我が青春10年の軍隊史  

角田利信


其の二十二 参謀部の体操
或るとき久野参謀より、軍司令部も図南嶺に移って3ヶ月になる。図南嶺の広大なる防空壕で一日中、陽の目を見ない生活では将兵の健康が気になるため、健康維持に体操をやってみてはどうかと話が出た。進藤大尉は、大変良いことです、早速明日から昼前の休み時間を利用して始めましょうと進言され、角田曹長、体操をやってくれと命令された。私は電信十六聯隊にいたとき毎朝の点呼後に70名の兵に体操を指導していたので、やりましょう。場所は何処が宜しいですかと伺ったところ、参謀部の執務室の横広場で実施する事となった。当日昼前の休憩時間には今村司令官はじめ、各参謀全員が壕の外に出ている。私は、只今より体操を始めます。私の号令に従って体操を続けて下さいと、昔習った陸軍体操教範に従って、足、腰、手、背、頭、平均運動等模範を示しながら号令を掛け体操を実施した。終わって進藤大尉は良くやってくれたと喜んでくれた。このようにして参謀部の体操は終戦まで続いた。


其の二十三 終戦の詔勅
ピカドンが広島、長崎に投下、大本営よりの電報はソ連参戦を伝えている。日ソ不可侵条約を破棄し、ソ連は千島列島より北千島を占領し、日本本土に上陸の模様と報じあり。日本国はポツダム宣言を受諾。8月15日を期して日本軍は降伏せよ!! 海外派遣せる日本軍はここ5年以内に帰還せしめる・・・・・・・・。
戦争は終わった。ラバウル10万の将兵はまだまだ戦力を充分に温存し、加えて現地自活により生ずる食料は豊富で、兵器、爆弾、飛行機も3機修理し、いつでも飛び立てる状況で山麓を切り開いた防空壕に格納されている。軍直轄部隊は神妙に聞いているが、今村司令官は天皇陛下の詔勅にもある通り、忍び難きを忍びここにポツダム宣言を受諾された。私はラバウルの全将兵を日本国に帰還せしめる責任がある。それまでは無謀の行為は絶対にあってはならないと説得される。


其の二十四 武装解除
図南嶺の将兵は朝より慌しく機密書類の焼却に余念がない。朝9時の定期便という空襲も、今日は朝から静まり返っている。それぞれが持っている兵器、爆弾は1ケ所に集め壕州軍に差し出して武装を解除する。我々は軍刀の先を折り、これをナイフ代わりにしてグラマン機の風防ガラスを加工して鞘にし、椰子の実を加工して胴乱を作った。落下傘の紐を房代わりに胴乱に取り付け、刀先でラバウル花咲山などと書いて、珊瑚の粉をふって白く浮かび上がらせ腰に吊るすなどして記念に持ち帰った。