我が青春10年の軍隊史  

角田利信


其の十三 命がけの命令受領
通信隊本部から100米東に官邸山.、その麓に第八方面軍司令部参謀部がある。軍直轄部隊は三十五部隊。各部隊の命令受領者が参謀部前に集まっている。司令部参謀部に出頭、進藤大尉に申告する。進藤大尉より命令伝達その他を筆記する。其の速度の速いこと、私は同じ文面文句は○○―□□と速記式で記述する。進藤大尉、電信第十六聯隊復唱…と、速記で記録した命令文を復唱する。一字一句間違いのないよう復唱したので「ハイ、よろしい」と声がかかる。ラバウル上陸司令部との命令受領は終了した。かくして私は毎日毎日命令受領が日課となり、帰隊後は陣中日誌に記録することが日課である。私は聯隊本部にいたとき、聯隊副官と意見が合わないことがあったので第八方面軍参謀部の進藤大尉に転属願いを出しておいた。
敵機の空襲を避けて赤根岬より第八方面軍司令部までの命令受領は「トベラ飛行場」を経由しなければならない。ここは危険箇所で、いつ機銃掃射で撃たれるかわからない。昨日も独歩の軍曹が、低空で海岸沿いに音もなくやってきたグラマン機の機銃掃射を受けて戦死した。飛行場の一角を横切るときは、敵機の爆音や海上すれすれにやってくる飛行機がないか確かめて全速力で横切るのだが、或る日、第二の難関である海岸地帯通過のとき、後方より機銃掃射による攻撃を受け、四輪駆動車の中央機関部が燃え出した。エライ事だ!運転手の肩を右側海岸へ押し出すと同時に自分も海岸に飛び出した。幸い下は砂原で気を失って倒れている運転手を引っぱりだし、燃えている車の熱気に炙(アブ)られながら、運よく窪地に退避して二人とも九死に一生を得たものである。


其の十四空襲の合間に通信網確保
相も変わらず命令受領の日が続く或る日、命令受領から帰ってくると第一中隊へ転属せよとの聯隊副官の命令である。常々聯隊本部附で、第一戦中隊の経験のない私は喜んだ。中隊長矢野中尉は、よく来てくれた。中隊の専任下士官として頑張ってくれといわれ、中隊幹部に挨拶。明日からの朝の点呼体操の号令、一中隊受け持ちの通信線路の補修点検、地下ケーブル線の補修点検等、聯隊本部と違って中々忙しい日々となった。
一中隊受け持ちの赤根岬地区の通信網保守作業のため、空襲の間を避けて作業に就く。地下ケーブル線が豪州軍の爆弾のため不通となる。これを修理のため大島中尉ほか6名でケーブル線保守にあたり、ようやく故障箇所を発見する。地下ケーブル線が爆弾でやられ雨水が浸入していたので5米余りを切除、鋸工作業により持続するも16回線、32箇所の順次接続に手間取り、終わったのは夕方8時頃であった。南方は8時でも明るいので有難い。保守も終わって空襲の心配もなく帰営する。