せいしょこ(清正公)さん -2-

白衣を着た鍼灸師は祖母に挨拶に表へやってきた。白衣の鍼灸師は、私には少し気持ちの悪い人だった。 色艶のよい丸い顔に薄紫の色メガネをして、首をちょっと傾けて、ゆっくり近ずいてくる大男だった。おそらく、目の見えない人だったのだろう。その人のことを、祖母は、「鍼うちどん」 と言っていた。

高瀬の駅前でバスを降り汽車で熊本へいった。熊本駅からまたバスに乗って、「せいしょこさん」へ行ったのだ。「せいしょこさん」にお参りすることは本妙寺にお参りすること だ、と私は後で知った。本妙寺の境内の一画で異様な情景に遭遇した。地べたに座り頭から布を被った人々の群れを、私は最初カンジン(乞食)だと思ったらしい。何故だか記憶の中の境内の光景も薄暗く、人々も沈んだ薄明かりの中で蠢いている。その人々は今まで見たことのない恐ろしげな異形の人々であったことを私の目は捕らえていた。祖母は私に何を言ったのだろうか、どんな説明をしたのだろうか。

すでにその頃までに、私は祖母の口から様々な恐ろしい話しを幾度も聞いていた。祖母が子供のころ、実際に起こったという「十年戦争」の話しを、繰り返し繰り返し子守歌のように聴いた。その戦では、高瀬の町のあちこちで人々が斬り合い多くの人が死んだ。 田原坂の悲惨な戦の最後や、西郷どんがとうとう落ち延びて、城山で討ち死にした時の有様を祖母は見て来たかのように話して聞かせていた。大人になってから思ったものだった。あの血生臭い戦の話しを、よくぞ幼い私にしてくれたものだと、私は殆ど感心した。

その日、境内で見たのは物語ではなかった、本当に生きている人々であった。私は帰宅してから身の震えるような恐怖と悲しみを母に訴えていた。その他のことを私は忘れている。境内で私はどうしたのだろう。祖母と私はまた汽車に乗って高瀬駅まで帰ってきて、家まで辿りついたはずである。私は、泣きだしたのだろうか、何一つ覚えていない。 最近、かって癩病患者として不必要に隔離されていた人々へ政府が謝罪したというニュースを聴いた。 私は幼い日、本妙寺で目撃した情景を思い出そうとしていた。




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