我が青春10年の軍隊史  

角田利信


其の十七 現地自活
第八方面軍司令官今村大将は、上陸当初より現地自活の必要性をあげられ、軍直轄部隊長に現地自活班を編成し、タピオカの植付け奨励を命じた。椰子の木その他の潅木を切り倒し2、3日天日で乾かし空襲の間を避けてこれに火をつける、いわゆる焼畑農業である。畑を作ると真っ黒い地味肥沃の畑土ができる。これに焼いた木灰を散布すれば充分である。タピオカの軸を20糎ぐらいに切り挿し木する。1箇小隊で空襲の合間を利用し、半日ぐらい頑張れば一反部ぐらいは作業ができる。挿し木しておけば南方は朝9時半、午後は3時に、2回スコールがやってきて1時間余り土砂降りになり水を遣る必要がなく結構根が出てくる。この芋を大根おろしですりおろし、水分を取り除き団子のように丸め海水を薄めて煮付ける。結構うまい団子汁となる。我々ラバウルの将兵はこれを常食とした。
また各部隊は、内地より茄子、胡瓜、白菜、南京豆、冬瓜等の種を取り寄せ、立派な農園を作った。南京豆ができれば豆腐ができる。塩は海水を煮つめて作った。


其の十八ラバウル米作り
あるとき食糧の米の中に、籾(もみ)のままの米俵が入っていたのが見つかり、これが発芽するか試しに畝を作って播種したところ、青々とした芽が出てきた。例の1日2回のスコールで、3ヶ月もすれば立派なお米となる。これを収穫して3ヶ月ごとに蒔けば3ヶ月ごとにお米が収穫できる。鍛冶屋の経験のある兵がドラム缶を潰してひき臼を作る。少し赤味をおびているが立派なお米が穫れるようになった。我々が復員の際、今村司令官は本土では食糧が不足しているとの事で、現地米をドラム缶で60本、豪軍の許可を得て復員船に載せ名古屋援護局へ引き渡した。


其の十九椰子酒作り
食べ物が豊富に取れるようになってくるとお酒が欲しくなる。各部隊の中から、酒つくりの経験のある兵を集めて研究することとなった。現在の焼酎では臭くて飲めないので何か代替のものがないかというのである。そこで椰子の花の付いている軸を根元で切断、これに紐をつけた竹筒を切断部に取り付け一晩置くと約1合分の椰子汁ができる。これは糖分を含んでいるので天日に3時間ほど当てれば濃厚な糖分ができる。これを蒸留すると40度ぐらいの酒となる。蒸留水をまぜて20度ぐらいの酒として各部隊に配給した。各部隊もこれを真似て作り椰子酒を楽しんだ。ラバウルの将兵はますます意気旺盛なり。