ブルブルブルブル。


テーブルの上に置いた携帯電話が震える。

「もしもし?」

通話相手の名前を確認してから氷は通話ボタンを押した。
キッチンで氷嚢を作っていたコマも動きを止め聞き耳を立てる。

「・・・ああ、そうか」

相手の長い説明を聞き氷の眉間に皺が寄った。
が、すぐにポーカーフェイスに移り変わり感情をうかがい知ることは出来ない。

「ん、分かった。悪かったな、仕事でもないのに」

氷のねぎらいの言葉。

「ああ?平気、平気。生憎、諦めが悪いのが俺の性分なんでね」

苦笑いを浮かべ氷が答え、また沈黙。

「あのなぁ?はぁ、ま・・・いいよ。じゃーな」

氷は一方的に通話を切った。
さらに電源も落とし、チノパンのポケットに落とす。

「どうかしましたか?初代様」

大人しく様子を見ていたコマは興味津々。
氷に近づく。

「ああ、俺の顔馴染みが動き出したってさ。連絡もらったんだ」

氷嚢を手にしたまま、不思議そうに氷を見つめるコマ。

「はぁ・・・?」

氷の言わんとする意味が理解できず、曖昧に返事を返す。

「それより、和也の様子はどうだ?少しは落ち着いたか?」


話題打ち切り。


氷は和也の家を訪れた本来の目的を切り出す。

「ええ。多少は落ち着いていますけれど。ラジオ体操中に倒れて以来、二週間。ずっと寝込んでいますから・・・」

顔を曇らせ、コマはため息をついた。気落ちしたコマに、氷は目を細める。

「臨死体験まがいまでやったんだろ、和也は。本当に器用な弟子だよな」

氷は傍観を決め込むのか、揶揄するような口調だ。
コマは口許を歪ませ鈍く光る瞳で氷を睨む。

「初代様はそうやって高みの見物ですか?」

声が震えるのが自分でも良く分かる。


氷に対して怒りたいのか、嘆きたいのか。
コマ自身も分からない。
ただ、自分の裡で抱えきれない衝動を吐き出してしまいたい。


「そうやって、キヨイ様の真似事でもするつもりですか?」


 前世は前世。現世は現世。
 魂の形が同じであろうと、同じ人生を歩まなければならないわけではない。
 個は個でしかないのだから。コマも、その辺は『理解』しているつもりだ。


しかし、状況が状況なだけに口をついて出るのは棘ばかり。


「私は和也様の『家族』です。
当初は形だけのもので、長様にそのように『召喚』された経緯もあります。
ですが今は違います。・・・『和也』という名の少年の心を案じてはいけませんか?
仕事だからと、割り切らなければならないのですか?」

悔しいすぎるではないか。
和也を護れない己の不甲斐なさに。
一番近くに存在しながら『真実』を告げることは出来ず、やきもきしながら現実を見守るだけ。歯がゆい思いをするのはもう沢山。


コマの我慢も限界だった。


「家族っていうのは、最始から存在するわけじゃない。他人が結婚して、夫婦になって。子供が生まれて親としての自覚が生まれる。そうやって、少しずつ育んでいくもんだ」

氷はなにをトチ狂ったか、関連性の薄い話題を持ち出す。

「答えてください!」

激昂してコマは声を張り上げる。

「和也は一人だった。事情がどうあれ、アイツは親に捨てられた。
どんなに長夫婦が釈明しても今となっちゃ無駄だろうな。和也自体が猫を被ってるしさ」

「・・・」

懐疑的な眼差しで氷を見つめるコマ。

「ありのままの和也を受け入れてるコマには、ちと分かりづらいな。和也が表面的に礼儀正しいのも、ちょっと甘えたがりなのも、反抗的なのも、社交的なのも。
全部、『和也が一人』にならないための処世術みたいなもんなんだ」

第三者的に見ているからこそ、冷静になれるのだ。
過去の経験からいって、この局面を乗り切るためには自分が敵役を引き受けるのが妥当である。
氷は突き刺さるようなコマの視線を受け流した。

「自分が異常だから家族には受け入れられない。家族でさえ自分を受け入れてくれない。だったら尚更他者には受け入れてもらえない。
だから猫を被る。自分自身すらをも騙して、和也はずっと猫を被り続けてるんだ」

窓から差し込む強烈な太陽光線に、氷は何度か瞬きを繰り返した。

「素の自分が出せないのは結構ストレスだよな。タイミングが悪いことに、前世の記憶までが蘇りつつある。下手すりゃ人格崩壊だ」

「初代様っ!」

コマの眉間に皺がよる。

「なあ?和也は自分が『悪い子』だから、一人ぼっちだと思い込んでいる。大人が悪いなんて思えないんだよ。愛情に飢えてるから」

氷は目線を、閉ざされた和也の部屋の扉へ向けた。
つられてコマも扉へ顔を向ける。

「コマ、これから『どんな事』があっても。コマは『いつものコマ』でいろよ?和也が帰ってくる場所がなくなっちまうからな」

マンションに近づく二つの気配。
コマは顔色を失い、氷嚢を床に放り投げ和也の部屋に飛び込む。
コマの後姿を氷は無表情のまま見送った。

 


夢を見る。


 何故だか三歳くらいの僕と、今の僕。
 それから、銀髪の不思議な雰囲気を持つ男の人。
 三人の『僕』が延々語りあう。


「いい加減にしなよ」

げんなりした顔の、今の僕。

「いい子ぶったって仕方ないじゃない?今更僕を見捨てた大人に取り入ってなんになるのさ。自分の居場所は自分で作る。
んで、出来れば師匠を越える男になる。これが僕等の目標なんだからさ〜」

俯く三歳の僕を見下ろし、今の僕は大袈裟な動作で両腕を大きく広げた。


「だけど、僕は星鏡の次男なんだよ?期待にはある程度応えなくちゃ。それにお兄さんも、気になっているでしょう?」

三歳の僕は縋るような目線を男の人に送る。


「ボクはただ、暖かい気持ちが欲しかったんだ。君達『人』が繋ぐ絆が欲しくて。あそこはとても冷たくて嫌いだった」

力なく笑う男の人。今の僕は盛大にため息をついた。


「あのね?アンタの都合なんて知ったこっちゃないよ。それから、星鏡における僕の立場にもね。これ以上猫被っても仕方ないだろ?」


「でも、皆は『王子』って呼んでくれて、格好良いって思ってくれてるよ?人当たりもいいし、お坊ちゃんだし」

三歳の僕は、今の僕に反論。


「馬鹿かい?それは僕等の肩書きと、計算された僕等の行動が招いた結果。お蔭様で親友一人も出来ずに一人っきりじゃないか」

言い捨てる今の僕。

「君達を否定するわけじゃない。ただ、『本来』の僕に戻ることが不満だって言う理由を知りたいだけさ。他人に嫌われるくらいどうってことないだろ?別に家族と同居してるわけじゃないし」

小学生らしからぬ醒めた言葉。今の僕は淡々と事実を口にする。

「悪いけど、同情できないね。そりゃーねぇ。環境のせいもあって、ずっと自分を抑えてきたよ?周囲の期待にだってきちんと応えてきた。
『陰』の術だって、記憶の底に押し込めてきた」

沈黙する二人の『自分』の顔交互に見て。
今の僕は退屈そうに欠伸を漏らす。


「皆が望むから。そうして何も知らない振りをしていれば、大切にしてくれるから。それが罪だって言うの?」

自己否定したくはないが、今の僕の言葉は辛辣すぎる。
三歳の僕は懸命に、今の僕を宥めにかかる。


「そうじゃない。『僕らしく』振舞ってもいいじゃん、てことだよ。本性隠しても『これから』は乗り切れない。違う?」

今の僕は、三歳の僕の髪を乱暴に崩した。

「君の考えは正しいよ」

男の人は微かに唇の両端を持ち上げる。
今の僕は大きく息を吐き出し、三歳の僕は泣き出しそうに顔を歪めた。


「嫌だよ。嫌だよ。僕は大切にされたいもん。良い子だって言われたいもん」

堪えきれずに泣き出す三歳児。


「追い詰めるつもりはないんだよ。ただ、今までみたいに三人バラバラだと大変なことが起きるんだ」

服の袖で三歳の僕の涙を拭い、男の人は優しく説明した。


「あのね〜。自分で自分慰めてどーすんのさ」

今の僕は呆れ顔。

 

 ヒタヒタ・・・ヒタヒタ。

 

どこか懐かしい。そして警戒すべき気配が二つ。
和也の身体に向けて急接近。


今の僕と男の人は急に顔を引き締めて、互いに顔を見合わせる。

「おい、チビ。表層心理はお前に任せる」


ドス。


今の僕が、無理矢理三歳の僕の背中を叩いて『表』へ突き飛ばす。
三歳の僕は訳も分からずに意識の『表』側へと送られていった。


「××××、これで良いんだよな?」

今の僕が男の人に尋ねた。


「ああ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だからね」

男の人は完全に面白がっているようで、無邪気にニコニコ笑う。


「罠に敢えて乗ってみましょうかね。全部を知っている本当の僕が表に出ると、結構厄介だし。もう少しだけ、何も知らない『和也君』で頑張りましょうか」

今の僕は両腕を前に出して伸ばした。

「久しぶりに奥から出てきたから、少し疲れちゃったよ」

そのまま両手を組みつつ頭の後ろで腕を伸ばす。


「すぐに出番が回ってくる。少ししかない休憩だけど、有意義に使わない手はないね」

男の人も少し疲れたように、その場に座り込む。


夢の中で起きた出来事。
それは限りなく真実に近いものだけど、自分自身を偽る和也が認知できるものでは無く。

 見たけれど覚えのない夢。
として、和也の脳内では簡単に処理されてしまっていた。

 

和也は結構おっとりしてるけど美味しいトコ取りタイプ。
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