いくさのあとさき


 人形の眉 
ものごころがついた頃から人形が大好きだった。フランス人形や綺麗な着物を着て帯を締めた日本人形を見ると、もう欲しくて仕方がなかった。私が大丸で決まって迷子になる時は、人形の前で立ち止まって黙ってその表情に見入っているときだったのだろう。母の姿を見失って、狂ったように一階二階と駆けずり回りますます見つかりにくくなったものである。何度目かに迷子になったとき母は私に約束させた。直ぐに母の伯母さんがいるM医院に行く事である。それ以来迷子の恐怖を味わう事はなくなった。

ある夜更けに来客があった。独りで寝ていなさいといわれて布団に潜り込んだが 座敷からの話し声で落ち着かなかった。客が帰った後、土産に持ってきたという人形を見た。25センチ程の高さの桐の枠の硝子ケースに入っていた。紗綾形
(さやがた)の地紋の茜色の着物を着て、縦矢に結んだ帯が重すぎて、人形の体が歪んでいるようで気になった。同じ客から以前貰った人形はこれより一回り小さく、背中に負ぶった赤ん坊にでんでん太鼓を翳している可愛いボーズをしていた。横縞の派手なねんねこを着た子守り人形で、私のお気に入りであった。いつも硝子のケース越しに、負ぶわれた赤ん坊の顔を確かめようとしたものである。

それに比べると今度の人形は、長い袂
たもと)の両手を少し前に出して、ただ突っ立っているだけであった。客は歓迎される客ではなかったようだった。「こんなん持って来て・・・、それでもこっちの方が上等でっせぇて言うてはったわ」と母が父に苦笑混じりに呟くのを見た。数日後、その白い人形の顔は黒くて太いげじげじ眉毛に変わった。夕方帰った父が気付き烈火の如く怒った。「なんちゅうことすんのや!人形は顔が命や!」「そうかて、ちょっと薄すぎるような気がしたさかい」と母がバツの悪そうな言い訳をした。そう言えば母の髪の毛は細く眉毛も薄く、いつも眉墨だけは丁寧に引いていた。私の髪を洗った後櫛目を入れながら、「ほら、つやつやして綺麗な髪してる」と自慢げであった。震えた手許そのままを表わしているそのげじげじ眉毛の人形は、それからいつまでも我が家に飾られていた。