夏も盛りの七月中旬。半日授業も終了。

教室の掃除も終わりあとは帰るだけ。
和也は机の中から教科書類を取り出し鞄につめた。

夏の暑さにダルさが増す。
トロトロした動作で席を立ち教室を去る。

「星鏡〜、またな」
廊下でクラスメイトとすれ違う。

手を上げる少年に「うん。バイバイ」と、条件反射的笑顔付きで和也は手を振った。

下駄箱でスニーカーに履き替える。
革鞄を手に校舎前で待機。誰かを待つらしく帰るそぶりはない。
「和也君、バイバイ」
面識のある女子が、満面の笑顔で和也に手を振る。
「バイバイ」
こなれた様子で手を振り返す和也。
結構マメな王子様は挨拶を返す。
女子は興奮で頬を高潮させ、口許をほころばせた。

罪作りだ……。

待つこと数分。

「あれ〜??? 師匠だ」
校門近くに佇む青年が一人。和也は青年に走り寄る。
「ったく、俺がじきじきに迎えに来たんだ。感謝しろよ」
青年は笑い、和也の頭を軽く小突く。

水流 氷。(みずながる こお)
見習い妖撃者『和也』の師匠で凄腕妖撃者。
前世が、初代妖撃者の長という胡散臭い肩書きを持つ。
有り余る潜在能力の影響で、老けにくい肉体を持つ喰わせ者。
師匠は普段は力を封印。外見年齢が中学生ほど。
実年齢は二十八歳で、和也いわく『大人子供』

最近まで和也は、『氷が実年齢の姿を取れる』コトを知らなかった。
尋ねた弟子に、師匠は『聞かれたことがない』と、お約束なお言葉で応じてくれたものだ。

「コマ、どうかしたの?」
梅雨時の襲撃事件以来。
相棒のコマが和也を学園まで迎えに来てくれた。
身の安全と事件の再発防止処置として。

小春=コマ。通称『コマ』
和也一筋七年。
忠犬街道驀進中の霊犬。
彼女は、犬の姿と人の姿をとれるスーパー家政婦さんだ。

生徒達からは距離が遠く会話も盗み聞きされない。
気安さも手伝って被っている猫を脱ぐ和也。
素の表情で氷を見上げた。

「神経が休まらないから嫌だとさ」
氷は憮然とした表情で答える。
遠巻きに和也を見つめる少女たちの視線。
視線は遠慮なく氷にも降り注ぎ、神経を逆なでする。

だがここは大人。
氷は不快感をおくびにも出さず、片眉だけを器用に持ち上げた。

「ああ。僕、もてるもんね」

 あはははは〜。

能天気に笑う和也。黄色い歓声が沸く。
「俺まで巻き込むなよ?」
氷は和也の耳を摘まんで忠告一言。

やはり、黄色い歓声が沸く。

「分かってるよ〜。師匠、普段は中学生くらいだもんね。バレたらマズイくらいは僕だって知ってるって」
和也の言葉には危機感が欠ける。
イマイチ、己の危うい身の上を理解していない印象を受ける。
気苦労の耐えない師匠は額に青筋を浮かべた。
「僕だって、綱渡り生活だし。気をつけなきゃいけない。だから努力してるでしょ? サワヤカ少年って感じで、そういう行動とって」
和也は口を尖らせた。

力の反作用。反発。

和也の抱える無意識の反発力。
長の子供として生を受けつつも、和也は家族と共に暮らしていない。
和也の力と、家族の力が互いに反発を起こす。

磁石の同極を向けるように。

両親と歳の離れた兄。
彼等と別れ関内で相棒と二人暮らしを続けている。
家族のフォローがない中、異なる世界観を持つ妖撃者として暮らすには神経を使うのだ。

人とは違う。

クラスメイトとも違う世界。

普通の子供じゃない特権。
普通ならざる日常を持つ子供。非現実の束縛。

友達と遊んで、塾に通って、ごく平凡な毎日を過ごす。

クラスメイトの日常は、和也にとっては非日常。
人とは違う優越感と皆と同じではないと感じる劣等感。
相反する感情を和也は持て余す。
「そうだな。和也はよくやってるよ」
怒りを静め。
氷は優しく微笑み和也の髪を乱した。
氷の頬にえくぼが浮かび、しつこいくらいに黄色い歓声が巻き起こる。
「……それにしてもだな。コマが滅入るのも分かるぞ」
和也を気にして下校しない一部の女子生徒達。
彼女達の注目を一身に浴びる和也。
それらに辟易した様子の氷。
和也は肩をすくめた。
「愛想良くしておけば、下らない詮索を受けなくて済むから。一種の護身術だよ」
年を追うごとに弟子は可愛げが無くなる。
和也の年齢からして、腕白盛りなお年頃であるが。

最近では言動にも背伸びしたものが目立つ。

「そーかぁ? 俺は今年のバレンタインに、恐ろしいものを見たぞ」
氷が眉間に皺を寄せた。
「ゴメン、師匠。来年は、市販のチョコだけ師匠に回すから」
悪びれもせずに和也は無邪気に笑う。

今年の二月。
忘れもしない、バレンタインデー。

持ちきれないチョコをゲットしてきた、我らが王子は。
余ったチョコをお裾分けと称し。
コマと氷に均等に分けてよこした。

チョコに罪は無い。妙に人気のある和也も、悪くはない……が。

「そうしてくれ。手作りチョコに篭った怨念は見たくない」
額に手をあて氷は低い声で呻いた。

和也は感知能力が鈍い。
妖を察知する能力が低いのだ。
だから、和也は手作りチョコだろうが、市販だろうが。チョコに込められた想いを見ることがない。
というより、無意識に。
それらの想いが見えないよう和也が意識を遮断しているだけかもしれないが。

師匠で激強妖撃者氷には、手作りチョコに宿った執念が見えてしまった訳で。
それは、それは恐ろしい体験をした。

「僕は鈍くてラッキーだよね」
青ざめる師匠とは対照的に和也はご機嫌だ。
三月のお返しはタイヘンだけど、色々な種類のチョコを食べれて結構嬉しい。
和也の頭ではそれくらいの認識しかないイベント。
それが、和也にとってのバレンタインデー。

来る者拒まず王子様気質、小五ながら末恐ろしい子供だ。

「ふぅん? 大勢を手玉に取るのはいいが、後が怖いからな? いちおう、忠告だけはしておく」

女の情念岩をも通す。

やや御幣はあるものの、氷が実体験した仕事から学んだ一言。
氷はゆったりした仕草で一指し指を左右に振った。
「うっ。なんか棘のある台詞」
和也はわざとらしく傷ついた表情を作る。
「棘? 後ろめたく誑(たぶら)かしてるからだろ、イタイケな乙女達を」
皮肉をたっぷり込め氷は和也の眉間を突く。和也は頬を膨らませた。
「嫌味ったらし〜。師匠もてないよ、そんなに意地悪だと」
「心配ありがとう、和也」
和也の口撃なんのその。

氷は不敵な笑顔で、和也の一撃をあっさりかわす。
正に大人の余裕。
包容力ありそうな大人の男の笑み。

「くそう。師匠が大人の魅力なら、僕は子供らしい愛くるしさで勝負だ!」
和也は、親指の爪を噛み噛み拗ねだす。
「てゆーかな、なんの勝負だ。なんの」
子供の発想は理解不能。

昔は氷も子供だったが社会に出ると子供の頃の気分を忘れてしまう。
いや、仕事をこなす上では邪魔にさえなりうる感情。
つもりはなくとも、切り捨て、闇に葬っているのかもしれない。

好奇心旺盛だった子供時代の自分を。

「目標だからじゃん、師匠が。僕の目標なんだよ」
和也は一人むくれている。
「あ、そう」
言葉半分で聞き流し。

氷は適当に相槌を打った。

この炎天下の中、わざわざ弟子の主張に耳を傾けてやれるほど暇ではない。
適当に聞き流すのが氷にとっては得策なのだ。
「信じてないだろ〜」
和也は抗議した。
無関心まるだしの師匠。
思わず地団太を踏んでしまう。
「議論はそこまでにして、早く帰ろうな?」
軽く和也をあしらう氷。

「……そだね」
憤ったらなんだかお腹が空いてきた。
和也は胃の上を擦り、力なく同意する。
空腹は一回自覚すると加速するもの。
思いのほか単純な和也に氷は忍び笑いを漏らした。

「帰ったら、昼飯して、後は訓練」
有無を言わせぬ氷の言葉。
瞬間、和也は空腹を忘れた。
「えっ……べ、勉強あるし……」
和也はベタな言い訳を氷にぶちかました。

実は和也訓練嫌い。

地味で実り薄い訓練より、実戦を体験したい。
常日頃、わがままを連発し氷とコマを困らせていた。
和也は意地汚く足掻いてみせる。

「勉強?」
「そそそ、そうなんだよ、師匠」
蛇に睨まれた蛙よろしく、額から汗を噴出す和也。
どもりどもり、言葉を繋げる。諦めの悪い王子様だ。
「へぇ。どっちつかずの和也が勉学に目覚めたか。関心じゃないか」
拍子抜けするくらい簡単に。氷は和也を褒めた。
「え? う、うん。頑張ろうかな〜、なーんて」
和也は一瞬間抜け面を浮かべるが、持ち直して言葉尻を合わせる。

「和也が頑張るなら平気さ。これで二学期の成績は、オール五かぁ? 楽しみだな」

 ポンポン。

氷は陽気に和也の肩を叩く。

「……」
和也は大口を開け固まる。
盲点を師匠に突かれ茫然自失。勉強するということは。
進学校に通う身分の小学生が、勉強すると宣言することはっ!

成績を上げます。そう言っているのと同じだ。

「……訓練お願いします」

負けたっ。
何時ものパターンだけど、負けた……。

和也は肩を落とし師匠に許しを請う。
「分かれば宜しい」
氷が鼻で笑った。

和也の魂胆は見え見え。
見抜けないほうが間抜けである。
生憎と氷はそこまで間抜けではなかった。

結局。お師匠様には勝てない、お弟子さんでありました。


コメントも苦しくなるような、よくあるオチ。・・・(滝汗)
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