◆無情の雨が雪に変わる日◆ 雪がコンコンと降る 人間は その下で暮らしているのです 戦後教育に大きな影響を与えた子供達の文集『やまびこ学校』の詩を思い出しました。冬の間ひたすら耐える山形地方の寒村の厳しい生活を表現していて、短いけど忘れられない詩です。豪雪地帯も当時と比べ暮らしはずっと便利になったものの、ひとたび自然が暴れるとあらためて先行きが思い遣られます。
今年の夏から秋にかけて日本は超大型台風に次から次へと襲われ、火山が噴火し、大地震が起き、晴れた日は熊に襲われ・・・・。それでも日本ほど平和な国はないよというのは住んでいる家の前に戦車が常駐しているイスラエルの人の言葉でした。 04. 10. 26 ◆怖い椅子◆ 久し振りに賑やかなショッピングモールを歩くと、どの店もお客の呼び込みにサービス過剰気味です。小さなサンドイッチと飲み物を買って席を探していると、「あちらのテーブルへどうぞ」と指さされ、遠隔操作されているみたいにふらふらとお尻の丈も届かない椅子に無理をして座ってしまいました。食べ終わってやおら降りるとき、着地に失敗して見事に床に転がってしまいました。念の為、届くかな?と下を見て大丈夫と思ったのですが足の ![]() 思い起こせば花も恥らう女子高生の頃、校舎から校舎へ渡り廊下を走って渡っているとき、スノコの板が雨で濡れていてツルリ!と滑ってしまいました。制服の紺のサージの襞スカートがパッと広がって丸見えに! 運の悪いことにちょうど真正面から同学年の男子が2人歩いてきました。連れの学生は「ワハハ」と笑ったのですがもう一人は心配そうに「ここ危ないんだよね」といったのです。「O」さんと言います。別にカッコイイ人でも何でもなかったのですが、今でも誰かがぶざまに転ぶたび、何故かその人の面影が浮かびます。それ以来、人が滑っても転んでも私は笑いません。「大丈夫ですか?」と声をかけて助け起こします。――これは昔のこと。今は私まで足がすくんでとっさに動けませんが――この日も平気を装いながらお決まりの 「O」 さんを思い出していました。 「パン屋さんで椅子から落ちて擦り剥いてん」「いったいどんな椅子やねん」「こんな椅子」「座ったアンタがわるい」と友人から言われました。 年寄りが座ったら落ちるような椅子を置かないでほしい! お婆さんだってパンは食べるのだ。まだ赤剥けした肘が治りません。 04. 10. 19 ◆或る一日◆ 8日は博多座のミュージカルのチケットを買っていたので、台風22号の進路を気にしながら出かけました。一番軽い折り畳み傘を沢山の中から選んで持って行ったのに骨が折れていました。新しいので一応とっておいたのでしょうが、今度こそ捨てました。 博多座では開演前、
帰りは早めにバスセンターに着いてやっと探し当てた
最前列のシートに女児とお母さんが座っていて女児のひっきりなしのおしゃべりが静かな車内に響きました。その年頃の特徴で、「なんでぇ〜?」「ど〜してぇ?」と聞き返しています。その後は保育園か幼稚園で毎日お話を読んでもらうのでしょう、移りゆく窓外の風景や車の動きなどを流暢に、お話を読み聞かせる口調で一人でお喋りです。そのうち「え〜〜ん、え〜〜ん」という声がいつまでも続くので、自分が作ったお話の続きかと思ったらグズって泣いているのでした。お母さんから叱られても泣き止みません。自分が泣く時も「え〜〜ん、え〜〜ん」というのだと思っているみたいで、これにはちょっとビックリしました。 04. 10. 13 ◆四季の花が咲き乱れ◆ 異常な迄に相次いだ大型台風が大きな災害を各地にもたらし、9月は暴風雨と共に過ぎていきました。裏の竹藪の、紙のような薄い笹の葉が狭い庭一面を覆い、竹箒で掃くとザワザワと紙吹雪を掻き集めたよう ![]() いつだったか、京都のお寺で見かけてビックリした光景を思い出しました。パイプの後端に大きな袋のついたブロアーバキュームで、ボア〜〜ッと落ち葉を片隅に吹き寄せてそのあとワァ
血液検査のための採血に行きました。帰途、信号待ちの間、外を見ると「献血」のポスターが。『 あっ血!、こっ血、どっ血?』って、何のこっちゃ?これって、献血を奨励しているの?おちゃらけているの?どっ血? (あ、自分で言っている(^_^;)) 車を停めた街角に、春の花「更紗木蓮」が満開の木を見つけました。傍には夏に咲く「百日紅(サルスベリ)」が赤い花をつけ咲き競っています。足元のカラー舗装の歩道に素早く動くものは、群れ飛ぶ赤トンボの影でした。あなた達はあの嵐の後、この世に出て来たのかしら? 04.10. 5 |