ルイス・C・ティファニー庭園美術館

せっかく何時間もかけて近くまで来るのに、寄らないで帰ってしまう松江は宍道湖畔に建つルイス・C・ティファニー庭園美術館。やっと行くことができました。先週のお彼岸の墓参りの帰りでした。ホテルでは6階の露天風呂から宍道湖を眺め、夜は室内のライトを消して対岸の灯りを見ながら寝ました。
翌朝宍道湖では浅蜊取りの舟が鏡の様な水面に出て、長い棹を立てて浅蜊を取っているのが見えました。同じところで早朝からチェックアウトする10   浅蜊取りの舟が見える宍道湖
時を過ぎても、まだ作業を続けているのを見て、そう いえば、最近はこんな風に黙々と働いている人の姿を見かける機会がなく なったなぁ と思いました。

ルイス・C・ティファニー庭園美術館のコレクションは大変見応えのある立派なもので、驚きと溜め息の連続でした。映画「ティファニーで朝食を」で有名な宝飾店「ティファニー」の後継者として生まれながら別の道を選んだルイス・カムフォート・ティファニーは、考案した特殊なガラスを用いた装飾ガラス工藝に打ちこみ、インテリアデザインとしてステンドグラスやランプを始め、家具やシャンデリア、宝飾デザイン等に数々の名品を残しています。テーブルランプ「蜘蛛の巣」もその一つです。またステンドグラスとは思えないほど美しい色彩のヘレン・グールドの風景「鹿の窓」は入場券のデザインになっています。その他、19世紀末〜20世紀初期の有名なガラス工芸家の芸術作品をゆっくり見ることができます。今の時期だからでしょうか、入館者が少ないのが気になりました。
【注】上はティファニーの「蜘蛛の巣」、右は同じく「花形花瓶」
コレクションは撮影禁止なのでいずれもパンフレットからの画像です。
04. 3. 31


鶯のモーニング・コール

10日程前から鶯の鳴き声で起こされています。毎朝7時前に窓の外に来て鳴いているので、鎧戸を開ける音で逃げるのじゃないかと、よそに飛んでいくまでそっとそのままで聞いています。去年までは台所に近い裏の竹藪から聞こえてきたのに、今年は我が家の庭に出張サービスです。\(^o^)/

初音を聞いたのは3月に入って直ぐでした。鳴き方も遺伝するのか、山で聞く伸びやかな鳴き声にはイマイチですが、それなりに上手になって、「ホ〜〜ホケキョ、ケキョケキョケキョ」と得意になって囀っています。感心していると、不意に取りこぼしたような鳴き方をして聞いているほうはずっこけます。鶯も 「シマッタ !!」 と思うのか、その後ちょっと沈黙が続き、どこか愛嬌のある鶯です。

こんな上等の日は、何かしなければ勿体無いと思うものの、日頃から考えたことがないので、素晴らしい春の一日をボ〜〜ッと過ごしてしまいそうで焦りました。夜中に起きて台所をウロウロしても素足のままで、もう冷たくありません。あぁ、春なんだなぁと実感する時です。
庭の辛夷(コブシ)が満開です。良く見るとほんのり淡いピンク色をしています。やさしく柔らかい春の光が似合う清楚な花です。少しでも長く咲き続けてくれますように。

04. 3. 23


ミモザの花かアカシヤか

友人宅の近所に、遠くからも目立つふんわりした黄色い花が既に2月から咲き続けています。「ミモザの花・・・」と言ったら友人が「アカシヤよ」と言いました。
Web site を検索してみると不思議なことが判りました。【ミモザ】=学名アカシヤというのです。そして日本人がアカシヤと呼んでいるのは別の花【ニセアカシヤ】なのです。

私がこの町に来て初めてニセアカシヤの樹を知りました。見上げると白い花が豊かな房になって咲いている樹があちこちで目に付きました。名前を聞いて呆れました。
【ニセアカシヤ】だなんて!                  ミモザの花
                                  
ラジオ歌謡「アカシヤの花」には、♪たそがれの並木を行けば/アカシヤのアカシヤの/白き花房/とあるのでやはりニセアカシヤのことでしょう。裕次郎の「赤いハンカチ」には♪アカシアの花の下で/あの娘がそっと瞼を拭いた/赤いハンカチよ/ これは2番の歌詞に♪北国の春も逝く日/俺たちだけがしょんぼり見てた/とあるので初夏でしょう。ミモザの季節は過ぎています。西田佐知子の「アカシヤの雨が止むとき」という歌の文句が、アカシヤの花に降る雨のことか、アカシヤの花が零れる風情を指しているのかちょっと不明です。雨だとしたら寒そうだし、散る花びらだとしたらミモザの花では不適切。これもニセアカシヤのことでしょう。北原白秋の「この道はいつかきた道」に ♪ああ、そうだよ/あかしやの花が咲いてる/ という歌詞がありますが既にアカシヤと呼ばれていたニセアカシヤでしょう。

清岡卓行の「アカシアの大連」に出てくる街路樹もニセアカシヤです。「彼」、つまり著者は憬れてやまないふるさと大連の並木のニセアカシヤを、今まで街の人が呼んできた通り、単に「アカシヤ」と呼ぼうと思ったのです。日本の小説、短歌、俳句、詩、歌謡曲に出てくるアカシヤは【ニセアカシヤ】のことで、どちらかといえば夏の花。ミモザは春の花です。

二人で大きな植木屋さんに行ってみました。そこにはラベルと写真がついた1m程の細い苗木が¥5.800。ちょっと驚きました。でも【ミモザアカシヤ】とは! 
このネーミングで決まりでしょ。(^o^)
04. 3. 17


◆不安な春◆

北風が吹きつけた前日と打って変わって翌日は4月中旬のポカポカ陽気で、その日は久し振りのきれいな青空に誘われて、友人と20分ほど車を走らせて郊外に出かけました。幾重にも連なって盆地を取り囲む低い山々が遠く薄紫に霞んでいます。ヤシャブシの新芽が春の空に向って一斉に芽吹いていました。この焦茶色のミニマツボックリ状の殻はリース作りには良い材料でした。梅林の古木の白梅はもう咲き終わり、新しく植えられた若木が花盛りで、鶯のよく透る鳴き声が林から流れてきます。
でも、いつものようにあけっぴろげで早春の野山を楽しめないのです。
鳥インフルエンザ騒ぎは、ある日突然、空から災難が降りかかってきたようなもので、養鶏農家などは不安におびえ安眠できない春になってしまいました。

友人の家の傍に大きな池があります。毎年秋に渡り鳥が飛んできて暖かくなったら北に帰り、池は静かな水面の光だけが残ります。また秋がくると何もなかった水面にある日沢山の真鴨が浮いていたりします。そんなとき、”あ、来たのね”と心でつぶやきます。しばらく雄のお洒落な羽根の色に見とれ賑やかになった池の姿につい頬が緩みます。こんな風景だったのが、この騒動が発生してからは彼女は毎朝起きると、何処かで鴨が死んでいないかと探してしてしまうといいます。池の周りの樹々に群れ飛ぶカラスの黒い影が不安を呼び起こします。今までのような胸がはずむ春の訪れとはいかないようです。
博多紫という菫だけが庭の露地で花を咲かせ続けてくれました。何度か雪を払いのけて鮮やかな紫の花を起こしました。このひと冬、可愛い花をありがとう。

     コッピーだより
いつのまにかウイローモスに小さな水泡が付いて光っている。一杯増えてじ〜っと動かない。何日経ってもそのままの状態だ。小さな真珠か銀色のビーズの塊みたいに見える。水面に浮いてはじけるのを見たことが無いのに、何日かすると銀色のあぶくのつき方が違っている。いつはじけて、いつ作られるのか、コッピーよりその方が面白そう。
04. 3. 11


◆「春を見つけたよ」◆

「100YEN SHOP」に行きました。市内では一番大きくて、建物全部が3階迄、あらゆる種類の100円の品で溢れています。私が探していたものはあいにく無かったのですが、荷作り紐、日記形式の小さな手帳、金属製の落ち葉掃き、作業用の腕カバー、滑り止めゴム付きマット、キッチンクリーナー、流しのぬめり取り・・・など目当ての品がなかったのに、結局7点も買ってしまいました。

100円ショップが一番安いという意識があるので、つい予備の分まで買ってしまい、後でスーパーで同じものが100円以下で売っているのを見つけることがあります。一緒に行ったSさんは、スーパーで買った品物が、半額以下で100円ショップで見つけた時の方がもっと悔しいといいます。日常品は先ず100円ショップに寄ってみたほうが良さそうです。

Sさんは硝子の細いミニ一輪挿しを買いました。保育園に通っているおしゃまなチビちゃんが、いつも道端に咲いている野の花を摘んで来るのだそうです。『春を見つけたよ〜!』っていいながら。(^o^) 

「子供って、短く摘んでくるので。 捨ててしまうのも可哀想だから。」とSさんは言います。これはまさしく「お祖母ちゃん」の気持ちだなぁと思いました。だから幼児はおじいちゃん、おばあちゃんが大好きなのですね。(^o^)
04. 3. 4.

4月へ
2月へ