お弁当 
この学校に編入されるのはこれで3度目だった。母に連れられて沈みがちな気分で校舎に近づくと、音楽教室からオルガンの音色と生徒の歌声が聞こえてきた。

  ♪遠い山から吹いてくる/小寒い風にゆれながら/
        気高く清く におう花/きれいな野菊 うす紫よ♪

編入された6年生のクラスには4年生の時の親しい友達がいた。この翌年、学制改革で義務教育となった「中学校」と言う、女子には違和感のある上級学校にみんな揃って進学して、新制中学1回生となった。女学校の受験勉強をしなくて済んだ代わりに、憧れの県立高等女学校の校章、三つ山
の上に輝くカシオペア座を八咫鏡やたのかがみ)でかたどった徽章を制服の胸につけるという願いも消えた。

日常的な電力不足が当たり前になっていて、夕方遅くまで電灯は灯らなかった。電気が点いても一晩に何度も停電した。外を見ると進駐軍の施設だけ華やかに明かるかった。そんなある夜、深夜まで宿題やノートの清書をしていたら、窓ガラスを叩く音がした。この時間に起きていたのは私だけだったので、窓を開けようとしたが建付けが悪く、私の力では開かない。ガタピシやっていると僅かな隙間から何かがグイグイ押し込まれた。

新聞紙に包まれたものを私は力任せに引っ張りこんだ。足音は何も言わず暗闇の中を消えて行った。外は真っ暗で誰か見当がつかなかった。何だろうと無造作に包まれた英字新聞を開いてびっくりした。寝ていた母を小さな声で起こした。包みの中はサンドイッチにした後の切り落とした細い食パンの耳だった。中には赤いジャムが四角い両切れ端にべったり塗ってあった。なんと言う純白のきめ細かい食パンの肌!思わず目を見張った。これほどきめ細かく白い食パンの記憶がなかった。私はすっかり興奮して「雪みたいに白いね!」と何度も繰り返した。

その頃、全校生徒は午前中の授業が終わると全速力で自宅に走って帰っていた。弁当箱に入れる固形物がなく、自宅で菜ッパや芋が入った雑炊をすするのが精一杯だったからである。そしてまた午後の授業に遅れないように教室に戻っていた。住宅事情で遠くから通っている生徒は校庭の隅で昼休みを過ごし、昼食を抜く人がいると聞いていたので私はいいことを思いついた。明日これをお弁当箱に入れて持っていく!お弁当を持ってきていない人も、教室でお弁当を食べる人も、きっと見たこともない真っ白なパンにびっくりするだろう。サンドイッチの切れ端を少しづつ分けてあげよう!そう思ったらわくわくして寝られなかった。

翌日は昼休みが待ち遠しかった。机の中でハンカチに包んだアルミの弁当箱をそっと振ってみると、軽いながらもカサコソと動く手応えがあった。やがて4時間目の授業が終わった。そして、あっという間に蜘蛛の子を散らすように教室に人は居なくなった。1クラス60人余りの中、2人が弁当を持って来ていた。両端に離れ、教科書を開いて立てて、弁当を体で覆い隠すようにして食べていたのでとても近寄れなかった。何を食べているのか全く知ることが出来なかった。校舎の外にも校庭にも人っ子一人目につかなかった。私は独り寂しくサンドイッチの切れ端を口に運んだ。

これをくれた人は母の知人で、進駐軍施設に通訳として勤めている人だった。そこではサンドイッチの切れ端に殺鼠剤を塗って毎晩鼠の駆除をしているのだという。どの家庭も食べ物がないのに鼠だらけだった。進駐軍施設には潤沢に食べものがあったので、町中の鼠が集中したにちがいない。人間の口にもやすやすと入らないものを使って鼠を駆除していると言う事実に胸中複雑な思いであった。