名前 2 
二十歳の或る日、突然家庭裁判所の一室で、当時珍しく顎鬚を生やした若きS判事の前で生まれて初めて自分の戸籍謄本を見ることになった。母の名は「ぎん」と書いてあった。そして「三女 すて子」が私の名であった。母は私に知られずに改名届をしたらしいが成人になっていた私本人が申し出る必要があった。母にとっては大きな誤算だったであろう。何も事情を知らされなかった私はもっとショックであった。すて子という自分の名がボ〜っとぼやけてきて、若い判事の前で顔が上げられなかった。捨松、捨吉、すて子…世間ではよくある名前なのだろうか。どう言う意味があるのだろうか。子供の幸せを願う親がこのような名前を付けるだろうか・・・四十年以上も聞けなかった。実母と二人だけになった時はこれまで何度もあった。布団を並べて寝たことも 2,3回あった。聞いてみたい。「どうして?」と何度も喉まででかかったが生まれつき気が弱かった。それを聞いたときの困った母の顔を見たくなかった。実際はそう呼ばれてきたわけではない。もう忘れよう、いつもそう思い自分を宥め宥めして、とうとう実母の葬式を迎える日がきてまった。私と深くかかわる4人の親を見送った事になる。私の名前の由来は迷宮入りになってしまった。最後まで聞く勇気がなかった気の弱い自分に幾分自嘲的になっていた或る日、父の遺品の文箱から一枚の書類が出てきた。私が家庭裁判所に宛てた私名義の改名届であった。私ではなかったがいかにも若い娘の筆跡であった。

実母の生まれ年は丙午であり、その年の母親から生まれた子供は育たないという迷信がこの地方にあったので、実母は自分が産んだ子供ではない。家の外に捨ててあった子供を拾って育てたという意味で「すて子」と命名しその難を逃れようとした。現在戸籍名と違う通称で20年間通って来たので、このままでは将来の就職や結婚に支障を来たす懼れがあるので現在通用しているF子に改名したく願い出た。

この書類が出たため、私は二十歳のとき家裁に呼び出されたのだと判った。ああ、そうだったのか…と長い間の憑き物が落ちたような安堵感を覚えた。
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