其の六

 

真っ昼間の山下。

真夏の太陽はギラギラした熱線を地面に投下する。
山下公園から石川町方向に少し移動した場所にマリンタワーがある。
みなとみらい21地区が拓けるにつれ印象が薄いかもしれないが、れっきとした横浜観光地の一つ。


東京タワーとは違う、どこかレトロ感漂う景観と湾を望むことのできる展望台。


「ねえ、その怪我」

外見六歳くらいの少女。長い髪を二つに分け、耳の上の位置で結んでいる。
いわいるツインテール。
ノースリーブのマリンブルー色のワンピースが夏の日差しに良く映える。

夏休みを過ごした健康的な子供の例に漏れず、肌は小麦色。
美しく日焼けしていた。


「大丈夫ですわ、華蝶」

少女の横の女性は真っ白な包帯のまかれた右手首を、左手で擦った。


肩まで届く髪を外巻きに。女性は真っ白のTシャツにインディゴブルーのジーンズ。
有名スポーツメーカーのスニーカー。
首に巻いたマリンブルーのスカーフは、彼女の白い肌に良く似合う。


「希蝶姉様がそう言うなら、いいけど」

少女は・・・華蝶は、やや不満そうにサンダルのつま先で床を蹴る。

「それよりアイツは?姉様が接触したことで記憶が戻ってきてるでしょ?」

気を取り直し華蝶は険しい顔つきの姉、希蝶の顔を見上げた。

「ええ。かの者達が施した封印が綻び始めたわ。全てを思い出す前にこちらで身柄を確保しないと」

希蝶は口許に手を当てて半ば独り言のように呟く。
心ここにあらず、といった態だ。

「でもさぁ〜。勿体無いよね。折角『門』からこっちに出てきたのにぃ〜。
まだ少ししか経っていないのに、すぐ『向こう』に戻らなきゃいけないなんて」

華蝶は両手のひらを陽光にかざし、手が微かに透ける様を眺め楽しんでいる。

「ここは暖かいわ。『向こう』とは違う、とても暖かい場所」

淡々と言葉を繋ぐ希蝶。

「夏だしね」

微妙にずれた相槌を打つ華蝶は、ワンピースのポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭う。

「でもでも、娯楽にはことかかないよね。アタシ、○○○○ーランドとかも行きたかったな〜。このお役目が終わったら遊びに行っても平気かな?」

「ふふふ。どうかしらね?あの御方は人の生臭い欲望を何より嫌っておいでですもの。希望は薄いと思いますわ」

暑さに頬を赤くする華蝶を自愛に満ちた眼差しで見つめ、希蝶は悪戯っぽく微笑む。

「ええ〜。前のときみたいに壊しちゃうんだぁ・・・。あううう」

華蝶は落胆し、ブブーと頬を膨らませる。

「また何百年後かに『門』が自然と開きますもの。その時に遊べば宜しいじゃない?」

希蝶は剥れた華蝶の頭を優しく撫でる。

「そーだけどっ!ああゆう、ほんわかした場所で食べるからいいんだもん。あそこで箍(たが)が外れた人間の生(き)の方が美味しいし。競馬場や、夜の繁華街のよりも」

無意識に舌なめずりする華蝶。
ピンク色の小さな舌が唇から現れる。

「あら、味見しましたの?」

希蝶は、はしたない妹の言動と行動に眉を潜めた。
常に礼節を重んじる性格の次女にとって、破天荒な三女の態度は時おり目に余る。

「アタシ達だって『食事』しなきゃ生きていけないでしょ!奴等にバレないように、こっそり食べてきたから平気だよ」

華蝶は変なところで得意げに胸を張る。

「まあ・・・食事は必要ですけど?バレなければ良い、という問題ではありませんわ。わたくし達一族の品位を落とす真似だけは避けてくださいね?」


 にこにこにこ。


口調はまったく怒っていないが、希蝶の瞳は全然笑っていない。
内心冷や汗もので華蝶は一歩後ろに下がった。

「だ、だってぇぇぇ。アイツが覚醒して、あの人がこっちに来たら全部壊れちゃうじゃない?そんなの勿体無いし・・・」

上目遣いに姉を見上げ、精一杯可愛く振舞ってみる。
そんな華蝶を暫し見つめた後、希蝶はため息を漏らした。

「おそらくは、この地域いったいは壊滅的打撃をこうむるでしょうね。かの者達の抵抗にあわなければ」

希蝶は小首を傾げ、やや思案顔に周囲を見渡す。

「そのための人質でもあるんでしょ?アイツ。あの人の弟じゃなかったら、速攻で抹殺扱いだしね」

話題を転換することに成功した華蝶は、どこかほっとした様子で会話を続ける。

「本来なら必要ない人質であったものを。氷殿の存在はわたくし達にとって、意外なほどに厄介なものになってしまいましたわ」


目線の端に追跡者の姿。


気配を完全に絶っているが、妖撃者が持つ特有のオーラはもみ消せない。
希蝶は頭を左右に軽く振る。距離が遠いため、華蝶との会話までは聞こえていないようだ。


「本当、ムカツクよね。キヨイのクセして全然良い人じゃないし」

喋りながら、希蝶の目線で追跡者の姿を確認した華蝶は親指を立てる。

「たとえ前世がそうであったとしても。今の彼は氷殿ですわ。勘違いすると立場を危くしますわよ」

「うん。なかなか侮れない相手だよ。狸だし」

「ふふふ。わたくしも危く、『門』の奥深くに封印されてしまうところでしたわ」


夏休み前。


挨拶がてら氷を襲撃した希蝶。
お互いに羽目を外すほど本気ではなかったが、氷の発動した術の力で『門』の『向こう側』へ送り返されてしまった。


もっとも術の威力そのものがセーブされていて、希蝶が『こちら側』へ戻ってくるのになんら支障はなかったのだが。


「姉様・・・笑い事じゃないって」

はんなり笑う姉の顔に、顔を引きつらせて華蝶が突っ込んだ。

「たとえかの者達といえど。わたくし達クラスを消滅させることは不可能ですわ。場と、浄化作用の反動が大きすぎて都市が2・3滅びますもの」

語る内容は物騒だが、希蝶の顔の筋肉ははんなり微笑んだまま微動だにしない。
華蝶は大人びた動作で肩をすくめた。

「前と違って今は人が大繁殖してるもんね〜。都市が2・3滅んじゃったら、妖撃者の面目丸潰れ?ん〜、違う。本末転倒ってゆーんだっけ」

ニコリと華蝶が微笑めば、子供特有の柔らかい頬にえくぼが浮かぶ。

「そうですわね。わたくし達から護るべき世界を、己の力で滅ぼしてしまいかねないのですもの。ふふふ、美しい矛盾ですわ」

希蝶は桜色の唇を持ち上げた。

「ともあれ。早く仕事を片付けて温泉でも行こうよ。お願いすれば、箱根あたりは残しておいてくれるでしょ」

「箱根はぜひ残しておいて欲しいですわね。かの者達程ではありませんが、わたくし達一族も湯の嗜みはありますもの」

希蝶と華蝶、互いに顔を見合わせ一頻り声を殺して笑う。

「では、御機嫌よう」

まったく人を食ったような態度である。
希蝶はわざと監視役の妖撃者に会釈をし、風のように華蝶と共に姿を消した。


夏休みとあって展望室にはかなりの人がいたにもかかわらず、姿を消した二人に気が付く者はほぼ皆無。
監視役の妖撃者は焦る事無く携帯電話を取り出し、ダイヤルを回した。

 

春も近いのに〜。季節はまだ夏・・・。マリンタワー大好きですv
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