勘太郎月夜唄 
終戦の翌年、父の仕事の関係で雲仙岳の麓、いで湯の町小浜町に一時期住んだ。狭い道の海側は旅館が軒を並べ、その間のところどころに「わた打ち直し」 や小さな間口の店が入っていた。学校のクラスの子は旅館の子供が多かった。中でもF屋旅館の娘と私は仲良しになった。昔からの馴染みの湯治客が多かったらしく可愛がってくれる常連客の話や、客から聞いた面白い話など聞かせてくれたので、私は殆どいつもその子と一緒だった。思えば旅館の子供は概して早熟であった。

或る日、学校帰りに彼女は芝居を見て帰ろうと言った。保護者の同伴なしでそんな所に出入りしてはいけなかったし、学校帰りに寄り道をする事も禁止されていた。親の言いつけや学校の規則を守る事にかけては私は優等生であった。空恐ろしい事と思う私の手を強く握って彼女は芝居小屋に連れて行った。木戸番とは顔馴染らしく、彼女が何か言うと黙って二人を入れてくれた。温泉町を回る旅芝居の一座を見るのは初めてであった。彼女は満員の場内を私の手をひっぱってぐいぐい押し分け大人たちの前に出た。先生に見つかったらどうしようとドキドキしながら、大人の蔭に身を隠すようにして、ちょっとだけ見たら直ぐ帰ろうと思っていた。遅い帰りを心配するであろう母の顏が浮かんだがずるずるとそのまま見続けてしまった。

今度こそ帰ろうと思ったとき、急に観客がざわめいた。スピーカーから「勘太郎月夜唄」の前奏が流れ始めると一斉に拍手が沸き起こった。すると舞台の左手から縞の合羽に手甲脚半、草鞋履き、三度笠に顔をかくしたほっそりと、どこかたおやかな姿が足取りも軽く現れた。
「マッテマシタッ! メリーさん!」あちこちから同じような威勢のいい掛け声が飛んだ。〜影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひくけむり〜 歌が流れると会場は大騒ぎになった。三度笠をとって現れたにっこり笑った顔は、あきらかに日本人離れのした鼻の高い白人女性のそれであった。これがこの一座の最大の呼び物であったのだろう。彼女は勘太郎月夜唄の歌にのって格好よくひとしきり踊るとヤンヤの大喝采であった。私はすっかりその格好良さに惹きこまれてしまって、とうとう最後まで見てしまった。

メリーさんが引っ込むと同時に私は芝居小屋を飛び出した。あたりはすっかり薄闇がおりていて夢から我に還ったようであった。人っ子ひとり通っていない海岸沿いの道を小走りに駆けた。深い後悔と罪悪感で今にも潰されそうで、ひいひいベソをかきながら走った。前方に人影が見えた。その人はず〜っと海を見ながらこちらへ向かって歩いてきた。私は全速力で駆け出すとぶつかるように抱きつき、しゃっくりをあげて泣き出した。帰りが遅いので探しに来た母であった。そのあと私はすっかり安心して、勘太郎月夜唄を踊ったメリーさんの話をしながら母と一緒に家路についた。