進駐軍 
長崎の家の直ぐ近くに日本軍の司令部があった。そこは真っ先に接収されて駐留軍の施設になってしまった。小学生や小さな子達が門近くの道路に時々群がっていた。司令部の敷地の周りは塀代わりのさほど高くない土手に囲まれていたが、時々そのてっぺんに腰を下ろし、長い足を前に投げ出して、アメリカ兵がチューインガムを一枚ずつ子供に配っていた。
丁度私の叔母がそこを通りかかった。初めて手にしたものを珍しそうに見ている何処かの子供の手からそれを引ったくると、パッと地面に投げつて下駄の歯でキュッキュッと踏みにじってしまった。男の子がポカ〜ンとしてたので家の中から見ていた私は可笑しくて笑った。黒人の米兵に手を出している子供達のそんな光景を、日ごろから苦々しく思っていたのだ。母に話すと、終戦直後は「刺し違えてやる」と言っていたのに何故か好意的で、「あの人たちは人懐っこいのよ」と言ったので意外に思った。

その後実際にチューインガムを口にするようになったとき、なんとヘンな食べ物だろうと思った。最初は甘かったが、直ぐ味がなくなった。少しづつ噛んで無理やり飲み込んだら、吐き出すのだと聞いてまたびっくりしてしまった。

ある夕方、その進駐軍宿舎の角を通りかかったら、回転焼の屋台が店を開いていた。小豆や砂糖なんて、闇ルートを知らない一般家庭ではとても入手出来なかった。G I が4人ほど軍服姿で屋台の前に立って焼きたてを頬張っていた。ホッ!ホッ!ホッ!ハッ!ハッ!ハッ!と、宵闇をつんざくような大きな笑い声をあげて、身を捩じらせ大はしゃぎで食べていた。人通りのある道端で、しかも大の大人が立ったままで買い食いする。なんて下品で野蛮な連中だろうと思えば、夕風にのって流れてくる美味しそうな匂いも我慢できた。


食い物の恨みは恐ろしいと言うが、甘いものが大好きだった私は、大騒ぎしながら食べていた米兵の姿を、大人になっても時々思い出していた。そんな或る日突然、あれは笑っていたのではなく、 Hot ! Hot ! と英語で叫んでいたのだと思い当った。彼らは皆猫舌だった。