いくさのあとさき


 落下傘で落ちてきたもの(附記)
8月9日午前11時過ぎ、私が偶然見たものは何だったのか、8月が近づくといつもその記憶が甦って同じ疑問がぶり返した。すでに8月20日の朝日新聞は当時の阪大の浅田教授の談話としてそれが無線送信機だったと報じていた。

落下傘で落ちてきたものは「爆圧測定用超短波発信機」とされた。消火器に似た形の長さ90cm 直径25p、重さ30kg軽金属製円筒となっている。超短波発信装置と電池を内臓された装置であるという。仕組みはこうである。
爆発が起こると気圧が変わる。
気圧が変わると装置内部のコンデンサーの平行板の距離が変わる。するとコンデンサーの容量が変わる。発信される電波の波長が変わる、したがってこの電波を受ければ波長の変化によって爆圧の変化を知ることができる。
(1962.8.3 朝日新聞

私が見たものが何だったかそのときは見当もつかなかった。
どれだけ長い年月が経っていたであろうか。ある日、朝刊に小さな記事を見つけた。すぐあのことと判った。長崎県北高来郡江ノ浦村(現在の飯盛村)の農家が納屋に保管していたのを届け出たというのである。学校のグラウンドに落ちると思ったほどだから近くの農家に違いなかった。その後米軍が探して回った噂も聞かなかった。
それから私達全校生徒