カツカツカツ・・・。


 信じられない、信じられない!


マンションを飛び出した後。
肩を怒らせ、道行く人を殺気立った目線で蹴散らして胡蝶は歩く。

「・・・さん?」


 あああ、腹が立つ。
 大切な人の弟子だから、自分にもかかわりのある子供だから助けたいのに。
 あの男ときたら何様のつもり!!


「ね・・・、・・・さん?」


 こういう場合は立場の弱い子供の救出優先でしょう。
 『愛する女』優先だなんて 、馬鹿にするにも程がある。
 第一、わたしは護られてばかりの弱い女じゃないのよ〜!!


「あのー、・・・で、・・・・が?・・・さん?」


 相変わらずクサイ台詞ばっか吐いて。
聞いてるわたしの方が恥ずかしいじゃない。
昔はあんなんじゃなかったのに、誰に教わったのよ。
あんな歯の浮くような言葉!


「もしもし〜?・・・さん?・・・か?」


 ひょっとして・・・。

 疑うつもりじゃないけど。
 わたし以外の女にも同じ事言ってないでしょうね、あの人。
 悔しいけど見た目は結構良い男だし。


 昔だって幼稚園では一番人気。バレンタインデーは戦争だったし。
 格好良かったもの。
 将来美形になる素質はあったのよね。


「・・・さん!!!・・・は、・・・で?」


 物腰柔らかになったし。子供の時より落ち着いた雰囲気になってた。
 今の氷はもてそうよね・・・。ああ、駄目。
 なんだか落ち込んできた。


 グイグイ。


「ひゃぁ」

胡蝶は半そで白シャツの裾を引っ張られて、裏声で叫んだ。

「あの〜?」

胡蝶のシャツを握り締めたまま、野球帽を被った少年が恐る恐る声をかける。
胡蝶の悲鳴で通行人が数人立ち止まっていた。


眉間に皺を寄せる美人が一人。

その美女を見上げる美少年風の少年一人。

場所が関内だけに『ドラマの撮影?』と訝しる人も少なからずであって。
好奇に満ちた視線が二人に突き刺さった。

注視された二人は、なかなか恥ずかしいものを感じる。

「あ、ご、ごめんなさい。気が付かなくて」

胡蝶は羞恥に顔を真っ赤にして少年に謝った。

「俺の方こそ、無理矢理引き止めてすみません」

少年もやや照れているのか返事がぎこちない。

顔を赤くして見つめあったりして、お見合いじゃあるまいし初心な二人組みである。
が、周囲の目が気になるのも当然で、何事もなかった顔を無理矢理作ると足早にそこから立ち去った。


「考え事をしていたものだから。ごめんなさい」

とりあえず、歩調を速めたまま関内駅方向に歩き出した胡蝶はもう一度謝った。
少年は頭を振る。

「いいえ。お取り込み中だったところを邪魔したのは俺ですから」

「・・・ここで話すのも困るから、あそこでいいかしら?」

少しの間。
胡蝶は咳払いをしてから、気を取り直した風に全国チェーンのファーストフード店を指差した。関内地下鉄駅近くのチキンが有名なファーストフード店である。

「人の声で誤魔化したいの。あまり聞かれて良い話しじゃないから」

しつこいようだが、現在は夏休み。

近くの某カレー博物館が近くということもあるのか、ファーストフード店は人々で賑わっている。少し先の伊勢佐木モールも通行人の量が多い。

「はい」

少年はおとなしく返事をした。


お互いの関係を推量しにくい二人組みの姿は、ファーストフード店の中へ吸い込まれた。
カウンターまでの長い行列を無言で並び、二階の奥まった二人がけの席で胡蝶と少年は向きあう。


「この間、あの人に会いましたよ。マジ・・・怖かったな〜。伊達に、おねーさんの彼氏してるわけじゃないんですね」

少年はしみじみ呟きストローからアイスティーを啜る。
胡蝶は飲みかけのアイス珈琲を喉に詰まらせた。

「か、かれ・・・しっ」

咳き込んで、またもや顔を真っ赤にし、胡蝶は辛うじて言う。
逆に少年はキョトンとした表情で怪訝そうに胡蝶を見る。

「今更隠さなくても、だと思う。華蝶はきちんと追い払えたけど、あの人は追い払えなくて大変でした。俺が怪しい行動を取れば、あの夜に抹殺されてたかも」

背中。
Tシャツ越しにだが、呪符を貼られ暗に脅された記憶を思い出して少年は力なく笑った。
正直、のっぴきならない状態だったらしい。

「ごめんなさい。氷って、邪魔者は完膚なきまでに叩きのめして排除する人だから」

フォローのつもりで氷を釈明する胡蝶。
少年は愛想笑いを浮かべた。


 フォローになってないよ。


とは、とてもじゃないが口に出せずに。


「それより、大事な教え子を妹さん達に誘拐されちゃいましたね」

ズズズ。

少年はアイスティーを口へ引き込む。
胡蝶はため息をつき、少年につられて自分もアイス珈琲を口に含んだ。

「わたしの事はいいの。ここで君に会っている時点で、あの御方の逆鱗には触れているはずだから。だけど、希蝶と華蝶。それと和也君は護りたい」

さり気に『彼氏(?)の氷』の存在に触れられない部分、彼女の怒りの度合いが分かる。
少年は困った顔で胡蝶を見た。

「俺としても無関係じゃないんで。相棒は今回の件にはまったく興味みたいだけど、俺の立場的にはちょっと」

「わたし達と氷達に睨まれると困るものね」

胡蝶の探りを少年はアイスティーを黙って飲むことで回避。
沈黙は即ち肯定を意味するが、胡蝶は黙って見逃すことにした。
胡蝶とてそこまで鬼ではない。

「妥当な線として、教え子君を助けに行くんでしょう?おねーさんは」

強引に少年は話題を変えた。

「ええ、当然!和也君が・・・『あの子』の記憶を取り戻しても。前回とさほど変わらない結果が待っているわ。『あの子』はとても強情だから・・・あの時と同じ行動を繰り返すだけでしょうし」

胡蝶の顔つきが真面目なものに戻り、考え考え自分の意見をまとめる。

「最悪は転生して終わり、ってコトだね。その代償が、この街丸々一つってゆうのは気に入りませんけど」

ストローを唇に咥えたまま少年は軽い口調で応じた。

「街が滅びることに罪悪感がないのよ、わたし。元々人じゃないし、氷が聞いたらやっぱり少しは驚くでしょうね」

胡蝶は両手で頬を包み、上半身を左右に振ってイヤイヤのポーズ。
死者を出すことに幾ばくかの罪悪感はあるらしい。

「俺はモト人だから、罪悪感ありまくりですけど・・・」

少年は他種族の女性を前に、棒読み口調で答えた。

「そうよね。引っ越してきて早々地元が無くなったら困るわね」

少し違うような、当たっているような胡蝶の指摘。
少年はどう言葉を返していいものか、真剣に悩む。

彼女と同じ種族の相棒のお蔭で大分理解はしているつもりだが、『異文化コミュニケーション』って難しい!!!

少年は肩を落として心で涙した。

「俺としては少し気になることがあるんです。あんま、妖撃者について詳しくないんで間違っていたら言ってください」

胡蝶は首を縦に振る。

「ええと、おねーさん達が本来住んでいる世界『あちら側』とこの世界は、まったく別なんですよね?それを初代妖撃者の長って人が偶然通路を開いた」

少年は頭の知識をまとめる為、意識を志向の海に沈めた。

「おねーさん達と、妖撃者の一族の人達の交流が始まる。けど『異文化』を互いに理解するには、双方の部族が未熟すぎて軋轢を生む」

少年の脳裏に浮かぶ漠然としたイメージ。


人々と、人ならざるものが互いにしのぎを削り存亡を賭けて戦う。
まるでゲームの世界か小説にでも出来そうなシュチュエーション。


「おねーさん達の部族の長が過激だったのもあって、すぐに戦争状態。妖撃者の一族をジワジワ追い詰めた。そして後一歩でこの世界を制圧できるところまで来た。

だけど、初代妖撃者の長の人が通路に門を作る結界を張った。初代の長自身が楔となり、『あちら側』と『こちら側』の世界を分かつ。それが代々の妖撃者の長が司る『門』という名の呪縛であり罪である」


一気に言い置いて少年は大きく息を吐き出した。


「わたし達の長。『あの御方』は破壊の衝動を抑えられない本能の塊みたいな人なのよ。我が一族は多少心が欠けてる者が多くて、妖撃者・・・いいえ、人の感情を心底理解することが出来なかった。今でもそうね」


胡蝶は空の紙コップをテーブルの脇にどかす。
アイス珈琲を飲みきったのだ。


「あの時もそう。全てを支配せずにいられない『あの御方』は、この世界の全てを手中にすることを望んだ」

「今でもでしょ?俺が生まれる数年前に、封印してある『門』が完全に開く妖撃者の厄日みたいのがあったって話聞きましたよ?」

飽くなき欲望を抱え未だにこの世界を狙う執念深い妖。
かの人の姿を思い出して、胡蝶と少年は同時に苦笑した。

「妖撃者では『大開(たいかい)』と呼ぶ日ね。数百年か、数十年周期で『門』が開くの。人間の負の感情に呼応して開く門だから、妖撃者も苦労してるみたい」

「ふーん」

妖撃者の苦労には互いに興味がない。二人はあっさり話を打ち切る。


「でさ?その前回の『大開の日』は妖撃者が勝利。おねーさん達の長さんは、『向こう側』に追いやられたでしょ?だけど今になって『門』を経由して堂々とこっちに来るってのはどうなの?『門』が全開に開ききらないと、長さんは出てこれないんじゃないの?」

少年の疑問は完全に素人じみたものだが、胡蝶の考えに光を灯す。


「・・・!?そうね、おかしいわ・・・」

胡蝶は形の良い指先でテーブルをトントン叩いた。

「おねーさん達は、どうして?『門』を経由しないでこっちにこれるの?」

「いいえ、門は必ず経由してるわ。通常なら本来の力半分も出せない身体でこちら側にいることになる。つまり、門に付いた警報に引っかからないように小物の妖のフリをしてこちら側に来ていたの。だから妖撃者達はわたし達に気がつかなかった」

「隠して密輸?」

こちら側風に解釈する少年。あながち間違いでもないので胡蝶は首を縦に振った。

「正確な表現ではないけれど、近いものはあるわね。今回は『あの御方』が『門』を歪ませてくれたから・・・完全な力を持って、わたし達はこちら側に居るの」

「考えれば考えるほど、出来すぎている。長さんが狙うなら俺か、初代生まれ変わりか、妖撃者の長だ。俺ならそうしますよ?力を蓄える為に。力に目覚めていない××××を襲うのは楽だろうけど、そんなセコイ真似しますか、長さんは?」

「・・・しないわ」

険しい顔つきの胡蝶が硬い声音で断言した。

「ま、そこら辺は実際に見て確かめないと分からない。俺も今回の救出劇に参加する資格はあると思って、おねーさんに接触しました。ご一緒してよろしいですか?」

少年は悪戯っぽくニヤリと笑い、胡蝶へ手を差し伸べる。
胡蝶は決意を秘めた瞳で少年の手を取る。


様々な人でごった返すファーストフード店内から二人の人間(?)が消えた。その事実に気がつくものは皆無。周囲は相変わらず夏休み満喫雰囲気が充満していた。

 

帽子少年は苦労人です。これからも。
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