せいしょこ(清正公)さん -1-

私には幼い日の忘れられない恐怖の記憶がある。黒白映画の薄暗い場面の中の出来事のように、薄闇の中でうずくまっていた、幽鬼のように見えた人々の映像の記憶である。それはまた胸の潰れるような悲しみの体験でもあった。

その夜、最も鮮明に覚えていることは、初めて母と一緒に母の寝床にやすんだこと、いつまでも泣きながら母をなじっていたことである。「どうして、あの人達に何もしてやらんとですか」「どうして病院に連れていかんとですか」「あの人達は襤褸を着て、カンジンだった」私の言葉がその通りであったかどうか、記憶は定かではない。
私には恐怖や悲しみと同じほど怒りがあったのかもしれない。世の中にはどうしようもない理不尽なことがある、悪意が存在することを、どこかで感知していたのかもしれない。幼い子供にそういう能力があるのであれば、私が感じていた怒りは公憤とでも呼べる感情の表白だったように思われる。

母は「そうね、悲しかったね、美也ちゃんは優しか子だもんね」と私を慰めてくれていた。私の記憶では、母と一緒の寝床にやすんだことはその夜が初めてだった。幼児期のことは知らない。思い出す限り私はいつも祖母と枕を並べて寝ていた。
後年、その幻のように思われた出来事を母と話したことがあった。「一晩中うなされてね、本当に可愛そうだった、、、小さな子供にわざわざ見せんでもよかったろうに、お祖母さんはむごいことをしなはった、、、」。その日、私は衝撃に見舞われた。それは激震だったのだ。うなされるなどという経験はその夜が初めてでその後一度もない。

その日、祖母は私を連れて熊本の「せいしょこさん」へお参りに行った。祖母は「せいしょこさん」が大好きだった。「せいしょこさん」に関するすべてのことが好きだったのかもしれない。私が生まれた時すでに彼岸の人であった祖父は、かって『今せいしょこ』と呼ばれていて若くして作り酒屋を起こし、その晩年には潰してしまい失意のうちに死んだと聞かされた。「せいしょこさん」にお参りする時、『今せいしょこ』のことを思い出していたのかもしれない。それとも、貧乏士族の娘で誇りだけは高い祖母が酒屋にお嫁にいくことを肯いたのは、相手が『今せいしょこ』と呼ばれていた人だったからかもしれない。

熊本に出るためには、家から歩いて下迫間のバス道路に面したタバコ屋の前のバス停で高瀬駅行きのバスを待つのだった。タバコ屋は大昔は親戚だったと祖母は言っていた。いつも早めに家を出て、タバコ屋のガラスの戸を開けて、中に入り上がりがまちに座ってお茶を貰い、頭の白いタバコ屋の小父さんとおしゃべりをしていた。 タバコ屋の奥の部屋は、タバコ屋さんの親戚の人が鍼灸院を開いていて、板の間の店先の奥に上がガラスで下の方はすりガラスの戸があった。 その戸は何時見ても開け放たれていて、診療室の白いベッドが見えた。
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