我が青春10年の軍隊史  

角田利信



其の二十 戦車肉迫攻撃訓練
米軍はラバウルをはずして、直接日本本土の攻撃に転じ、沖縄、広島、九州、大阪、東京等で空爆を進めている。ラバウルは米軍と豪州軍と交代してニューブリテン島マーカス岬に豪州軍1箇旅団の上陸を許すこととなった。ラバウルにも豪州軍がいつ上陸してくるかわからない。特に防衛に万全を期すべくラバウル決戦訓を制定し、一人十殺、皮を斬らして骨を斬るを合言葉に、M四戦車の肉迫攻撃をラバウル将兵が訓練に訓練を重ねて、豪州軍上陸に備えて万全を期している。
私も参謀部の兵5名を1組として2組編成、模擬爆弾を作り戦車の模型で戦車攻撃の訓練を、図南嶺のジャングルを利用して行ったが、来る日も来る日も熱帯のジャングルでの訓練は実に辛いものであったが、兵もよくこれに耐えて頑張った。

そうして、この訓練の成果測定の査閲が今村司令官をはじめ、久野、太田、谷川各参謀により実施された。角田分隊M四戦車肉迫攻撃開始!ジャングルの奥深く潜行して、戦車の進撃を今や遅しと待ち構える。するとジャングルの一角よりM四戦車が1台前進してきた。はやる兵をじっと抑えて手許にひきつけ、攻撃開始の合図をだし爆雷を戦車のキャタピラへ投入し死角に逃れ様子を見る。轟音と共にキャタピラが外れ航行不能となった戦車に攀じ登り手留弾の信管を抜いて砲頭より放り込む。角田分隊戦車擱座。近くで査閲中の久野、太田各参謀が確認、今の動作は大変よろしいと、兵4名と共に激賞を受け剛部隊ニュースの一面を賑わした。
第八方面軍日光章

丸に星一つ、8本の線が入る。日光は肉攻に通ずる。第八方面軍の決戦訓の通り一人十殺、皮を斬らして骨を断つを合言葉に日光章を制定し、ラバウル全将校が佩用した。


其の二十一 図南嶺防空壕
敵の上陸に備え充分に戦える態勢を整えるべく、第八方面軍司令部は図南嶺に移転のため作業部隊を編成した。参謀部も兵員をさいて作業に従事、進藤大尉、塚本曹長が出向し、図南嶺の山麓に防空壕を作ることとなった。司令部全般の安全性、特に司令官壕、作戦室等は、堅固なる防空壕、ならびに兵員が安心して居住できる事務室兼居住区を作るべく、全将兵が裸でスコップを握り、砂をモッコで運び出すなど、すべて人力で壕を掘り進めた。また図南峰の樹木を伐採して板にひき、谷底までの運搬を容易にするため、箱型の樋を作り、材木を流し落し谷底に集積し、これを肩力運搬し防空壕の側壁とした。こうして図南嶺の東側より西側にかけて、約4粁の防空壕が縦横に掘り進められ、司令官壕、参謀作戦室壕、兵員居住壕は壕州軍が2屯爆弾を落としてもびくともしない堅固なる防空壕となった。

図南嶺防空壕見取図