視界一杯に広がる青。

少し前に観た陰陽師の映画に出てきそうな、雅な着物。
ちなみに男性用。
真っ白な装束の少年は穏やかな顔つきで、濃紺の着物を着た銀髪の青年を見上げていた。
薄い水色の瞳と深い藍色の髪が印象的である。


「貴方の兄上殿は……引いてはくれないのですね」
幼い顔に絶望と諦めの色が交差した。

「君が後に引けない、そう思う気持ちと同じだよ?」
シャボン玉のような泡が二人の間を流れていった。
少年は小首を傾け、どこか懐かしむようにはんなり笑う。
「本能は争いを求める。でも僕自身は……少し複雑かな。君達アカシの一族とは、対等の友達になれると……信じていたから。今でも」
青年の銀髪が風に煽られてサラサラ靡く。
対の銀の瞳を細め、青年が指先に泡の一つをそっと乗せる。
「長兄とすぐ上の姉上を失くした後でも?」
少年は酷く寂しそうな顔になってうなずいた。
「寧ろカナタ兄上とエン姉上にとってはよかった、と。
輪廻の輪を潜り新しい平凡な日々を……争いの無い、平和な日々を送って欲しいから。
二人ともは普通だから。僕から比べれば」
自嘲的な笑みを浮かべ、少年は右手を泡の群れに差し込む。
「僕の『能力』は限りなく貴方達に近く、それを上回っている。だから『道』が開けてしまった。僕がその力を持っていたばかりに」
少年の右手が輝き泡が光の渦に飲み込まれ消えた。

「後悔? それとも……懺悔?」
青年が指先の泡を握りつぶす。
「慟哭。もしくは己に対する憎悪」
答えて、少年はやや長めの前髪をかきあげた。

「残念だな。ボクには『慟哭』が分からない。存在しない感情だから」
申し訳なさそうに青年は曖昧に笑う。
「感情の欠落なんて、本当は嘘だ。そう思い込むことで、貴方達は感じるはずの痛みから逃れているだけ。少し卑怯だね」
少年はやんわり否定し全てを見透かすような眼差しを青年に送る。
思いも寄らない少年の洞察に青年は暫し絶句した。
「次に接触した時には全力で。全力で我が血族と闘って下さい。アカシの一族に対する最大限の敬意を示します。兄上殿にお伝え下さい」
深々と頭を垂れる少年。

泡は、ただひたすら穏やかに。
二人の間を流れていた。



頭が……イタイ。
酸欠で、心臓も激しくドクドクして冷や汗とかかいてる。
陸に上がった魚のように身体が痙攣してどうしようもない。

遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。
「おいっ、カズ、和也っ!」
頬を容赦なくベチベチ叩かれる。
頭が痛いのとはまた別の痛み。頬が熱くて痛い。
「ううう〜」
意味不明瞭な呻き声を上げる自分の喉。
まるで臨死体験でもして、空から自分を見下ろしているみたいに。
己の身体の反応を遠く感じる。
「すみません。具合が悪いようなので、暫く休ませます」
やたら滅多に丁寧な口調の師匠。

……体調不良が悪化したあまり、幻聴でも聞こえてるのかもしれない。重症だ。

「救急車を呼んだ方がいいんじゃないかね?」
子ども会の役員のオジサンが、師匠に尋ねてる。
「ええ。様子を見て危険なようでしたら。この子の身内に医師もいますし、彼に連絡をとろうと思います。主治医なんですよ」
物腰柔らかな師匠の返答。

嘘だ、こんな社交的な師匠はニセモノに違いない!
もしかしたら師匠に化けた妖が僕を攫いに来たのかも……。危険。

「和也の身体が熱っぽいので、早めに部屋に連れて行きます。お心遣いありがとう御座いました」
身体が浮揚する。

駄目だ、危ない。誘拐される。

「ううう〜」
どんなに努力しても出せる声といえばこれ。
意味不明な呻き声。

はぁ〜。
これでも『潜在能力だけは超一流』の妖撃者の見習いなのかなぁ〜、僕って。
指さえ動かせずに、どこかへ運ばれていく。

いっそ歌ってやれ。

ドナドナドーナ、ドーナァァァァァァ。

「あぁ……うううぅぅぅぅ〜」

なんで呻き声で歌うんだよ、自分っ!
自分で突っ込みなんぞ入れてみる。
……む、虚しすぎ。


目の奥がチカチカする。師匠に頭を殴られた時みたいに。


濃紺の着物。
銀の瞳・銀の髪の青年は、黙ってその人を見上げていた。
「本当、困ったものですわ」
口許に手を当てて、傍らの美女はため息をつく。

燃えるような赤い衣。紅玉の瞳。
顔立ちは華蝶や、青い衣の美女と非常に似通っている。

「希蝶も心配だよね」
その人をチラリと見た後、青年は顔を美女へと向けた。
「わたくしとしては、××××様のほうが心配ですわ」
美女は、希蝶は憂い顔で青年の手をそっと取った。
「ボクが? それは彼と密会したから? この間の接触で手加減したから? 最近食事を怠けているから?」
揶揄するように青年が希蝶の手に唇を寄せる。
希蝶は眉根を寄せた。
「全てですわ。かの者達とて聖ではないのに。現にわたくし達と方法は違えど、他者の命を奪って己の糧としているではありませんの」
希蝶にしては嫌悪感もあらわだ。
何事に於いても終始控え目な彼女が、ここまで感情を表に出すのは珍しい。
「狩りをするよね、彼等は。ボク達がヒトの心を糧とするのと同じで。違いなんか殆ど無いね」
猪の肉を解体していた彼等一族の姿を青年は頭に浮かべた。
希蝶は指先から幾つもの小さな炎を空へ飛ばす。

赤い炎に真っ赤な太陽。
地平線ギリギリに沈み行くそれは、周囲の雲も茜色に染め上げていた。

「命を奪い生き永らえる分際で、わたくし達一族を非難する権利などありませんわ」
西へ沈む太陽と東から迫る月。
東の空は青から濃紺、紫を経て漆黒へと変化する。
希蝶が空へ投げ出す小さな炎が星のように瞬いては消えた。

「どのような事情があれ、我は引かぬぞ。××××?」
そこでようやくその人が青年を見下ろした。
逆光で表情は窺えない。
声の調子からして青年と同じくらいの年齢か。低くよく通る声音である。
「承知していますよ、兄上」
青年は条件反射のようにこう答える。

夕闇に揺れる沢山の黒い影が、三人を取り巻いていた。
その人が手を上げれば四方に散り散りに飛んでく。

「希蝶、行け」
風が。
風が青年や、希蝶、その人の髪を撫で遠くに去ってゆく。
「御意」
希蝶はその人に応じ指先で唇をなぞる。
それまで桃色であった希蝶の唇に紅が引かれた。
艶やかな美しい焔色。
彼女のひめたる気性そのままの赤。

「野生の花ほど……手酷く手折ってみたくなる」
その人は抑揚のない口調で言った。
口許だけが僅かに笑っている。
彼等の作り上げた砦の明かりが、その人の目線の先にあった。


「ボクはずっと愛でていたい」

青年は兄に聞こえないように口の中だけで呟く。


希蝶と黒い影が失せた草原。
ススキの穂がたなびく黄金色の海が、茜色に照らされ幻想的な風景を生み出していた。


しっかし長い前フリですね。読む方も大変。
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