モンペを履いた白い足 
小浜の温泉宿が立ち並ぶ海岸の道の防波壁に立つと、橘湾を隔てて低い山々の向こうに長崎市があるらしい。ここから原爆が落ちた日、絵に描いたようなきのこ雲を見たと言う。その防波壁を乗り越えて少し出っ張ったコンクリートの棚に並んで腰をかけ、両足をぶらぶらさせながら、よくとりとめもない話をF旅館の子とした。
満潮の時は真下まで海水が来るが、引き潮になると砂やゴロゴロした岩が現れた。私達の姿は海からしか見えず、すぐ傍の道を通る人は人の声に驚いて、壁の海側を覗き込んだりした。広い海に私達二人だけがいるようだった。

突然周りの空気が揺れた。「死人が出た、見に行こう!」と彼女が言った。私はわけも判らず彼女の後をついて走った。バラバラと人が寄ってきた。道路から砂浜へ通じる坂道まで来た時、警察の人だろうか、戸板に載せてゴザを被せた人を運んできて、ゆっくりと私の目の前を通っていった。白い素足が二つ、行儀良く並んでゴザからはみ出て、濡れた薄いモンペの生地が細い足首にべったりと貼りついていた。私はその場に立ちすくんでしまった。

戦争が終わって1年目の夏が来た。人々は戦が終わると直ぐにモンペを脱ぎ捨てた。母は小浜に来てから着物をほどいて、洋裁の内職をしている人のところへ持っていってワンピースに仕立ててもらった。ちょっとくすんだ青い色に極細い白い糸が縦縞に入っている絹だった。何処に行くのも洋服のよそゆきはそれ一枚だった。裾に程よくフレアがはいって半袖のワンピース姿は母を若々しく見せて、私はその服を着たときの母が好きだった。

死者がモンペをはいていたというのがショックだった。死を決意するとき、死後の姿を想定して身だしなみに気を遣っていたのだ。戦争が終わったというのに、死ぬほどのどんな悲しみや絶望があったのだろうか。一度脱ぎ捨てたモンペを再び履こうと決めた時、どんな気持ちだったのだろう。いろいろと頭の中で想像が広がっていった。ゴザで覆われて顔も年の頃も判らなかったが、足首まできっちりと包み込んだ白い裸足が脳裏に焼き付いていつまでも消えなかった。