喫茶店のミルク 
ある日喫茶店ができていた。一緒に入ったクラスメイトは誰だったか覚えていない。通りかかるたび、一度入ってみたいと思っていたのだろう。二人でこわごわ入ってメニューを見て「ミルク」を注文した。朝顔型のコーヒーカップに、今思えばコンデンスミルクであろう、そこはかとなく甘い匂いが立ち昇って、熱いお湯で薄めた「ミルク」が運ばれてきた。金額は1円だった。これは大冒険である。帰ると直ぐ母に告白した。こともあろうに子供同志で喫茶店にと叱られると思ったが、母は笑って聞いていた。私はミルクが嫌いなのに、多分メニューの中で一番料金が安かったか、ミルクが子供の飲み物だと思ったのだろう。

幼いとき、母が輝いた顔でお椀を差し出すと「Fちゃん、これ飲んでごらん」といった。私は何も考えずにがぶりと一口、口に含むと「わぁ」といって吐き出した。「あかんかぁ?」母は笑いながら「赤ちゃんを産んだお母さんが、お乳が余ると言わはるので貰ろてきたんやけど」と言った。その次は山羊の乳だった。「やぎさんのおちちやて」と真っ白い液体を見せられただけで「くさい」と言った。「栄養があるさかい、ちょっとでええから飲んでみなさい」と何とかして飲ませようとしたが、私は逃げ出してしまった。食べ物に好き嫌いが多く、食が細い私は随分母を困らせたようだ。きっと山羊のお乳も簡単には手に入らなかっただろう。

戦後まもなく、欧米人の体格がいいのは母乳でなく粉ミルクで育てるからだという説が広まって、人前で胸をはだけて母乳を与えないで、哺乳瓶で粉ミルクや牛乳を与えるのがカッコイイ先進国の育児だとする風潮に傾いていった。「私もミルクで育ててくれたら良かったのに。おかあちゃんの母乳で育ったから栄養不良やね」と母に言ったことがある。母は黙っていた。

生まれて十月(とつき)になったとき、父方の祖母に抱かれて私は生母から離されて京都の「母」の許に連れてこられた。当時のこと、まだ母親のおっぱいを飲んでいる盛りである。母は随分苦労してミルクで私を育てたらしい。ずっと後になって人から聞かされたのである。