師弟漫才が展開されていた頃。
女は生徒に混じってそこに立っていた。
至極冷静な目で和也を監視する。
青年はパッと見、和也と似た様な雰囲気を持つ。
親戚か何かと感じてしまうほど。
無邪気に青年と語り合う王子様。
しかも青年相手に笑顔連発。
滅多に見られない王子の極上笑顔。
女の周りにいた女子生徒が黄色い悲鳴を上げた。
隠し撮りまで試みる高等部の女子の姿もある。
和也が何か言った。
青年が顔を上げ、女を、見る。
青年の切れ長の瞳が女を映し出した。
― 時が止まるかと 思った ―
五月蝿いくらいの蝉の音。
生徒のあげる、子供特有の甲高い声。
学園の脇を通る車のエンジン音。
それら全てが凍り付いて。何も、自分の呼吸の音さえ聞こえない静寂の間。
女は瞬きすら忘れ青年の顔に魅入った。
それも少しの、ほんの僅かな時間で。
改めて女は息を飲み込み目を見張る。
視線を咄嗟に逸らし生徒の流れに逆らって校舎内に逃げた。
きっと今の女は動揺して酷い顔をしている。
自覚はある。
生徒だって不思議そうに女を見るが構ってなどいられない。
一階、階段下の物置スペースに潜り込み、身を潜め息を殺す。
心臓は激しく波打ち静まるどころか勢いを増した。
「流石に驚いてるみたいですね」
澄んだ少年の声。
階段の手すりに少年が身体を預けている。
目深に帽子をかぶり、Tシャツ・ジーンズ姿。
明らかに学園外部の人間。
「……っ!?」
女は身体を固くして身構えた。
気配すら感じさせないただの少年。
彼は『かの人』と共に姿を消した少年だ。
『あの子』同様、女達が捜し求めている人物である。
「いや、あのですね〜」
呆れた様子で少年は女を見た。
「頼みますから勘違いしないで下さい。俺はどちらの味方でもない。俺自身の都合で動いているだけなんで」
野球帽のツバを触り少年がぼやく。女は目を伏せた。
「おねーさんがどうしたいか。俺にとやかく言う権利はありませんし。アレがどう動くかなんてのも無関心です。ただ?」
少年の目線が女を捕らえる。
逃げることを許さない王者の眼差し。
「マジで戦うつもりですか?」
心臓を鷲掴みにされる。
掴まれて、ギュウギュウ握り締められ、潰されたような威圧感。
女は無意識に心臓を抑える。
「それ……は…」
苦しい。
女は苦痛に顔を歪めた。
実際に胸が痛いのか? 心が痛いのか?
判別がつかない。小刻みに呼吸を繰り返す女を少年は無表情に見下ろす。
「まぁ、直接俺に関係ないですけどね。アレの味方はしないですし」
女の顔に動揺の色が走る。
無理もない。
女しか知らない秘密をこの少年は知っている。
「そうそう。おねーさんのボスが俺を潰す気なら」
徐に少年は話題を変えた。女を見つめたまま口だけで笑う。
「俺、滅茶苦茶に暴れます♪ 遠慮はしません」
事実上の攻撃宣言。女は唇を噛み締めた。
「話の分かる、おねーさんにだけは教えておきます」
少年の姿が掻き消えた。空気に溶け込むように、ごく自然に。
「……」
両手を床に付き女は目を閉じる。
遠くに聞こえる蝉の声。
喧騒が耳を触り生暖かい空気が身体を包み込む。
暑ささえ忘れてしまった体から、暑さの為なのか、重い事実のせいか。
汗が噴き出す。
全ての始まりを告げる幕が切って落とされた。
後戻りなんて もう できない。
人気の無い校舎。
女は涙を一粒、床へ零した。