふさわしい光景だった。目の当たりにしているはずなのに、今、目にしているものがまだ信じられない。つまりは、これがしし座流星群という現象の真の姿ということなのか?
いや、まだしし座流星群はその全貌を現していないのかもしれない。何しろ、篤志の話ではまだ出現数が増加中ということなのだから。
弘希は首を振った。今なら、篤志の言いたいこともよくわかるような気がする。流星のもととなる塵が地上まで落ちてくることなど有り得ないことはわかっていても、この光景はある種の恐ろしさを感じさせるに十分だった。何しろ、一度に何十個もの流星が流れる光景など、今まで一度たりとも見たことのなかったのだ。
弘希を含むみんなが見上げる天上を、なおもひっきりなしに流星が流れ続ける。今や、この日一番のイベントはクライマックスに突入しようとしていた。




2.クライマックス


そして、さらに一時間後。すでにバンガローで寝ていた面々は一人残らず叩き起こされていた。先刻まで駐車場を支配していた混乱は収まり、代わって異様な興奮状態が立ち込めている。そこには、もはや通常の観測をしている者は誰一人としていない。誰もが、二度とないこの時を夜空を見上げて過ごしていた。
無理もない。天上でこれほど絢爛な光景が展開されているとあっては、冷静でいることなどできるわけがなかった。
その中で一番エキサイトしていたのは、実際に流星の観測を担当している篤志と弘希達だったかもしれない。
その弘希は、パソコンに取り込まれて行くデータをじっと見つめていた。彼のディスプレイ上に映し出された夜空では、ノイズと見違うほど無数の白線が現れたそばから消えていく。
「…どうだ、データの統計は出たか?」
弘希は、隣でデータの解析を行っている篤志を振りかえった。篤志の喉がごくり、と上下する。
「信じられないよ、こんなこと。この一時間で、出現数がおよそ二十万、直前の五分間だけで、一秒間に平均八十個以上だ。まだ出現数が上昇してる…」
「一秒間に八十個? そいつはすごいな…」
弘希はそう言って篤志の端末を覗き込んだ。ディスプレイに表示された折れ線グラフは、まだ右上がりに上昇している。となると…。
弘希は自分の端末に向き直った。全天画面の上に、端末設定画面を開く。
「篤志、取り込み設定を変えるぞ。このままだと観測不能になりかねない」
「うん」
と、篤志の携帯電話が鳴った。相手は、二十キロ離れたところで同時観測をしている智香子である。
"聞こえる、久川くん? こっちはもう、大変な状況なの。このままじゃシステムが流星を追いきれなくなるわ"
悲鳴のような彼女の声は、興奮のため上ずっている。
「こっちも同様です。今、弘希がシステムの設定を変更してますから、そちらもそれに合わせて下さい」
"了解!!"
弘希の携帯に通話が転送されると、すかさず弘希が変更したパラメータを伝えていく。
「午前3時きっかりに、設定したパラメータを有効にします。そちらも、そのようにタイマーを設定して下さい」
"わかったわ、現在、パラメータ変更中…"
弾むような智香子の声が一瞬途切れる。その間に、弘希は、通話を三者モードに切り替えた。
"変更終了!! これで夜明けまで観測できるわね!!"
「ええ。もちろんです。この世紀の大出現を、見逃す手はありませんよ」
とりあえず緊急の用件が済んだからだろう、智香子の声がいく分落ち着きを取り戻した。
 "そちらはどんな感じ? みんな見てる?"
「見てるなんてもんじゃないですよ。寝てた連中はみんな叩き起こしました。こっちはちょっとしたお祭り騒ぎが続いてます。そっちは?」
"うふっ、こっちもおんなじ。みんなもう、手動カウントそっちのけで空を見てるわ。わたしはもうお払い箱ね。こんなに数が多いんじゃ、カウントが間に合わないもの。冴草くんのCCDカメラがあってよかったわ。もっとも、予備のハードディスクを使い切らないと、データ収集が追いつかないけど"
「こっちも同様です。解析作業は大変なことになると思いますよ」
携帯の向こうで、智香子がくすっと笑った。
"そうね。でも、こんなにすごい流星雨だもの。きっちりとデータはとっておかなくちゃ。夜明けまであと二時間と少し、がんばろうね"
「ええ。お互いに」
通話を終えると、弘希は篤志と並んで立ちあがった。
「栗崎先輩、すごく張りきってるな」
「それはそうだよ。こんな大出現を目の当たりにしてるんだ。張りきって当然さ」
「まったくだ」
弘希はうなずいた。ふと、時計を見やる。午前三時。傍らのディスプレイは、CCDカメラの観測パラメータが切り替わったことを表示していた。これで、もうCCDカメラは放っておいても観測を続けてくれる。
とりあえずの集計を出し終わった篤志は、ほっと一息ついた。
「それにしても、ここまで大出現するなんて、ね。ほんとに信じられないよ…」
つぶやくようにそう言った篤志に、弘希はこくっとうなずいた。しし座流星群の大出現が始まったのが、ほぼ一時間前。それまで幾何級数的に増加していた出現数がようやく鈍り出したのが、十分ほど前である。
そして、今や、出現は背後に輝いているはずの冬から春にかけての星達を圧倒していた。まるで夜空を覆い尽くすかのように次々と現れては消えていく無数の流星。その軌跡をたどることができたなら、そのすべてが、空の一点     しし座の首の辺りに収束することがわかっただろう。まさに、三十三年に一度のしし座流星群だ。
「こいつは、なんて…」
弘希は嘆息した。もはや流星雨と呼べるレベルではなかった。普通の雨ならば集中豪雨と言われただろうすさまじいまでの流星の乱舞。まさにこれこそ、一世紀に一度あるかどうかと言われる流星嵐と呼ばれるにふさわしかった。
「!!」
すぐ近くで歓声が上がった。何事かと振り返ると、好雄たち同窓会のメンバーと科学部の旧友たちが、笑顔満面で杯を交わし合っている。弘希はニヤッと笑みを浮かべた。きっと、深夜なので今まで我慢していたものが押さえ切れなくなったのだろう。そうでもしなければ、この大流星群に出会えた喜びは表現のしようがない。
弘希は篤志と視線を交わした。思いは自分たちも同じなのだ。まだ観測は続いているから、そう派手に浮かれているわけにもいかないが。
ふと、肩がポンと叩かれた。振り返ると、そこには笑顔満面の沙希がいた。左手に持ったトレイには、紙コップが三つ乗っている。
「ほら、久川くんも冴草くんも、乾杯しよっ」
弘希も篤志も笑顔でうなずいた。中身はブランデー入りの紅茶らしいが、観測を続けている二人に配慮してか、ほんのり香る程度だ。
「それじゃ…」
と、沙希は二人を見やる。それに応えてるように、弘希は篤志に目を向けた。この素晴らしい夜に自分達を招待してくれたのは、何といっても彼だ。
弘希の視線を受けて、篤志はこくっとうなずいた。
「じゃ、素晴らしいしし座流星群の夜と、僕たちの同窓会に…」
「”乾杯!!”」
紙コップを合わせた後で、弘希は三人に気づいた好雄達に杯を掲げた。あちこちから再び歓声が湧き上がる。
数え切れないほどの流星が降り注ぐ下で、お祭り騒ぎは続いていた。




3.夜明けの同窓会


そして、午前四時。しし座流星群はピークに達した。喜びの爆発とも言えたお祭り騒ぎはすでに一段落し、駐車場には、落ち着いた空気が流れていた。
といっても、喜びが色褪せてしまったわけではない。落ち着いて夜空を見上げる余裕ができたおかげで、より切実に感じられるものになっていた。
輻射点はすでに中天高く昇っているため、本当に星の雨が降り注いでいるように見える。最新の集計では、一秒あたり百個ちかくに上っているという。まさに流星の集中豪雨だ。
「こんなにたくさんの流れ星が見られるなんて、ね…」
夜空を見上げながら、詩織はそうつぶやいた。
「うん。ほんとに夢みたい」
と、沙希もうなずく。それは、この日夜空を見上げた人すべてに共通する思いだろう。
「片桐さんにから返事が来たわよ」
その声にみんなが振り返ると、レイがプリントアウトされた用紙を持ってきた。ついさっきまで、専用ヘリから電子メールのやりとりをしていたのだ。
「彼女、すごく興奮していたわ。この大出現がフランスまで続けばいいのに、って期待でいっぱいだった」
遠く離れた異国にいる旧友からのメールを、みんなは回し読みしている。
「そう…。で、どうなのかな、久川くん?」
と、詩織が隣にいた篤志に尋ねる。篤志は腕を組んで考え込んだ。
「うん。統計的に見ると、こんな大出現が十時間以上も続いたことはほとんどないんだ。難しいところだね」
「そうなんだ…」
詩織はちょっとがっかりしたように俯いた。今、自分たちが目の当たりにしている素晴らしい光景を、彼女が見ることがてきないというのは、ちょっと寂しい。
と、
「可能性はあると思うよ。これだけ大規模な出現はここ数百年なかったことだそうだし、となると、最終的にどうなるかは、誰にもわからないんだから」
「冴草くん…」
その声に、詩織たちはうん、とうなずいた。
「もしだめなら、久川たちが集めたデータを映像化して送ってやってもいいし、この次会ったとき、いい土産話にもなるさ。そのためにも、俺たちはこの流星群を楽しもうぜ」
詩織の隣で、公がそう言って笑う。
「そう。そうだよな…」
好雄もうなずいて空を見上げた。その隣では、夕子とゆかりが並んで飽きもせず降り注ぐ流星を眺めている。先刻、あれだけ騒いで満足したのか、今は静かだ。
「くしゅん!!」
ふと、ゆかりが小さくくしゃみをした。初冬の明け方である。一晩中外にいれば、いくら厚着をしても、さすがに体が冷えてしまうのだろう。
「あ、ごめん。何か作って来ようか?」
と、立ちあがりかける沙希を、夕子が制する。
「いいよ。昨日の夜から、沙希はがんばってきたんだもん。今ぐらいは、ゆっくりしなよ」
「あ、じゃ、何か暖かいものでも…」
と、沙希はココアの入ったポットをみんなに回す。こんな大流星雨の中で飲むホットココアは、また格別においしい。
「お〜い」
好雄が近くで別の輪を作っていた旧友たちを呼んだ。集まってきた仲間たちに、沙希がココアを渡していく。
「はい、未緒ちゃん」
沙希から受け取ったココアを一口飲んだ未緒は、ほっと息をついて空を見やる。
「こんな素晴らしい流星群の下で同窓会ができるなんて…。わたし、この日のこと一生忘れません」
そう言って、未緒はそっと目尻をぬぐった。このとき初めて、自分が感激のあまり涙ぐんでいたのに気づいたのだ。
「わたしも同じです」
と、詩織の隣に座った愛もうなずく。
「仕事を休んでやってきて、ほんとによかった…」
そう言う愛の背後で、勝馬たち四人がうなずきあっている。
もちろん、それはここに集まったみんなに限ったことじゃない、と弘希は思った。ここにはいないが、昨日の夜からコンサートをやっている鈴音たち、そして、それを見に来ていたみのりにとっても思いは同じだろう。彼女たちのいる街も、今日は晴れているはずだ。一晩中粘っていれば、この素晴らしい流星雨を見ることができる。
「何て素敵なんだろう…」
と、見晴が空を見上げてつぶやく。日付が変わってから、何度も耳にした言葉だ。けれども、この降り注ぐ流星雨を目の当たりにした者にとって、それは何度聞いてもその度に実感させられる。
「このまま、刻が止まってくれればいいのにね…」
彼女の一言に、弘希はふと、言いようのない寂しさを感じた。この二時間以上にもわたった大流星雨も、もうすぐ終わる。あれほど長く感じた夜、とても楽しくて、もう一生経験することはないだろうほど充実していた、至宝の時間。それも、夜明けとともに終わるのだ。
刻が止まればいいのに、見晴の何気なくつぶやいた一言に、弘希は過去っていく時間を切実に感じていた。あのペルセウス座流星群の夜に感じた同じ思い、それがはるかに大きく、弘希の心に覆い被さっていく。これほど素晴らしい流星雨をもたらしたしし座流星群も、軌道が通りすぎれば終わってしまう。そして、自分はおそらく、もう二度と見ることはないのだ。時を止めることはできない。
弘希は万感の思いを込めて、夜空を見上げた。この夜、天空を埋め尽くしたしし座流星群、そして、この夜集まった仲間たちと、共に過ごした時を胸に刻みこもうかというように。未緒の言うとおり、おそらくは弘希も、この一晩の出来事を忘れることはないだろう。
「ああ、流星が消えていく…」
ふと、隣のサークルで誰かがつぶやいた。東の地平線が、うっすらと白みかがっている。もうすぐ夜が明けるのだ。
「終わった、な…」
弘希は、隣で空を見上げていた涼子に、つぶやくように言った。空を見上げたまま、涼子はこくっとうなずく。
「うん、最高の同窓会だったね…」
そう、まさに最高の同窓会だった。あの三年間を一緒に過ごした仲間たちとこうして会うこともできたし、何といってもこの素晴らしい流星群とめぐり会えたのだから。
どんどん明るくなっていく空に、降り注ぐ無数の流星が次々と消えていく。その光景を、弘希はずっと、飽きもせず眺めていた。

                                            


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