3行日記なら・・・

日記をつけるのをやめてもう何十年になるかしらと考
風を待っているノゲシの綿毛 
えたら、自分の人生で日記をつけていたのはほんの短期間だったということに思い到りました。女学生時代の叔母の古い日記帳を、母の抽斗(ひきだし)の中から発見、ハイカラさんで鳴らした人らしく、なんて素敵な体裁の日記帳!!と思ったのは、私が12歳のときでした。

終戦前後は紙やノートが払底していたので、白紙のままのページが沢山残っていたのは信じられない喜びでした。その続きのページに私が書いたのが始まりです。学校の「學」と言う字など、几帳面にそのつど書いていますが、中学生になると大人の崩し字を真似て書くようになりました。

ムラサキカタバミ
20代半ば迄はお決まりの悩み多き心の日記。毎晩あまりにも詳細に書き連ね、私が突然死んだらこの日記が残る!(美人でもないのに若い時は、自分は早死すると思っていたのですね。級友もそう言っていました ^_^; ) そんな思いに取り憑かれた或る日、書き溜めた大学ノートをお風呂の焚き口に1冊づつ放り込みました。
  * 焼き捨てて日記の灰のこれだけか  -山頭火-
                              

最近は3行日記でいいから、毎日書いたほうがいいのじゃないかと思い始めました。カレンダーの過ぎた日付けに書かれた短いメモが、過去を思い出す唯一の手掛かりなんて・・・。(T_T)

05. 5. 8


赤いヒナゲシ

♪ひなげしの花♪
数年前、近くの駐車場の花壇に咲いていたヒナゲシの種が飛んできたのでしょう、うちの庭のあちこちに今年も咲いています。去年咲いた花から種が零れたのか、今年は群れて咲いています。物凄い繁殖力ですね。以前はケシと名がつくだけで、恐ろしいもののように嫌っていましたが、アグネス・チャンの歌のお陰で可愛らしい花と判りました。でもやっぱり好きになれません。

母子草
洗濯物を干すとき、視野に赤いものが映ったと思ったら、此処にも1輪だけ咲いていました。雑草に混じって母子草が沢山咲いています。黄色い花と細く白い葉の調和が面白い花です。父子草も引き抜いた雑草の中に混じっていました。普段、関心を惹かない草ですが何故か名前が気になります。

草の名は随分イイカゲンに名付けられています。母子草に似ているから父子草にしておけみたいに。ヘクソカズラとか、イヌフグリとか。何も知らない女学生でしたから ♪くにさんは戦争に行った/ いぬふぐりを放りつけて行った♪ と声を揃えて友達と歌ったものです。(^_^;)

05. 5. 6


「行く川の流れは絶えずして」

先週、TVの電源を入れたとたん、可愛い子供の顔が次々
タチツボスミレ
日陰に咲くと青い顔
アップで現れ、変り番こに”にこやか”に、「行く川の/流れは絶えずして/しかももとの/水にあらず」と言うではありませんか(@_@) 「がってんかぁ、がってんじゃ、がってんがってんがってんじゃぁ」 と野村万斎らの狂言「二人大名」のさわり、落語家の小噺と続いて講談師 神田山陽が「むらさきだちたるくものほそくたなびきたる」のかるたの説明をして[花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生さ バイバイ!」と消えました。なんだ、なんだ?!と、目を丸くして見た10分間でした。
友人Sさんから、保育園に通う孫が「三寒四温、三日寒くて四日暖かい」って四語熟語を知っているのよと以前聞いた話を思い出しました。小錦が出る子供番組「にほんごであそぼ」で覚えたというのです。しかし小錦は何のために出ているの?

タチツボスミレ
日向に咲いたらピンクっぽい
私の不確かな記憶では、中学になると、芭蕉や一茶、啄木が国語の教科書に現れ、高校で清少納言や源氏物語を習ったと思います。古典は外国語以上に異質なことばと感じる学生が多いようです。幼い頃から日常的に四語熟語や言葉遊び、伝統芸能や古典文学の表現に触れる機会が多いと、将来これらを自然に受け入れることができるのではないでしょうか。
時節柄、面白い子供番組だと思いました。
 NHK教育TV 「にほんごであそぼ」月〜金 8:00〜8:10
                     17:40〜17:50                      
05. 5. 4


親子の夢

娘が小学校に入学した時、授
シラン(紫蘭)
業参観で先生がみんなに「大きくなったら何になりたい?」と聞いていました。男の子は「野球の選手」、「新幹線の運転手さん」などと答えていました。
うちの娘に同じ質問が向けられた時、今までの話を全然聞いていなかったのか、娘はビックリ顔で一瞬何事かと廻りを見回すと、「な〜んにもなりたくない」といったので、居並ぶ父兄の表情がどっと崩れました。(^_^;)

親が我が子に自分の若い日の夢を託して、全生活を夢の実現に邁進する親子を時々見聞きします。親は自分の夢が実現できなかった理由を分析して、我が子には進路を阻む障害を全部取り除いてやりたいと思う気持ちは判ります。そんな親に生まれた子供は生まれる前から進路は決められていました。
アマドコロ

ヴァイオリニスト五嶋みどりさんとお母さんとの凄絶な闘いを読んで、驚きで何度もため息が出ました。或るアテネ女子柔道金メダル選手は両親共に柔道家で、お母さんの話では、「まさか死にはしないだろうと思った」 とおっしゃるほど厳しい訓練の日々だったとか。

親の指導でその道のトップを極める子に残された道は、家出する、自殺する、親を殺す・・・ではなくて、「この親を超えてやる!」という「意地」なんですね。その「意地」を植え付けるのがスゴイ!!
そこに居るのは鬼同士か。弱い「人間」には出来ません。もうすぐ5月5日は「子供の日」。


05. 5. 2

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