いくさのあとさき


 隣の家族 
裏庭から梯子を上って平屋の屋根の上の物干し台に上がると、そこは私独りの別天地であった。お盆の送り火の夜は此処から真正面に大きく大文字山の火が見えた。物干し台の手すりの下を潜り抜けて黒い屋根瓦の上に裸足で出る。お日様の光を浴びた屋根瓦はほかほかと心の中まで温まりそうだった。屋根瓦の上をそっとかがみながらいつも決まったところまで行った。そこは天窓だった。そっと硝子越しに覗き込むと真下の台所の土間には、いつ見ても流しに向かって白い割烹着をつけた母の姿があった。いつまで見ていても母は全然気付かなかった。それから私は隣の家の屋根に移る。怖がりやの私が恐怖心を感じるほどの隙間ではなかったらしい。そして隣の物干し台に上がるといつも部屋の窓は開いていて、二階のその部屋にはこの家のお姉さんがいつも針仕事をしていた。

私を見るとにこにこして迎えてくれた。他に3人の兄弟がいたせいか、女の子の私を可愛がってくれた。少しも針仕事の手を休めることなく、話し掛けたり相槌を打ったり、退屈しないように相手をしてくれた。そこは何か私がわくわくする見慣れないおもちゃや本やゲームがあった。雑然と放り投げてある少年倶楽部は特に興味をそそられるものであった。戦艦大和を沢山の木のブロックで組み立てて完成させるモデルがあった。愛国百人一首があった。そうこうしているうちに、私より3っつ年上の男の子のYちゃんが学校から帰ってくると、茶筒の空き缶に入った将棋の駒を出して一緒に山くづしや回り将棋に熱中した。人形遊びやぬりえ、折り紙、おはじきなど、独り遊びしか知らない私にはとても魅力的な居心地のいい家族であった。

ゲームに飽きるとYちゃんが階下に降りていくのに付いて降りると、おばさんが天井から吊り下げた竹籠を下ろして、中から干しババナを一つづつ呉れた。母に見せないで他所の家で貰ったものを食べるのは固く戒められていたので、赤 いセロハン紙に包んで両端がねじってある干しバナナを握って玄関に降りようとすると下駄がない。おばさんが大慌てで探してくれるが判らない。やがて二階の窓から入った事にハッと気が付いてバツの悪い思いをする事がしばしばだった。屋根の上を歩く事は瓦がずれるので、ここのおばさんが一番嫌がっていることだったからである。