我が青春10年の軍隊史  

角田利信



其の十一 いざ、ラバウルへ
昭和17年2月28日、電信第十六聯隊に南海派遣第八方面通信隊と呼称し、ソロモン群島ニューブリテン島ラバウルに派遣を命ぜられる。
  第八方面軍通信隊々長   田中大佐
           聯隊副官   山田中尉
     聯隊本部附甲書記   宇野軍曹
             乙書記   金高軍曹
             丙書記   角田伍長 
第一中隊、第二中隊、第三中隊、林科庁中隊残余は留守部隊として残留。
昭和17年12月20日、屯営出発、九站駅より軍用列車に機材積み込み、経路は南満州鉄道九站駅、吉林駅、図門駅、京城駅、釜山駅、と佐伯湾集結中の船団8隻に乗船。釜山駅に着いて佐伯湾乗船までの間、冬服返納、夏服受領と慌ただしい一日であった。
『電信第十六聯隊は第八方面軍司令官の令下にはいり、第八方面通信隊と呼称すべし。各部隊は九州佐伯湾に集結中の艦艇に乗船すべし。輸送司令官田中大佐、余は旗艦図南丸にあり。』 満州を出発するときは零下15度の寒さで、真っ白い曠野の中を経由して日本内地の佐伯湾に着いた。青々と麦の芽が出て夢にまでみた温かい本土。しかし一歩も上陸することなくただ船上より本土の山を眺め、戦場に向けて愈々出発。二度と祖国を相見ることもないだろう。さらば佐伯湾、さらば満州

満日百里雪白く
曠茫山河風荒く
枯木に宿る鳥もなく 
ただ上弦の月青し

昭和18年3月3日、九州佐伯湾を8隻の艦隻を整え、旗艦図南丸を先頭に粛々と進む。無事ラバウルに上陸できるよう武運長久を祈るのみ。我々艦隊の船足は遅い。朝起きてみると、図南丸は僚船の一番後をのっそりのっそりと歩いているようで、出発して3日目、台湾の赤道を通過する。赤道祭りをやろうじゃないかと声が上がる。経理に話して下給品酒,煙草、羊羹などねだる。各中隊で適当に慰安会を開く。各隊より漫才,落語,歌の上手な兵隊達がたちまち集まって皆の歓声があがる。旗艦図南丸は軍通信の暗号書を宰領している。将校行李2個に乱数表、および第一次作業用暗号書を詰めて、船首の左舷にある小さいボートに積み込んである。敵潜水艦の攻撃を受けたときは、一番先に暗号書を海没しなければならない。将校行李には約30貫目の重りを取り付けており、繋留紐を切れば海底に沈むように措置されている。この暗号書は聯隊本部角田伍長以下5名の責任で警備する。暗号書が無事ラバウルに着くことを祈るのみ。