我が青春10年の軍隊史  

角田利信



其の十五 南方のホタル
帰営する途中、パンの木に南方のホタルが集中していて、一斉に青い火を点けたり消したりしているのを見て、南方のホタルの生態を発見する。
命令「電信十六聯隊第一中隊は赤根岬より軍司令部にかけて半永久裸線2条の通信網を構築すべし」。赤根岬より20粁(キロメートル)×2の亜鉛渡鉄線支柱使用500米、留線、銅線若干(100米)を谷田上等兵に運搬を命じた。「角田伍長は地図、手旗により準線決定すべし」。敵機の空襲を避けて赤根岬の海岸べりを測定して準線の決定に入る。兵の歩測により50米ごとに測量旗を立て示し準線を決定すると、電柱の位置、支線の位置を手旗で示し測量杭を打ち込み、また前進する。一中隊担当の10粁に手前のところで手旗信号を送ると、右の方向にバナナ畑あり、準線を変更してよろしいかとの問いにO K と手旗にて応ずる。黄色く色づいたバナナの実を見つけ暫し休憩に入る。第一中隊担当の10粁は測量完了。明日からは電柱の穴掘りにかかる。えらいが頑張れ。背中に三八式機銃、鉄兜、水筒、雑嚢を背負って熱砂での作業は辛い。兵よく頑張ってくれる。



其の十六 三銃眼のトーチカ構築
赤根岬方面より豪軍が上陸を想定する場合、第一中隊本部下海岸方面が想定される。矢野中隊は本部前海岸線に三銃眼のトーチカを構築すべし。第八方面軍築城部に将校一名、下士官一名を差し出し、3日間の訓練を受けるべし・・・・。一中隊より小野見習下士官、角田軍曹が3日間の訓練に参加を命ぜられる。 機材準備、椰子材、カスガイ、亜鉛渡鉄線。ノコギリ、金槌、図面を作り矢野中隊長に説明、了解を得る。昭和18年7月10日より三銃眼トーチカつくりに取りかかる。3日後完成。中隊長の検分を受ける。

   このあたり 陣地の跡や 佛桑華

昭和18年7月20日発令、「第八方面軍司令部参謀部附を命ず 陸軍軍曹角田利信」
何日も命令受領に行っていたが、一中隊に転属後、通信網の構築、保安点検に明け暮れている間に、軍司令部参謀部に転属願を出していたことを忘れていた。電信隊の一軍曹が参謀部に転属は稀である。進藤大尉は忘れずによく許可をしてくれたと深い感謝の念に耐えないところである。聯隊本部に申告にいったら山田副官は良い顔はしなかった。それもそのはず、第八方面軍参謀部より電話がかかり、角田軍曹を転属さすようにと言われると、山田副官は、他にも良い下士官がおりますがと言い、進藤大尉から、角田軍曹をよこすのだ。他には誰もいらん。といわれ山田副官はビックリして承諾したとの経緯を、当日聯隊本部の電話交換をやっていた吉田上等兵が聞いていた。「班長殿、良かったですね」と言ってくれた。思へば満州吉林電信第十六聯隊以来、本部の運転手として常に命令受領に随行して、飛行場では共に九死に一生を得た若い上等兵とこれが最後の別れとなった。