夜 明 け の 同 窓 会 

★ 本編 1998年11月17〜18日 ★


 第四章 11月17日…夜半


1.夜空の下で


そして、観測が始まった。総勢四十名ほどの人数が、広い駐車場のあちこちに陣取って、自慢の機材を夜空に向ける。
といっても、そのうち流星を専門に観測しているのは、篤志を含めても三、四人ほどである。後は、しし座が昇ってくる夜半過ぎまで、いつものとおり過ごすつもりなのだ。また、篤志達にしても、しし座が地平線の上に昇ってくる夜半までは、今日はとても空気が澄んでいるうえに、木星や土星も見えているので、観測する対象には事欠かないだろう。
ふと、観測メンバーを見回した弘希は、篤志に尋ねた。
「そういや、栗崎先輩は? 他に四、五人ほどいないみたいだけど」
「うん。先輩たちは、ここからニ十キロほど離れたところで観測してるんだ。もともと、そのために今まで準備してきたんだからね」
「ああ…」
弘希は納得した。言われてみれば、もう一台あったはずの全天カメラが見当たらない。きっと、同時観測のために、彼らが持っていったのだろう。篤志の話では、みんな携帯電話を持っているそうなので、何かあれば連絡が入るはずだ。
隣の翔は、みんなの機材を物珍しそうに見回している。大口径の望遠鏡や、完全自動化されたガイド装置付きのカメラが林立する光景は、まさに壮観だった。
「…しかし、みんなすごい機材だな。ここまで揃えられれば、もう何でもできるぜ」
「うん」
と、篤志はうれしそうにうなずく。
「みんな、それぞれの分野には一過言持っているからね。一人じゃとてもこうはいかないけど、みんなが集まれば、ってやつさ」
しかし、である。その中でも、弘希のCCD全天カメラはひときわ目立つ存在だった。何しろ、彼の能力を知り尽くしていたはずの科学部員たちが、思わず感嘆の声を上げたほどなのだ。
「…相変わらず、とんでもないものを作りやがるな、お前は」
「信じられないよ、まったく…」
とは、元科学部長と副部長の弁である。
「そうか? まあ、ソフトウェアまわりは、満にも手伝ってもらったからな。そんなに手間じゃなかったがね」
話を振られた満は、得意そうに笑った。
「ま、俺も科学部員だからな」
もちろん、しきりに驚いている彼らとて、決して手ぶらで来たわけではない。あの頃のメンバーで天文を専門としていたのは篤志一人だが、今日はみんな、それぞれそれなりのものを持ってきている。そのすべてが手作りで、観測のためのものではなく、"星を楽しむ"ためのものだ。
「いいな、そういうのって」
みんなの装備を見た弘希は、楽しそうにそう言ったものである。
ところで、肝心の篤志は、なかなか観測に集中できなかった。好雄たち、"同窓会"に集まった連中が、根掘り葉掘り尋ねて彼を放さなかったからである。
「ま、おかげで、こっちは静かでいいけどな」
妙にこわばった笑いを浮かべて説明に奔走する篤志を横目で見やりながら、翔はくすくす笑っていた。その彼は、簡易ソファーに双眼鏡を取り付けて、星空散歩としゃれ込んでいる。
当の弘希の道具は、以前篤志に送ったCCDカメラのみだ。観測は全自動なので、弘希はそばに座ってぼうっと眺めていればいい。しし座は夜半過ぎに昇ってくるため、日付が変わるまでは開店休業の状態が続くだろう。
「仕方ないさ。こんなきれいな星空の下に集まることなんて、三年ぶりだからな」
そう言って、弘希は夜空を見上げた。初冬の夜空。抜けるように透明な空に、数えきれないほどたくさんの星々が硬質の輝きを放っている。まさに満天の星空だ。普段は気にも留めないことだが、晴れてさえいれば、この季節にはいつもこんな星空が望める。
「すげえな、やはり…」
同じく夜空を見上げながら、ふと翔がつぶやいた。口には出さなかったが、思いは弘希も同じだ。いつも星空なぞ見向きもしないだけに、その思いは翔よりも強い。
思えば、最初に彼らと一緒に星を見たのは、ほぼ三年半前だった。あのとき、今世紀最大級の彗星がやって来なければ、弘希はずっとこんな楽しみを知らずにいたかもしれない。
むろん、今は違う。あのときがあったおかげで、弘希は星空とじかに向き合うことの喜びを知っている。そして…。
弘希はふと、篤志とその周りにいる旧友たちを見やった。同窓会といいながら、彼らもみんなと一緒に星を見るのを楽しんでいる。一人で見るのとは、また違った楽しさが、そこにはあるのだ。
「何だか、あのときみたいだな…」
弘希はそうつぶやく。高校一年のときのあの日。弘希が初めてみんなと星を見ることの楽しみを知ったあの日も、こんな雰囲気だった。
ふと横を見ると、翔もしみじみうなずいている。
「ああ。あのときから、まだそんなに年をとったわけでもないのに、何だか懐かしいな」
ソファーに寝転がって夜空を見上げる翔の瞳が、ふっと穏かに笑う。
と、
「ふふっ。冴草くんたちが、そんなことを言うなんて、ね」
その声に、弘希と翔は思わず振り返った。見ると、詩織がくすくす笑って二人を見下ろしている。
男二人が憮然と自分を見つめるのをよそに、詩織は弘希の隣に座った。二人を見やると、詩織は涼しげに笑う。
「冴草くんも島崎くんも、まだ十九歳になったばかりじゃない。昔を振り返って懐かしむなんて、らしくないわよ?」
「まあ、それはそうだけどさ…」
さすがに翔は苦笑せざるを得ない。ちなみに、このとき弘希はまだ十九歳になっていない(彼の誕生日は12月なのだ)。もっとも、こんなときにそんなつまらないツッコミを入れるような無粋な真似をする弘希ではなかったが。
詩織はふと、夜空を見上げてつぶやく。
「…でも、わたしにもその気持ちわかるな。だって、ほんとにあのとき以来じゃない、こんな夜更けにみんなで集まるのって」
詩織の言葉に、弘希と翔は嬉しそうにうなずいた。もちろん二人とも、あの夜のことは、今でも鮮明に覚えている。
「あのとき、一緒にあの彗星を見られて、わたし、ほんとに嬉しかったの。わたし達の知らない空の上ではあんなに素敵なことがあって、それを初めて知ることができたから。それにね…」
と、詩織は二人を見やっていたずらっぽく笑った。
「夜、みんなで集まってわいわいやるのが、あんなに楽しいものだって、あの時冴草くん達が教えてくれたから」
つられて、二人の顔にも笑みが広がる。
「今日もそう。たまたま、同窓会ってことで集まってはいるけど、しし座流星群の日に、みんなとまた会えて、三十三年に一度の流星群を見ることができて、ほんとによかったと思ってるの…」
まだ、夜は始まったばかりだけどね。そう言って笑う詩織を、二人は眩しそうに見やった。高校時代、きらめき高校のアイドルだった彼女、何でもできる、頭脳明晰で容姿端麗だった彼女。そのせいか、どこか近寄りがたい雰囲気があった詩織だったが、一度知り合ってみれば、ちょっとお茶目なだけの普通の女の子だった。そんな詩織の一面を知っているからこそ、二人は彼女と友達になれてよかったと思うのだ。
「そうだね」
ひとつうなずくと、弘希は視線を夜空に転じる。
「この夜が終わったとき、ほんとにそう思えるような夜になってくれるといいね」
そういう弘希に、詩織と翔もうなずく。彼らの上には、硬質の光を放つ満天の夜空があった。




2.サッカー部マネージャーの活躍


やがて、土星が南中する時刻になった。普段ならばこのあたりでナベが始まるところだが、なぜか今日は何もない。
それというのも、
「虹野さん、そんなに頻繁に食い物作らなくたって…」
「いいじゃない。みんなも喜んでくれるんだし、今日は寒いし、ね」
少しばかり離れたところで、沙希と好雄のやりとりが聞こえる。この時刻になっても元気な沙希に対し、好雄は少々呆れ顔らしい。
「そうそう。寒いときって、やっぱこういうあったかいものがおいしいんだよね」
「夕子!! お前さっきから食ってばっかり      」
ごそごそ。
「あ、じゃ、わたしもちょっともらってもいいかな?」
「うん。どんどん食べて」
「藤崎さんまで…!!」
聞くとはなしに彼らのやりとりを聞いていた弘希は、思わずにやっと笑った。さすが、元サッカー部のマネージャーだけのことはあった。彼女がタイミングよく何か作ってくれるおかげで、今日は温かい飲み物と食べ物に不自由せずに済む。こんな寒い夜には、何よりのごちそうだ。
と、駐車場のあちこちで何やら動き回る音が聞こえた。しばらくして、
「はい、冴草くん」
弘希は顔を上げた。そこには、ちょっぴりいたずらっぽくウインクする沙希の笑顔があった。手にはコーヒーの入ったポットと皿を持っている。
弘希は有難く差し入れを受け取った。
「島崎くんもどうぞ」
「ああ、ありがと」
と、こちらは喜色満面である。
沙希はにこっと笑ってうなずくと、弘希の隣に座った。並んで夜空を見上げる沙希に、弘希は微笑みかける。
「差し入れ係、ご苦労様」
沙希はくすっと照れくさそうに笑う。
「そんな…、だって、こんな寒い時期に一晩中外にいるんだもの。誰だって、温かいものが欲しくなるでしょ? みんながんばっているんだし、わたしも何かの役に立てたらいいなって」
「今日は同窓会なんだから、もっと気楽に過ごせば?」
「ううん。わたしは、やっぱりこうしているのが一番楽しいの。みんなの楽しそうな顔を見てると、わたしも楽しくなっちゃうから。ほんと、安上がりだよね、わたしって」
ったく…。弘希は苦笑して首を振った。やっぱり、根っからのマネージャーなんだな、と改めて思う。彼女の声援のおかげで、高校三年間、野球部やサッカー部の過酷な練習をやり遂げたという同窓生も多い。
そして、そんな彼女の大切な部分は、今でも変わることはない。
「まあ、実際、虹野さんがいろいろ作ってくれるおかげで、今日はみんな助かってるんじゃないかな。かくいう俺も、けっこう助けられているしね。な、翔?」
と、翔に話を振った弘希は、次の瞬間それを後悔する羽目になった。彼は、沙希の差し入れを餓鬼よろしくせっついていたのだ。二人の話は耳に入っていたらしく、ホットケーキをほおばった嬉しそうに耀いている。
「…」
無言で額を押さえる弘希。そんな二人を見やった沙希はくすっと笑った。
「ありがとう。そう言ってくれるのが、一番嬉しいな」
心の底から嬉しそうに微笑む沙希。見ていると、自分も自然と暖かい気分になれる。
みんなへの差し入れが一段落したのだろう、沙希はよいしょ、と両手を後ろについた。夜空を見上げる瞳が、キラキラ輝いている。
しばらくして、
「ほんとに、今日は楽しい夜だね。まるで、あの頃に戻ったみたい…」
つぶやくような沙希の声に、弘希はこくっとうなずいた。取り立てて騒いでいるわけではないのだが、みんなと一緒にいるというだけで、なぜか楽しい。
「まあ、今日は同窓会だから、ね」
「うん」
「張り切って準備してきた甲斐があった?」
「もちろん!! でも清川さんのクルマがあってほんとによかったなぁ。あれがなかったら、用意してきた荷物のほとんどを置いて来なきゃいけなかったもの…」
「はは、準備、ね…」
弘希には返す言葉がなかった。つい数時間前に、ランドクルーザーにところ狭しと積まれた荷物がありありと目に浮かぶ。夕食をみんなで摂ったのでかなり減りはしたが、それでもまだ半分以上が残っているはずだ。
「でも、大変だったんじゃない? あんなに沢山の荷物なんて」
きっと昨日の夜から準備してきたのだろう、と弘希は内心思った。沙希ならばやりかねないことだ。
はたして、
「ううん、全然そんなことなかったよ。高校のときも、あのくらいのことはやってたし、それに未緒ちゃんも清川さんも手伝ってくれたしね。」
「如月さんも? それはそれは…」
弘希は首を振った。普段から水泳で体を鍛えている望はともかく、未緒の体が弱いことは弘希もよく知っている。いかに仲のよい沙希のためとはいえ、彼女にとってあれだけの荷物の世話をするのは大変なことだったはずだ。
そんな弘希の思いが顔に出ていたのだろう、沙希はくすっといたずらっぽく笑った。
「もっとも、クルマの中で未緒ちゃん、ずっと寝てたけどね」
うなずきながら、弘希はふと、詩織たちと一緒にいる未緒を見やった。がんばって来てくれたとはいえ、一晩中起きているのは彼女にとってつらいかもしれない。
「でも、未緒ちゃんも、ずっと今日を楽しみにしてたから、ほんとに今日は、晴れてよかったな…」
同じく未緒を見ながら、沙希もそうつぶやく。
「うん、そうだね…」
弘希は視線を戻した。夜空に転じれば、相変わらず降るような星空だ。じっと見ていると、まるで自分が、宇宙のただ中に放り出されたような錯覚を覚えてしまう。
「…ねえ、冴草くん、ほんとに、今日はたくさんの流れ星、見えるかな?」
「さぁて、ね。そればっかりはどうにも…」
弘希はくすっと笑った。今は、みんなとこうして楽しい時間を過ごしているだけでも十分だ、と弘希は内心思う。流星群がどうなろうと、あるいは、それは些細な事かもしれない。
でも、その一方では…。
「そうだね。俺は、やっぱり見えてくれるといいな。みんなが集まってくれた、素敵な夜なんだから」
「うん…」
沙希は夜空を見上げながらうなずいた。もうすぐ、土星が南中する時刻だ。




3.お節介な…あるいは嬉しい後輩からの便り


と、そのとき、弘希の携帯が鳴った。こんな時刻になんだろう、と首を傾げつつ携帯を取り出す。
「はい、冴草ですが」
とたんに、
"せ〜んぱい!!"
怒鳴り声と錯覚しそうなほど大きな声が携帯電話が響き渡った。思わず、弘希は電話を遠ざける。
"一体どうして連絡くれなかったんですか!! そっちにみんな集まるって知ってたら、今日なんて予定何も入れないでいたのにっ!!"
携帯電話からは、機関銃のごとく非難の声が流れ出てくる。
「み、みのりちゃん!?」
弘希はびっくりして問い返した。まさか彼女からかかってくるとは予想もしていなかったのだ。
電話の相手は秋穂みのり。高校時代、沙希の後輩でサッカー部のマネージャーをしていた女の子だ。バッテンの髪飾りがトレードマークで、思ったことをすぐ口に出す一言多い性格、それが弘希のみのりに対する印象だ。
「一体どうしたのさ、こんな時間に」
"どうしたもこうしたもないですよ。今日、先輩たちみんなが集まるってこと、わたしに教えてくれなかったじゃないですか。せっかく、虹野先輩に会いたかったのに"
弘希は沈黙した。教えるもなにも、弘希にそんな義務はないはずだし、そもそも今日は平日だ。高校生のみのりがここまで来られるわけがない。第一、弘希は彼女の連絡先を知らないのだ。なぜみのりがこの番号を知っているのかは謎だが。
何よりも、なぜ彼女が電話してきた相手が沙希ではなくて俺なんだろう、と思う。
"まあ、いいです。ここからじゃそっちへ行くの大変だし、今日は友達とコンサートに行く約束してたから、どの道行けなかったかもしれないし"
「コンサート?」
"ええ。今、その楽屋からかけているんです。…あっ、ごめんなさい、先輩"
彼女の声がいったん途切れる。しばらくして、
"お久しぶりです、冴草先輩。お変わりありませんか?"
先刻とはうって変わった優しい声。思ったことをズケズケ言う性格は相変わらずだが、どうやらこれを第一に言いたかったらしい。電話を握る弘希は、穏やかに微笑んだ。
「ああ。みのりちゃんも元気そうで何より。こっちはみんな変わりない、かな。いや、もっとパワーアップした奴もいるけど」
"そうですよね。まだ卒業して半年ですものね。わたしも会いたかったです。…あ、ちょっと待って下さいね"
と、再び沈黙。向こうでは一体何が起きてるんだ、と弘希は首を傾げた。
しばらくして、
"冴草先輩、わたしです。お元気ですか?"
「えっ!!」
"覚えていますか、先輩、わたし達のこと"
覚えているどころではなかった。三年前の十月、それまで科学一辺倒だった弘希は、この女の子のせいでコンサートという異世界に引き込まれたのだ。後にも先にもただ一回だったあのコンサート。あの刺激に満ちた体験は、忘れようとも忘れることができない。
「もちろん!! 忘れるわけがないよ。久しぶりだね、鈴音ちゃん」
弘希はにっこり笑って答えた。彼女の名は美咲鈴音。高校時代、校内で一、二を争う実力を持ったアマチュア・バンド'彩'のメンバーだった。もちろん、彩の活動そのものは、鈴音を除いたメンバーの全員が卒業した今でも続いている。
と、そこで弘希は気づいた。ということは…。
「ひょっとして、みのりちゃんが言ってたコンサートってのは…?」
"はい。わたし達、彩のコンサートです。もっとも、主役はわたし達だけではありませんけどね"
「?」
"今日のしし座流星群にあわせて、こっちでは屋外ステージを借り切ってコンサートをやってるんです。この街でバンド活動をやってる人達がみんな集まって、夕方から一晩中、という予定で"
「一晩中? そいつはすごいな。みのりちゃんがやって来れないって言うわけだ。で、そっちの天気はどう?」
"絶好です。わたしたちの出番は一応終わりましたから、これからはゆっくりできますよ。そちらはどうですか?"
「こっちも快晴だよ。少しばかり寒いけど、まあ、みんながいるからね」
"うふっ、がんばって下さいね"
「ああ、お互いに」
鈴音の背後で、何やら急かすような声が聞こえた。どうやら、みのりが再び代わって欲しいらしい。
「隼たちにもよろしくな。今日は行けなかったけど、またコンサートのあるときは呼んでくれって」
"はいっ!!"
「じゃ、こっちは電話代わるから」
そう言うと、弘希は沙希に電話を渡した。みのりが一番話したい相手といえば、やはり沙希だろう。何事かと訝しげに自分を見やる沙希に、弘希はニヤッといたずらっぽく笑う。それだけで彼女にはしっかりと通じた。
「もしもし、みのりちゃん?」
"虹野先輩!!"
受話器から、みのりの嬉しそうな声が響いた。二人の楽しそうな会話を聞きながら、弘希は、同窓会、という言葉をしみじみとかみ締めていた。弘希にとって、そしてむろん、ここに集まったみんなにとっても、あの三年間を共に過ごした仲間たちは、決して同級生たちばかりではないのだ。




4.冴草弘希退場


そして、土星が木星を追って西の空に傾き、東の空が冬の星座で埋め尽くされた時刻。もうすぐ日付が変わろうとしている。しし座はまだ地平線の下だが、さすがに眠気を覚える人も出始めた。といっても、サークルのメンバーではない。それにかこつけてやって来た、同窓会の面々だ。
「ふわぁ…」
かくいう弘希も、あくびをかみ殺しつつ夜空を眺めている。定期的に食事を摂っていたのに加えて、冬だというので過度に防寒具を着込んできたせいだ。満腹の上にポカポカ暖かいときては、満天の星も濃い口のコーヒーもあまり役には立たない。
その隣では、翔が変わらない調子で双眼鏡を覗いていた。弘希と違ってこういうことには慣れているらしく、特に眠たそうな様子も見られない。
と、
「冴草さん」
弘希は振り返った。見ると、未緒と愛が並んで立っている。
「やあ、どうしたんだい、二人とも?」
そう言いかけて、ふと弘希は気づいた。未緒は疲れたような、そして愛は眠そうな顔をしている。それでも、二人の瞳はこの数時間を楽しく過ごしたことを物語っていた。
「ごめんなさい、わたし達、そろそろ…」
「ああ。そうだね、もうこんな時間だし」
弘希はうなずいた。考えてみれば、二人とも遠路はるばるやって来てくれたのだ。その上、未緒は沙希を手伝ってもいる。疲れが出て当然だろう。
「それで、申し訳ないのですが…」
「ああ、いいよ。遠慮なく使って。ひょっとしたら、後で叩き起こされることになるかもしれないけど」
冗談めかしてそう言う弘希に、二人はくすっと笑った。
「そうですね。もしそうなれば、わたし達も嬉しいです」
「ありがとうございます。それじゃ、おやすみなさい」
「うん、如月さんも美樹原さんも、おやすみ」
「また明日ね」
笑顔でそう言う弘希と翔に、未緒と愛は小首を傾げてうなずくと、弘希製作のバンガローに向かった。
続いて、
「ちょっといいかしら?」
五分も経たないうちに、弘希は再び呼びかけられる。
「ああ、鏡さん」
さすがに厚着をしてはいるが、夜目にも鮮やかなウェアを着込んだ魅羅は、硬質の微笑を浮かべて弘希を見下ろしている。
「申し訳ないけれど、わたしもそろそろお休みさせていただくことにするわ。夜更かしはわたしの美貌を損なう大敵だから」
その高慢極まりない言葉に、弘希は思わずニヤッと笑った。彼女からこんな言葉を聞くのは、高校を卒業して以来のことだ。
「どうぞご遠慮なく。…それにしても、その鏡さんの言葉、久しぶりだね」
弘希がそう言うと、魅羅はすぐに表情を緩めた。先刻とはうって変わった、暖かい微笑だ。
「そうね。仕事のときはいつもこんな感じだけど、みんなと一緒なら、もう表情を作る必要もないから」
「俺には、今の鏡さんの方が魅力的に見えるけどな」
「それは、貴方が高校のときから、本当のわたしを知っているからよ。光栄に思いなさい。じゃ、バンガロー使わせていただくわね」
いかにも高校時代に戻ったかのような高飛車なこの言葉に、認められた返答はただひとつだ。
「はい、鏡さん!!」
いかにも張りのある返事。そんな弘希と、隣にいた翔にいたずらっぽく笑いかけると、魅羅はその場を後にする。
「へえ、あの鏡さんがね…」
後を見送る翔は、感慨深げにそう傍曰したものである。
むろん、日付が変わる前にバンガローに直行したのは、この三人だけではない。同窓会のメンバーからは、他に淳と恵と望とゆかりの四人が、科学部のメンバーからは三人の脱落者が出た。女性陣は弘希とレイの用意した豪華なバンガローに、野郎どもは大学のサークルで準備した通常のそれに、当然のごとく避難していく。
一方で、この時間になっても元気な者もいる。代表格は好雄と夕子だろうか、それにつられるように、公と詩織も夕方のテンションを維持している。沙希に至っては、言わずもがな、という感じだ。
「ちょっといいかしら?」
この時間になって何度目だろう、背後から呼びかけられて弘希は振り返った。今度は誰だろう、と思った弘希の目に入ったものは…。
「伊集院さん…」
意外と言えば本人に対して失礼に当たるだろう、案に相違して、弘希の視線の先には、レイの穏やかな微笑があった。
「ここ、いいかしら?」
そう言うなり、弘希が返事する間もなくレイは隣に座った。他の女の子と違って、腰まで伸びた金髪が冷たいアスファルトにかかる。
「いいの?」
そう尋ねた弘希に、レイはくすっと笑った。
「今日は特別だから…」
たしかに今日は特別だな、と弘希も思う。何と言っても、高校時代は男子として通っていた伊集院が、素のままの姿でみんなの前にいるのだ。つい一年半前までは、考えられもしなかったことだ。
「楽しんでる、伊集院さん?」
「ええ、もちろん」
そう言うと、レイは髪をかき上げる。こぼれるような微笑みも、以前にはほとんど見られなかったものだ。
「…こういうときは、日本もアメリカもあまり変わるところはないわね、やっぱり」
レイは周りを眺めながらそうつぶやいた。
「ってことは、あっちでも?」
「ええ。この日は向こうでも、あちこちでこんな集まりが開かれているわ。お祭り騒ぎみたいなところもあれば、高度な機器を持ち寄って本格的に観測を計画していたところもあるし。わたしも何ヶ所か誘われたんだけど…」
「やっぱり、日本で見たかった?」
レイは穏やかに微笑んでうなずく。
「ええ…。そうね、帰国するのにはいい口実だったし、何よりも、ゆかりさんから、今日のことを聞いていたから」
「え、古式さんから?」
くすっとレイはいたずらっぽく笑った。
「うふっ。彼女からばかりじゃないのよ。実は、片桐さんからも、国際電話があったの。早乙女くん、ほんとに友達のみんなに声をかけたらしいわね。わたしのところにも手紙が来ていたわ」
「何とまあ…」
弘希はいかにも驚いたという顔で、離れたところで騒いでいる好雄を見やった。高校時代には、彼女と憎まれ口のたたき合う場面しか知らない弘希だったが、その実好雄にとっても、レイは大切なクラスメートだったようだ。
ふと、弘希はレイを見やる。
「じゃ、片桐さんはもう…?」
「ええ。わたしのことは、みんな話してあるわ。彼女、ここに来れないことをとっても残念がってた。悔しいから、フランスの仲間たちと一緒に見てるって…」
「ははっ、片桐さんらしいな」
弘希はおかしそうに笑った。あのあっけらかんとした変な芸術家が、地団駄を踏んで悔しがっている様子が目に浮かぶようだ。
「だけと、そうがっかりすることもないんじゃないかな。篤志の話じゃ、極大の時刻がずれることはよくあるそうだし、そうなれば、片桐さんにもチャンスが巡ってくるわけだから。ひょっとしたら、こっちにいるよりもいいかもしれない」
「そうね…。もしそうなれば、彼女、してやったりと自慢するでしょうね」
もちろん、実際に地球上のどこが幸運に恵まれるかは、そのときになってみなければわからない。予報では日本を含む東アジアが一番とされているが、それはあくまでも、母彗星の軌道を地球が横切る時間から導き出されたものだ。実際には、その前後数時間ほど極大がずれ込むことはよくある。
そして、ここに集まったみんなにとって、その結果はまだ未定だ。流星はまだ一時間にひとつほどのペースだし、肝心のしし座はまだ地平線の下である。
東の空を見ていたレイは、ふと弘希を見やってくすっと笑った。
「だいぶ眠そうね、冴草くん」
「え、ああ…」
弘希は慌ててあくびを噛み殺した。レイにこんな姿を見られたのが少しばかり恥ずかしい。
「隣の島崎くんは平気なのに、ね…」
「そりゃ、俺は徹夜には慣れているからね。奴とは年季が違うさ」
と、双眼鏡から目を離した翔がからかうように言う。レイはいたずらっぽく笑った。
「ふん。夏に来たときはこんなことはなかったのに」
篤志が聞いたら、何て大嘘を、と笑うような台詞を弘希は平然と口にした。
「まあ、重装備が過ぎたってことだな」
そう言いつつ、翔はレイににやっと笑いかける。すばり言い当てられて、弘希は沈黙するしかなかった。
そんな二人のやりとりを、レイは懐かしそうな眼差しで見つめていた。高校時代、この二人はいつも科学部でこんな会話を交わしていたものだ。
「ね、冴草くん。無理をしないでもう寝た方がいいわよ。無理して起きてるのは体に悪いし、肝心なときに寝過ごしちゃったらいけないし」
「そうそう。何かあったら叩き起こしてやるから、後は俺たちに任せてもう寝な。そのための設備はたっぷりとあるんだしさ」
と、翔は離れたところに鎮座ましまししているバンガローを指差した。すでに十人以上がそこに退避していたが、まだ半分以上が使用されずにいる。
十秒ほど悩んだ後で、弘希は不承不承うなずいた。
「それじゃ、そうさせもてらおうかな。実はもう眠くて仕方がないんだ。さすがにこう暖かくていい気分だとね…」
そう言いつつ、弘希は立ち上がった。かくして、きらめき高校でbPの科学力を誇った男は、退場を余儀なくされたのである。


その途中で、弘希は公たちに捕まった。
「…なんだ、弘希。お前、もう寝るのかぁ?」
「すまん、一晩粘っているつもりだったんだが、ちょっときついみたいだ」
「根性のない奴だぁ…」
「こらっ!!」
「うふっ。お休みなさい、冴草くん」
「ああ、みんなお休み。ふわぁ…」
詩織と沙希の優しい声を背後に、弘希はバンガローへ向かった。


一度に二人しか入れないバンガローの中は、薄暗くて程よく暖かい。時おり外から聞こえてくる笑い声を除けば、静かなものだ。
スペースに十分な余裕のあるシュラフの中で、持参した非常灯を消すと、弘希はすやすやと寝息を立て始めた。
そして…。




目次に戻る  第五章に進む