名前 1  
父の没後4年たって、ベージュ色に変色した古い手紙を整理している時だった。どこか記憶の中で見覚えのある名前の差出人の封筒があった。それは国民学校3年の私の担任の女教師の名前であった。何故このようなものが…と訝りながら読んだ内容は次の文面であった。


前略、桜の蕾もふくらむ頃となりました。無事長崎にお着きなされた由、蔭ながら喜んでおります。さて、本日速達を受け取りおどろいております。原簿を見、係りの先生、校長先生ともご相談申し上げましたのでございますが、原簿には皆F子となっていますし、在學證明書(通知簿に書いてございます)にもF子となっておりますので、戸籍にはすて子とございましても、學校へはF子となっている學籍簿をお送りしております故、通知簿さえ持っておいでになれば入學させていただけることになっていますのでご安心なさいませ。私の方の原簿がF子となっている以上訂正する事ができず、従って證明書もお出しする事ができないのでご了承くださいませ。F子様がまだ學校へ行っておいでなさらないと聞き、おどろいております。通知簿を持って早く學校へおいで下さいまして、F子様が元気にお勉強なされます様お祈り致しております。


長崎に引っ越してから春休みが過ぎ新学期が始まっても、暫く新しい学校へ行かなかった気がする。いつか外から帰った私に向かって、玄関に出た祖母が何かとげとげと厳しい口調で叫んだ。「Fちゃん、あんたはな、本当はなぁ、」と言いかけた時、部屋の奥から誰かの声がした。祖母はその方に振り返ると「いいえ!いつまでも黙ってんと、本当の事をこの子に教えておかなあかんのや!」と言った。土間に立ったまま何事かと部屋の奥にいた母を覗き込んだら、母は真っ青な顔をして棒立ちになっていた。「Fちゃん、あんたの名前はなぁ、」と言いかけた時、「おっかさん!!」と悲鳴に似た声をあげて台所から母の末妹が飛び出してきた。祖母は出かかった言葉を飲み込んだ。私は只ならぬ雰囲気の中を黙って自分の部屋に帰った。後で母に「なんのことやったん?」と聞いた。「何でもない」と母は一言いったきりだった。17歳の時母親に死なれ、父親は大阪のひとを後添えに貰ったが母はこれを疎み、今回長崎に帰るまで、死んだ母親の姉に当る伯母がいる京都で暮らしていたのだった。これ以降、この祖母と母の確執はずっと続く事となった。
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