モスクワぶるぶるツアー(その4)

ペテルブルグは白夜が夏にかけて段々明るくなってきます。11階のホテルの窓から朝日がビル群を照らしているのを撮りました。今、世界中から観光客を受け入れるのにホテル不足らしく、古いビルディングが改装中だったり新築中だったりで大きなクレーンが目につきます。翌日は早朝5時に目が醒め、同じ部屋で熱々の白いご飯を海苔やふりかけ等でたべました。ああ、美味しい!と心から思った瞬間でした。7:30にホテルを出発というのに食堂が開くのは7:00ではゆっくり出来ません。 折角ご飯を持ってきたのに日本に持ち帰るのかなぁと思っていたのが役に立ちました。
                    
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白樺並木の街路樹やネヴァ川沿いの風景は美しく、スターリン時代にスケートリンクやプール、倉庫にされていた多くの教会などは原状回復しています。
ペテルブルグからモスクワまで空路1時間
。午後から世界遺産に登録されている、周囲2kmの城壁に囲まれたクレムリンの中を見学しました。城壁内には寺院、教会、宮殿、大統領官邸等があり、観光客に人気の武器庫などは延々長蛇の列。武器庫はいつのまにか宝物殿に。これ一つあれば一生暮らせるかな・・・と見ながら思ったり(^_^;)。クレムリンを出ると周りの公園はチューリップの花盛り、沢山の小さな露店やバンド演奏の賑やかな音が響き大勢の人で賑わっています。重苦しい気分から開放されたようにほっとします
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ロシア最後のこの日、モスクワは晴れて16℃
。やっと初夏のモスクワを肌で感じました。大股で歩くご主人の後ろをチョロチョロ小走りでついて行く犬が、人々の注目を集めています。こんな犬なのか病気で毛が抜け落ちたので服を着せられているのかよく判りません。
モスクワの空港でルーブルが僅かに残っていたのでマトリョーシカのデザインのマグネットを買いました。バラライカを持っているのはこれだけでした。ここの空港では全てユーロ表示で、ルーブルを残らず使い切ろうとしたつもりが、足りなくてドルを出したらルーブルでお釣りが来たので逆に増えてしまいました。
2ユーロの値札の紙を剥がそうとしたら丸く刳り抜いた木の中に入っていた小さなマグネットがポロリとこぼれ出ました。接着剤で埋め込む代りに薄い紙を貼って塞いであっただけでした。
04. 5. 30


モスクワぶるぶるツアー(その3)


プーシキン市 エカテリーナ宮殿の見学の日も朝から冷たい雨。沢山の教会、寺院、宮殿と過剰な権力の誇示に驚くことはあっても、感動と言う気持ちが湧いてきません。2日前、赤の広場から見た聖ワシリー聖堂は日本人から見ればヘンテコな建造物にしか映りませんが、イワン雷帝はその美しさに驚き、2度と出来ないように2人の設計者の目玉を刳りぬいてしまったとか。(だからイワンこっちゃない ! という後悔の言葉が??) 

聖ワシリー聖堂(モスクワ)

宮殿の展示室の床は精巧な木のモザイクなので、保護する意味で化学繊維の布のカバーを靴に被せます。日本ならスリッパに履き替えるところでしょうがこれなら簡単です。先に訪れたピヨートル大帝夏の宮殿でもそうでした。でも歩きながら床を磨く事になるのか滑りやすくて怖かった。

琥珀ばかりで内装された話題の「琥珀の間」を見るのに今日は並ばずにスイスイ進んだのでラッキーでした。第2次世界大戦でドイツ軍にすべて略奪され、修復後昨年から一般公開が始まりましたが、4時間並んだことがあったとガイドの説明。他の部屋も柱の彫刻などは修復されていますが白木のまま、天井も無地の部屋がかあります。破壊は一瞬でも修復完了にはまだまだかかりそうです。
(琥珀の間とドア・ノブは画像をクリックすると大きくなります

夜はアレクサンドリーンスキー劇場でバレー『胡桃割り人形』を鑑賞。中国人の踊りの時、男のダンサーが 右足をくじき、瞬間顔が引きつるのが判りハッとしました。カーテンコールには一度も現れなかったので気になります。私達の前列に座っているロシア女性達の肌の白さに感心、血管が透き通って見えないのが不思議に思えるほどです。右端の最前列特等席BOXやその上階には子供向けの演目のせいか、4,5歳ぐらいの子供達の姿が見えました。どの子供達も笑顔が可愛いこと!

一階後正面の特別席

04. 5. 26


ロシアぶるぶるツアー(その2)

モスクワ、レニングラード駅から23:55発車、寝台列車でサンクト・ペテルブルグ8:00到着。午前の観光の後、 『「МУМУ』(ムムー)で昼食。これはツルゲーネフの作品に登場する小犬の名前です。レストランの経営者がこの小犬が好きなのか、小さな店内の壁2面に飾ってある『МУМУ』のポスターが唯一の室内装飾です。一つ一つに照明が当っています。端っこの横顔の人がロシア民謡をメドレーでピアノ演奏。
今までの土臭いレストランとちょっと雰囲気が違って印象に残りました。

「あっ!廃車が動いた!」
と私達のバスの中で誰かが素っ頓狂な声をあげた程、どの車も埃まみれの傷だらけ、それでもウラジオストックから来た人が見ればキレイな車だそうです。廃車だと思った車はさっきのピアニストの車で、私達が食事を終えてバスへ引き上げたのを見て、さっさと乗って帰って行ったのでした。「ナンバーがついていたよ」と別の人が教えたように、私達から見れば廃車か現役か見分けがつきません。

3:40 やっとエルミタージュ美術館に入りました。収蔵品300万点、展示室400室
全部見ていたら3〜5年かかるとガイドの説明。
『スペインの間』の絵画の中で1枚だけのゴヤの絵は『アントニア・サラテの肖像』。白いヴェールの柔らかい風合いがモデルの女優を優雅に惹き立ています。ゴッホは自殺前の作品
『山小屋』。

美術館を出たのは6:00。撮影料に100ルーブル払ったわりには、どの絵も人の頭が入ったり、光が反射して殆ど満足に撮れませんでした。グループにハグレないように、ガイドの男性が足を止める絵だけを見ることになります。この男性が編集したという日本語のカタロク(館内で売っている)を買ったら、載っている絵の順序で説明するので判り易かったとグループの人が言っていました。見たいと思った絵を勝手に見ていると迷子になるのでとても鑑賞なんてできません。一言で言えば、念願のエルミタージュ美術館に『入った(^o^)  歩いた(^_^A  出た(T_T) 』と言うところでしょうか。
04 .5 .22


ロシアぶるぶるツアー(その1)

モスクワに着いた翌日、気温は2℃で雪がちらついて、だだっぴろ〜い赤の広場で、突っ立ったまま、現地ガイドの長〜〜い説明を聞いたら案の定、翌日から風邪を引き、喉は腫れて声が出ないかわり鼻水が出て、持って来た薬をあれこれ飲む羽目に。誰や〜、モスクワはサマータイムだから、セーターにカーディガン程度でよいなんて書いたのは! 寒いからって壁際に立つとクレムリンの城壁や建物の大きさが判りません。女性ガイドの大きい背中も風除けにならずみんなありったけの衣類を着こんで着膨れた上に、バッグや荷物を肩や手に下げて、首には何本もスカーフを巻いて震えているので集団ホームレスみたいに見えました。         赤の広場から撮ったクレムリン
                                                 
あら〜、ロシア語ってさっぱり判らない。個人旅行はちょっと無理だと思いました。私が知っているコトバは「スパシーバ」「ダ・スビダーニヤ」「オーチン・ハラショー」etc。若いとき職場で一緒だった男性がソ連帰りで、世間話に抑留中のエピソードが混じるので、私が知ったロシア語はその範囲でした。今回のグループの中でロシア語が少し判るという年配の方は、大連に仕事に行ってそのまま召集を受け終戦。3年数ヶ月シベリヤに抑留されたとの事。その方の奥さんは博多弁で「私にはなぁ〜んも話さんとですよ。な〜んも言わずにですね、何遍も大連に行ってですねぇ。ほ〜んと、今度はロシアですよ。もう80歳に近かけんですね、行けるうちに行ってみたかとでしょ」。ご主人の気持ちにはペレストロイカ後のロシアがどう変わったのか、ひと目見たいという思いがあるのでしょう。このグループにかなりの年配のカップルの参加が目立ったのも関係があるかもしれません。

レストランでは習慣の違いで戸惑うことが何度もありました。最初にデザートのケーキが人数分一つのお皿に盛られて出てきます。そして白いやや大きな壷が。何だろう?と覗きこんでも空っぽです。「骨を入れるんでしょう」と私が言ったので、その後の料理に出てきた煮込みの中のトリの小さな骨をみんなが骨入れに入れました。6人もいるのに一つの壷。料理が終わってコーヒー、紅茶をそれぞれ注いでもらったのですが砂糖がありません。紅い縁取りの可愛い民族服を着た女の子に「お砂糖下さい」といったら、骨入れの白い壷を持ち上げると無言でバ〜ンとテーブルに戻して行ってしまいました。???いつまで待っても砂糖が来ないのでまた通りかかったさっきの女の子にほかの人が同じ事を言いました。彼女はさっきと同じように壷を取り上げると、言った人の顔の目の前に付きつけると再びテーブルに叩きつけるように置いて行ってしまったので、みんなあっけにとられてしまいました。念のためその壷を覗いてみると底にちょっぴり砂糖らしきものが!!お砂糖は2度と貰えませんでした。
04 .5 .20


まぼろしの蛾◆ 

草むしりをしていると草の陰にいろいろな生き物を見付けます。可愛い天道虫は昆虫の中でも益虫と思われています。宝飾のデザインになっているのは蝶と蜻蛉と天道虫ぐらいなものでしょう。毛虫、青虫、蛾は見つけたら即踏み潰されます。長さ7〜8cmもある大きな幼虫を見付けました。濃いオレンジと若草色に黒い線の段だら模様を見て鳥肌が立ち、反射的に傍のカーラーの葉をちぎって被せると踏み潰しました。その直後 「しまった!デジカメに撮っておけば良かった!」と思いました。調べてみたら何の虫の幼虫か判ったのに(T_T)。

「子供の日」 、NHKテレビで「特集!ジュニアの星」を見ました。9歳のカンフー名人の男の子から、蛾に興味をもつ女子高生迄 8人、将に「ニッポンを明るくする」素晴らしい子供達が登場しました。親の意志ではなく、自分自身の興味と関心を追求し、夢の実現に挑戦する子供達です。自分の生きる道を「文楽」に決めた少年もいました。それはそれは感動しました。どのケースも親は良き理解者、協力者、友達の立場です。

その中で、蛾の研究をする女子高生が集めた沢山の標本を見て、ちょっと意外な気がしました。蛾に魅せられた人達がいるのだ・・・・と。趣味を通じて知り合った蛾研究家の年配の男性はこの少女のことを『まぼろしの蛾』と呼びました。『この世にめったにいない美しい蛾』の様に貴重な存在だと言いたかったのでした。

私が蛾を嫌うのは、毒蛾がいるなどと子供の頃に聞いていたので、部屋に入ってくると電球の周りを飛び回り、ぶつかったりして鱗粉を撒き散らすのを見ると、大騒ぎして叩き落とすか窓の外に追いやったものです。私が踏み潰したグロテスクな幼虫は、あの少女だったら喜んで育て、成虫になったらその美しい(?)姿に魅了されたかもしれません。(^o^)

そう言えばこの頃は家の窓を開け放つこともなくなったので、昔のように天井から下がった電灯の回りを蛾が飛びまわることもなく、蛾そのものが珍しくなりました。
04. 5. 10


二人静(フタリシズカ)◆ 

時々利用していた大型古本店に、久し振りに単行本や文庫本を持ち込んだら、店内はTシャツや服飾品等のリサイクル店に変わっていて、本はコミック本のみ買取るとのこと、そっくり持帰ることになりました。連休の初日だったせいか、小学生や若者がコミック本の書架の前で並んで立ち読み。小学生がゲームソフトか何か売りに来ていて、「700円だけど、いい?」とお店のスタッフに聞かれて黙って頷いていました。きっと高価なものだったのでしょう。今迄、文庫本15円、コミック本は25円で買取でした。

次は連休は空いているだろうと美容院に行ったら、普段よりお客が多く意外でした。近くのスーパーマーケットに車を入れようとしたら縄が張ってあって入れません。マサカ!お休み?美容院の帰りはここで買い物をするのでいつも利用していたのに、仕方なく美容院の狭い駐車場にすご〜く神経を遣って入れました(こういうの苦手)。美容院のスタッフに聞いたら先月閉店して、風の噂ではパチンコ店になるとか。そのスーパーは昨年リニューアルしたばかりなのに。

美容院では、昨年暮れにデビューした大きな体の男の子、あれから5ヶ月経つのに相変わらず動きが鈍いので目立ちました。伸びた不精髭と思ったのも彼等流のファッションらしく、そんなこと知らなかったのは私だけ? ロッドに毛を巻くのが不器用。私でさえもっと手早くできるのにと思いながら見ていたら、前回と違っている所を発見。左手のキラキラ指輪が2本の指に増えていました。今度来るときは3本の指にはめられているかも。
庭の楓や馬酔木の芽の新緑が柔らかく輝いています。その下陰にひっそりと「二人静」 が咲いていました。我が家もこの連休は何処にも行かず、二人静かにしていました。(^_^;) 同じ花ではありませんが、花穂が1本のは「一人静」といいますが、そのほうが花としては趣があります。

     コッピーだより

お医者に行ったら、下駄箱の上に小さな水槽があってメダカが泳いでいた。最近置かれたらしい。メダカといっても水槽で飼うと結構大きく見えるものだ。餌のやり方で大きくなるのかもしれない。我が家のコッピーはいつまで経っても大きくならない。
5月頃産卵すると聞いたけど、毎日見ても変化なし。4匹とも雄かも。

04. 5. 5

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