利尻・礼文島の旅(4)

朝8時、旭川を出発、美瑛の丘をバスで巡りました。
パッチワークの丘
ビエイ=「あぶらぎった川の流れのある所」という意味だそうです。確かに川の流れは澄んだ水には見えませんでしたが。半時間程走るといわゆるパッチワークの丘が見えてきました。数年前の春に来たときも、農作物の種類によって土の色が違うらしく、作付け前でも土の色が濃淡に染め分けられたように美しかったのを思い出します。

「ケンとメリーの木」にきました。昭和47年日産自動車「愛のスカイライン」のCMに
ケンとメリーの木
使われたポプラの木だそうです。その頃のわが家はトヨタの中古車でした。
木に近づくと沢山の標識が立っていて有名になった代りに自然の景観を台無しにしています。「セブンスターの木」はタバコのパッケージに使われたデザイン、ちょっと行くと「親子の木」、低い木を真中に3本仲良く立っています。どれも丘にポツンと立っているので遠くから目立ちます。

富良野は北海道のほぼ中心に位置し、明治30年
十勝岳連峰の噴煙
福岡出身者の入植によって開拓が始まりました。今、ゆるやかに波打つ丘に花が咲く風景の後ろに、冬マイナス30度の厳寒に耐えて北の原野に根を下ろした開拓者達の姿が重なって見えてきます。富良野はアイヌ語でフラヌイ=「硫黄の匂いのする所」。漢字の地名は人々の願いの表れでしょうか。

04. 7.  26


利尻・礼文島の旅(3)

礼文島のフェリー乗り場の窓口に、バイオ
イブキトラノオ
栽培というレブンアツモリソウが 1 鉢飾ってありました。自生地ではとっくに花の時期は終わっているので実物を見るのは初めてです。さすがに良い姿の花でした。ここから2時間45分かけて稚内港へ。帰路は乗船客も少なくリラックスでき、時々甲板に出て快晴の空の下、心地良い潮風に吹かれました。何人も
レブンシオガマ
甲板から手を出してカモメに餌をやっています。馴れたもので、沢山のカモメが上手にホバリングして、指で摘んで差し出されるカッパえびせんをくわえて飛び去ると、又次のカモメがホバリングして待っています。まるで順番を守っているようです。ある男性が差し出す餌はいつまでたっても無視されているので、良く見ると「柿のタネ」(アラレ)でした。カモメは柿よりエビがお好き?(^_^)

♪ 流氷とけて/ 春風吹いて/ ハマナス咲いて ・・♪と
ハマナス
「宗谷岬」の歌が流れ、1:35船が稚内港に入りました。稚内公園にはモニュメント「氷雪の門」がサハリン(樺太)を臨んで建っています。わだつみ像で私達の世代には有名な本郷新によるものです。ここにも終戦5日目にソ連軍の侵攻により殉職した9人の乙女、17歳〜24歳の樺太電話交換手の悲しい物語がありました。

ここからバスは1時間で宗谷岬に到着。旧海軍の望楼に登ると宗谷海峡が一望できます。公園には1983年ソ
チシマフロウ
連戦闘機に撃墜された大韓航空機の犠牲者を慰める「祈りの塔」が建ち、塔の鶴の嘴は遭難の地、サハリンと並んで見える”モネロン島”を指しています。このあと私達のバスは旭川に向けて南下。車窓から見ると、帯のような虹色の雲が水平線の上に長く棚引き、紺色の海に白い客船が浮かび上がっています。夜 7:35 大雪山連峰の雪渓が見えて来ました。



04. 7.  19


利尻・礼文島の旅(2)

稚内で泊まって翌朝の礼文島行きフェリーは7時50分発です。この日は7団体のツアーグループが乗船すると言うので早くから並びました。2等客室は席が無かったら島に着くまで立ちん棒よ〜とのこと。1時間40分の船旅は波が荒そう(T_T)。 酔い止め薬を飲んで無事何事もなく 9時30分に利尻島鴛泊(オシドマリ)港に到着。船内に「知床旅情」の音楽がかかり、無理やり旅情を掻き立てられます。(^_^)

ヒオウギアヤメ
谷に架かる短い吊り橋を渡って原生林の中の姫沼へ来ました。ぐるっと一周、ツルアジサイや淡い色のエゾアザミ、エゾカンゾウやヒオウギアヤメが湿地に満開です。いろんな花をカメラに収めようとすると、どんどん一行から遅れるので、時々走って追いつきます(^_^A。 ここから見た利尻岳(1721m)は中腹まで雲の中でした。”リーシリ”はアイヌ語で”高い山”とか。噴火で
リシリヒナゲシ
隆起して出来た島だそうです。沓形岬で民家の前にリシリヒナゲシが栽培されていたので1枚パチリ!沓形港から再びフェリーで40分、礼文島に着きました。礼文島は利尻島とは反対に噴火で海に沈んだので一番高い山でも497m、全島お花畑でまさに花の浮島です。
夜7時半の夕日
最北限のスコトン岬に出て、島はバスで一周できないので又同じ道を戻ります。桃岩の展望台まで往復50分で帰ってきて下さいと言われ7合目辺りで引き返しました。登るだけならともかく、花を見ながらはちょっと・・・。海を隔てて見る利尻富士は雲が消えて美しい姿でした。


04. 7.  12


利尻・礼文島の旅(1)

礼文島にいちばん多くの花が咲くのがこの時期というので、大いに楽しみにして6月最後の日、福岡空港から乗り継いで雨の旭川空港に着きました。台風6号の名残りでお天気は荒れ模様。留萌に出て、砂浜に打ち寄せる白波を左に見ながら、オロロンラインをバスで北上です。(オロロンとは、オロロンと鳴くペンギンに似たウミガラスのこと)。 風力発電の風車が車道の片側に1列に並んで雨の中を回っています。風が強いので沢山蓄電できそう。1基60万円と聞いても安いのか高いのか・・・? どこか異様な風景でもありました。

小平町の花田鰊番屋に寄りました。隣りの郷土資料館が入館無料なので入って、樺太引揚船『泰東丸』の遺品が展示されているのを見ました。昭和20年8月22日、終戦になって1週間も経って、婦女子ら667人を乗せた泰東丸は、白旗と赤十字旗を掲げているにも拘らず、ソ連潜水艦の魚雷を受けて小平町の沖に沈んだのでした。一人の遺体も揚がっていません。今更ながら怒りと悲しみが込み上げてきました。

広大なサロベツ原生花園に着いたのは夕方になりました。ビジターセンターも閉まっていて湿原の中の遊歩道をちょっとだけ歩いて、エゾカンゾウが風雨の中で揺れているのを撮りました。その根元にピンクの可愛い花が・・・。湿原の広さも花の色も利尻の島影も全て霧の中に霞んでいました。
  
04. 7.  5

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