我が青春10年の軍隊史  

角田利信



其の十二 図南丸船団魚雷攻撃受く
旗艦図南丸には対空砲火機銃10丁と砲兵一個小隊が対空防衛の任につく。佐伯湾を出航してより4日目、左舷海上に雷跡発見との回光通信にて通報あり。各艦は右へ左へ、左へ右へと、魚雷を避けるためのジグザグ運転に入る。海軍の駆潜艇が図南丸の中央部に横付けするように入ってきた途端、ドンという音がした。駆潜艇からの手旗信号によると―旗艦めがけて魚雷が発射されこれを守るため本艦は航行不能となれり。旗艦の武運長久を祈る―。今後は海軍の飛行機が護衛の任につく。回光通信にて図南丸より各艦へむけて発信。―海軍駆潜艇は当船団の護衛に当っていたが魚雷のため航行不能となれり、各艦は雷跡に十分注意を払い無事ラバウル迄の安全を期せられたし。旗艦図南丸田中大佐―。
行航中、敵艦載機の発見するところとなり低空にて旗艦を襲う。ただし2機のみ。これだけの船団である、直ぐ僚機に連絡をとり応援が来て大海戦になるだろう。我が方機銃10丁の戦力、護衛の砲兵の機銃が唸りをあげる。2機のグラマン機は機銃掃射を繰り返して遠くに去って行った。ああ、助かった!と胸をなでおろす。あと2日、つつがなくラバウルに上陸できますようにと祈るのみ。

南十字星やスコールに憧れた南海この地のラバウルは、目の前に高さ400米ぐらいの山がみえた。噴火して間もないこの山は草木もなく灰色をして、山裾に僅かに草が生えている。港は空襲を受けたのだろうか、海岸に集積されたガソリンが海中に流れ込み、港一面どす黒く、時々赤い炎が上がっている。これでは上陸は無理。ラバウル港の右側に湯煙が上がっている原っぱに兵員を上陸させ機材類を至急降ろす。
昭和18年3月30日第八方面軍通信隊、ラバウル上陸。ラバウルの町は赤い屋根の高床式に建てられ雨水を集めておく大きな水槽を設えているが、日本軍が上陸の際の戦闘で水槽は大きく口をあけ、屋根のブリキ板も大きくめくれている。軍司令部に近い一角が第八方面軍通信部本部となる。本部要員は後方の家屋と定められる。町に出てみるとマンゴ並木が続いている。あぁ、ラバウル、南十字星とスコールに憧れたラバウルは出舟入舟で賑わしい。