ぐるり北海道の旅 その2
11月27日、札幌の天気はあまり良くなかった。今日は、特急「スーパー宗谷1号」で稚内まで乗り通す予定だ。
7時半に目が覚め、そそくさと仕度を始める。同室の2人はまだ寝ているようだった。8時15分、仕度も終わりフロントにリネン類を返却する。
列車の時間は8時30分、駅までは10分程、時間があまりないので少し早めに歩いていった。ホームに上がった時は発車3分前だった。
「スーパー宗谷」はJR北海道の最新鋭車輌、キハ261系を使用している。宗谷本線高速化事業の一つとして、旭川〜名寄間の高速化が行われ、今まで走っていた急行列車の代わりに運転を始めた特急だ。車輌の方も、高速化事業を手掛けた「北海道高速鉄道開発(株)」が3編成12両を保有している。JR側も増結用の2両を保有している。
車内を見ると、自由席にはかなりの立席が出ている。指定席の方も完売との事で、冬場の需要の高さを物語っている。
今日は増結はなく、身軽な4両編成で札幌を出発する。スムーズな加速は申し分なく、電車に乗っているような錯覚を覚えるが、床下から聞こえるエンジンの唸りが気動車である事を主張している。
白石まで千歳線と並走しながら進んでいく。右側に札幌貨物ターミナルを見ると左へカーブして千歳線と分かれてゆく。
札幌から離れ、旭川に近づくにつれ雪が深くなってゆく。左側に防雪林のような林が続いている。
この「スーパー宗谷」にも車内販売があった。とりあえず朝ご飯にサンドウィッチとコーヒーを買った。
最初の停車駅「岩見沢」では新千歳空港行き「スーパーホワイトアロー」と出会う。向こうも見た感じでは満席のようだった。
この辺りから車内を見て回る事にした。普通車の方はアイボリーの化粧板に天井の中央のパネルは青だった。シートの色も号車ごとに違い、青・緑・赤の3種類、グリーン車は革張りの重厚な座席が1+2の配置で並んでいた。
一番前のデッキに行くと、普通はこの先が運転室なのだが、この車輌は運転室を左上に寄せてあり、右側には通路がある。この通路は増結車輌がある時に使われる通路だが締め切られる事もなく、貫通扉についている窓から前面展望を楽しむ事が出来る。親切にも手動のワイパーが付いている為、雨が降っていても大丈夫だ。北海道の新型特急は基本的にこの形のようだ。
深川まで展望を楽しみ、自分の席に戻る。広い敷地を持つ旭川に止る。ここで函館から続く「函館本線」は終わり、ここからは「宗谷本線」となる。
唯一?の高架駅「旭川四条」を通過して「新旭川」で石北本線と別れる。次の「永山」で、停車駅でもないのに列車が止る。「ワンマン」表示の普通列車が隣を走ってくる。行き違いのために止ったのだろうか?
宗谷本線は単線のローカル線といった感じで、所々の駅で行き違いをしなければならない。その為、行き違い列車に遅れが出るとこちらも待たなくてはならない。現に「スーパー宗谷2号」が遅れた為、士別駅での待ち合わせで2分ほど遅れて発車した。
士別の次の停車駅「名寄」は結構大きな駅だ、現在は宗谷本線のみだが昔は名寄本線、深名線の乗換駅だった。駅到着前に右側に大きな青いビニールシートを被せられた物があった。「キマロキ」といい、機関車、マックレー車、ロータリー車、機関車で編成される除雪列車で、北国博物館の旧名寄本線上に保存されている。
名寄を過ぎると、左側に天塩川を見ながら進んでいく。天塩川はかなり大きな河で、部分的に凍っているように見えた。
名寄駅から2つ目の駅に「智東」という臨時駅がある。臨時駅とは、期間限定で営業する駅の事で、梅の時期だけ営業する常磐線の「偕楽園」等がそうである。
この智東駅の周りには人家がなく、冬季は道路が除雪されない為、12月から3月まで休業となる。この時期に駅に行くのを目当てに来るマニアもいるという・・・。
天塩川が離れていき、しばらくすると「美深」に到着する。この美深駅は、かつて「日本一の赤字路線」と言われた国鉄美幸線の起点となっていた駅で、仁宇布まで走っていたが、昭和60年9月に廃止となり、現在は美深駅に美幸線記念館がある。そして、仁宇布側は「トロッコ王国」となり、エンジン付きの軌道自転車を運転することができる。
再び、天塩川と共に北に向かって進んでいく。右側には山がせり出してくる。河の向こうの方が道路もあり、土地も開けているような気がするのだが・・・。
旧天北線の分岐駅「音威子府」を出ると、ついに列車の右側を通る道路がなくなり、河を挟んだ対岸にしか道がない。河に沿って、列車も蛇行してゆく。「音威子府」の次の駅「筬島」と「佐久」の間には、「神路」という駅があったと言う。筬島〜佐久間が18キロも離れているので、あってもおかしくない距離だ。車内から跡を確認しようと思ったが確認できなかった。駅跡地に行こうと思っても、谷のようになっている天塩川には橋はなく、線路と同じ河の右岸には道路は無い。本当の「陸の孤島」で、普通の手段で行く事は出来ないだろう。
北に進むにつれ雪が深くなると思っていたが、予想は大きく外れて稚内の2つ南側の駅の「抜海」では、辺りに雪は見えなかった。ただただ広い牧草地と思われる所を走ってゆく、右側から町が見えてくると「南稚内」に到着、数分後の13時28分終点の「稚内」に予定通り到着した。札幌から4時間58分だった。
稚内は雪がなく、風が強いので函館と同じような印象を受けた。駅正面から見える丘の上には風力発電の風車が回っていて風が強い事を印象付ける。
駅名板の「日本最北端の駅」と書いてある前で記念写真を撮ってから駅前にあるスーパーで、持ってくるのを忘れていたシャンプーを買いに行った。駅に戻ってご飯を買おうと思っていたら、稚内駅唯一の駅弁、「さいほくかにめし」は売り切れていた。15分ほど待てば作れると言われたが、時間がないのであきらめる事にした。しょうがないのでキオスクでお菓子とお茶を購入。恐れていた「宗谷線飢餓旅行」の始まりとなった・・・。(←大げさ)
少し意外だったのは、稚内駅で駅弁の立ち売りをしていた事だった。最近は窓の開く車輌が減り、停車時間も短くなっている為に弁当そのものも売れず、立ち売りから売店方式に変える業者が多いからだ。とにかく駅弁の立ち売りは珍しい方になってきた。
稚内駅の窓口で次の列車、13時45分発札幌行き特急「サロベツ」の指定を取る。列車だけ伝え、着駅を言い忘れたのだが、駅員は「はいはい・・・」と指定券を発行してくれた。発行された券を見ると、しっかり札幌まで取ってあった。こういうルートで稚内到達を目指す鉄ちゃんが多いと言う事だろうか・・・?
サロベツ号は、昨日乗った特急「北斗」と同じキハ183系の3両編成、内装は宗谷線用に改装されていた。発車時刻になると、やはり昨日と同じく「ガクン」と強いショックがあり、その後はそろりそろりと走り出した。さっき「スーパー宗谷」で見てきた景色と同じ景色を眺めてゆく。再び佐久〜筬島間で神路駅跡を探してみる。今度は小屋のような物を見つけたが、それが駅の跡地だったのかは分からなかった。音威子府を過ぎた辺りから暗くなってきた、16時を過ぎると辺りは真っ暗になっていた。所々街灯に照らされた家が見えてくるが、遠くから見る限りその家が使われている感じはしなかった。目の前に倉庫やコンテナが見えてくると名寄に着いた。ここで名寄サンピラーYHの最寄り駅「日進駅」に行くため、3番線に止っている幌延行きに乗る。この列車はキハ54系の単行だった。車内は学生でいっぱいで、デッキ付きになっているため車内の移動が辛い、何とか日進に着く前に出口側にたどり着いた。ちょうど駅に進入するところだったので見ていると、駅のホームがこの車輌の半分程度しかない、その為かなり前から減速して前側のドアがホーム中ぐらいにきたところで停車、乗客の乗り降りを確認したら直ぐ発車、ほとんど路面電車並みの運転だった。
列車のステップよりも1段低いホームに降りる。日進駅は板張りの簡素なホームだった。離れた所に待合室があり、中を見てみると床は土の地面がむき出しとなっていた。また駅前等はなく、駅の名寄寄りにある道路まで線路を歩かなければならなく、踏切が駅の入口になっている。駅、踏切、交差点くらいにしか街灯がなく、辺りは畑だらけでかなり暗かった。駅から5分ほど歩いた所に今夜の宿「名寄サンピラーYH」があった。表に掛かっているYHの看板を見るまで道を間違えていないか不安だった。
木造の綺麗なYHで、昨日泊まった「札幌ハウスYH」とは正反対の印象だ。玄関を入ってすぐのカウンターでチェックインの手続きをする。ペアレント(マネージャー)さんから、温泉ツアーがあり、近くの「名寄温泉サンピラー」に無料送迎、回数券の料金で利用できるというので行ってみる事にした。今回は幸か不幸か自分だけの貸切だった。11月に同じく北海道を旅行しているというホステラーさん(YH利用者の事)がいたそうだが、その人も貸切状態だったと言う・・・。荷物を部屋に置いて1階のロビーに行くとお風呂が沸いた事を告げられる。温泉に行くのにこっちでも入ろうと頼んでおいたのだ。お風呂の大きさは大体家庭用のものと変わらない大きさだった。お風呂から出てくると見事!夕食の時間(18:30)ピッタリだった。食事を終えて、ロビーでペアレントさんと話していると、温泉に出発する時間を少し過ぎていた。ペアレントさん運転の車で送ってもらい、9時に約束をする。温泉の受付でYHでもらったチケットを渡す。どうもこの施設は宿泊施設もあるらしい。2度目のお風呂も約1時間位入っていたらしく、出てきた時は9時近かった。風呂上りにアイスを食べていたところ、背後から声を掛けられてビックリ!見るとペアレントさんだった。再び車に乗りYHに戻り、名寄周辺の観光案内を聞く。昔はミーティングといい、歌ったり踊ったりしたそうだが、今は地元の観光案内を聞いたり、お茶を飲みながら語ったりするのがほとんどらしい。大きいYHになると、何もやらないような所もある。札幌ではそうだった。ペアレントさんと話しているうちに、徐々に鉄道の話になっていった。深名線、名寄本線、美幸線、天北線等、廃線になった所や、今日列車の中から探していた神路駅等、廃駅の話で盛り上がっていた。(2人だけで・・・)ペアレントさんも筬島〜佐久間の駅間の長さと、筬島の駅名板が塗りなおしてあった事から駅があったのではないかと睨んでいたらしく、神路駅の話になっていった。結局、この会話は消灯時間になったことでお開きとなった。
翌朝、ペアレントさんの「朝食の用意が出来ましたよ〜」と言う声で目が覚めた。旅先でこんなに熟睡していたのは珍しい方だった。昨日の夜、ペアレントさんと明日の予定の事で話していて、自分は当初札幌まで戻り、「スーパーとかち」「スーパーおおぞら」と乗り継いで釧路を目指すつもりだったが、ペアレントさんから「スーパー宗谷」「オホーツク」と乗り継いで釧網線に乗れば釧路まで行けば、予定列車に乗れて重複区間を少なくする事が出来ると言われ、ペアレントさんの案にする事にした。朝食を食べた後、普段と同じようにぼ〜っとしていた。日進駅9時53分発の名寄行きに乗る予定だ。9時頃から仕度を始めたのだが、いつもの事で時間ギリギリになっていた。ペアレントさんも心配になったのか、声を掛けに来ていた。仕度が終わりチェックアウトしたのが9時48分、ちょうど5分しかなかった。走って駅に向かい、入口の踏切まで来た所で待っていたかのように踏切が鳴り出した。列車のライトが見えていたので、反射的?にカメラを出しながらホームに向かい、駅に入ってくる列車を撮っていた。こんな事をしているとは・・・まだ余裕があったって事だろうか?少なくとももうしたくない行為だった。列車からは降りてくる人はなく、乗るのも自分1人だった。昨日の夜も自分1人が降り、乗る人は誰もいなかった。列車の中で息を整える。名寄に着くと、とりあえず改札を出る。みどりの窓口で「スーパー宗谷2号」と「オホーツク3号」の指定券を頼む。「スーパー宗谷」は取れたのだが、「オホーツク」は取れず、全区間立ちっぱなしになるのは嫌なので遠軽〜網走間だけ押さえておいた。地方の改札は列車ごとに改札時間が決まっていて、それまでホームに入る事は出来なくなっている。改札時間が近づくと行列ができてきた。全部「スーパー宗谷」に乗る乗客のようだった。放送で改札開始を告げると列が少しずつ動き出した。ホームに入ると目の前にキハ40が止まっていたので、真っ先に写真を撮ってから乗車口に向かう。4号車指定席、本来自由席の車輌なのになぁ・・・と思っていると6両に増結したキハ261系がやってきた。昨日と同じく、2号は札幌寄りに2両の普通車を増結していた。列車は雪煙を立てながら山間部を駆け抜けていく。今回も1番前の小窓から前を見ると、線路がまったく見えず、全て雪で埋まっていた。レールの部分が少し凹んでいるので分かるくらいで、本来見えるはずのレールの頭の部分も見えなかった。列車はそんな状況もものともせずに飛ばしてゆく。さすが北海道の列車だと感心してしまった。
旭川で特急「オホーツク3号」に乗り換える。今回初めて乗るタイプのキハ183系で、「北斗」「サロベツ」で乗った車輌は550番台と言われる貫通型のもので、「オホーツク」に使われているのは0番台の非貫通型のタイプだ。国鉄時代に作られた車輌で、量産されたディーゼルカーでは珍しく非貫通型で他にはキハ81系という初期の特急用ディーゼルカーに採用されているだけだ。写真を撮ってから車内に乗り込む。旭川〜遠軽間は指定席が取れなかった為、自由席の2両目に乗る。ふと号車札を見てみると「増1号車」と書いてあった。この「オホーツク」はキハ183系を使用しているが、半室タイプのグリーン車がある為車内販売があった。「北斗」もグリーン車と車内販売があったのを考えると「サロベツ」が特殊なのか・・・?「スーパー宗谷」や「北斗」にもあったが、座席の後ろのネットにJR北海道の情報誌と車内販売のメニューが入っていた。「ご自由にお持ち帰り下さい」と書いてある情報誌は、JR東日本にも同じような物はあるがグリーン車にしかなく、自由席にも置いてあるとは思わなかった。メニューは、北斗系、おおぞら系、オホーツク系、宗谷系とページごとに販売品が違い、共通化されていた。札幌始発の列車と網走始発の列車とは販売しているお弁当が違っていた。他に遠軽積み込みの「かにめし」があった。昨日、稚内で「さいほくかにめし」を買えなかったので、遠軽のを買ってみることにした。「かにめし」は上川までに注文することになっていて、注文しなかった場合は自分で買いに行かなくてはならない。車内販売が来た時に真っ先に頼み、ついでに飲み物を買った。旭川からは平野部を走っていく感じだったが、徐々に山の中に入って行く様で、最初の停車駅の上川を出ると一気に速度が落ちた。上川〜白滝間は1日1往復しか普通列車が走ってない事で有名な区間で、他には特急5往復、快速1往復が走っている。途中の「上白滝駅」に1往復だけ列車が停まっている。また、途中の「天幕」「中越」「奥白滝」の3駅が廃止、信号場化されたことで駅間距離日本一の34kmとなっている。「オホーツク3号」は中越信号場で停まった。放送で「ただいま中越です。列車の行き違いのため、少々停まります。」と言われた。信号場と言われないと、ここが現役の駅のような気がする。「オホーツク4号」が信号場に入ってくると発車となった。上越信号場は気付かずに通過、奥白滝信号場の手前で一旦停車、行き違いなどはなくそのまま通過した。先行列車に追いついた訳でもないと思うのだが・・・。丸瀬布に停まると、次が遠軽だった。
遠軽は新旭川から続く「石北本線」のほぼ中間にあたる駅で、昔は「名寄本線」との乗換駅だった。現在は「石北本線」のみで、ここで進行方向がかわる「スイッチバック式」の駅である。車内では座席の向きを変える人がほとんどだった。
遠軽を出てしばらくすると、頼んであった「かにめし」が届いたので、早速食べる事にした。しばらく行くと再び山間部に入ってゆきトンネルとスノーシェルターを抜けるとSL撮影地で有名だった「常紋信号場」だった。この「常紋信号場」には怖い話が多く、信号が消えるとか、火の玉が出る等の話がある。実際に遠軽側にあるトンネル改修の際に中から人骨が発見されたという。列車から見る限り辺りには家や道路はなく林に囲まれた寂しい所だった。信号場を過ぎると今度は下り坂になり2駅過ぎると留辺蘂に到着する。次の駅の相内ではDD51重連の貨物列車が待っていた。石北本線では定期の貨物列車はなく、たまにコンテナ車を使った貨物列車が走っている。急いでカメラを出したが列車の尻尾しか撮れなかった。相内からは住宅なども増えていき、「ふるさと銀河線」と合流すると北見に到着する。
北見では「オホーツク6号」との待ち合わせの為、4分の停車時間があった。停車時間を利用して写真撮影と飲み物を購入、「オホーツク6号」が出発してまもなく、こちらも出発となった。北見でかなりの下車客があり、車内はかなり空いてきた。あと2駅停車すると終点だ。しばらく高架を走っていく。地上に降り、川を渡って行く。この川に「ところ川」と看板が立っていた、この看板がJRの駅名板に似ているように見えたのだが気のせいだろうか?列車はグネグネと曲がりながら林の中を進んで行き、美幌、女満別と停まって終点の網走に到着した。途中、女満別駅に留置されてた車掌車(貨物列車で車掌が乗る為の貨車)が少し気になった。
網走では、とりあえず改札口を出て駅舎の撮影と、駅から海岸の方に向かって歩いてみる。駅前の電柱に掛かっていた看板に「マクドナルドこの先4.3km」の表示、歩いて1時間掛かるマクドナルドは初めてだった。NTTドコモの営業所を過ぎた辺りで踏切の警報音が聞こえてきた。鉄ちゃんの悲しい性で、線路が見える所まで移動してカメラを構えるが、曇っている為、露出不足で撮るのを断念した。駅に戻りがてらコンビニでお茶とお菓子を買っておく。列車は16時18分発の釧路行き、ホームに列車は入っているのだが、改札が始まらないので列車に乗ることが出来ない。待合室にある弁当屋で「帆立弁当」を買って待つことにした。16時ちょうどになり改札が始まり、見てみるとほとんどが学生だった。釧路行きの列車は、キハ54形とキハ40形の2両編成、後ろのキハ40形は「知床斜里」止まりだ。ステンレス製のキハ54形には、「SENMO−LINE」と書いてあるタンチョウのイラストが入ったステッカーが貼ってあり、この路線の専用車のようだ。2両編成の車内は学生で埋ってしまい、旅行者は自分1人のようだった。定刻通り網走を出発した列車は、次の桂台で数人の学生を降ろし、再び大勢の学生が乗ってきた。この後、「北浜」「浜小清水」「知床斜里」で学生の大量下車があった。北浜駅に停車中に、駅舎の中から子供がこちらをのぞいていた。最初は待合室だと思っていたのだが、なにか雰囲気が違い、なんとなく気になる駅だった。知床斜里では後ろ1両切り離しの為に22分停車した。切り離しの作業も、自分の乗っている「釧路行き」の列車の運転士が行っていた。釧網線は単線なのだが、タブレット(通票の事)等は使ってなく、交換駅に到着し無線機のような物のボタンを押すと信号が青に変わるシステムのようだった。網走を出発した時から外は真っ暗になっていた為、景色を楽しむ事は出来ない。夜の移動が一番暇だったりする。結局、運転士を見に行ったり、1両しかない列車の前と後ろを行ったり来たりしていた。途中、釧路まで行く女子学生が3人乗ってきたが、自分が覚えている限りでは乗ってきたのはそれだけだった。釧路には定刻通り20時06分に到着した。釧路まで乗ってきたのは10人ほどしかいなかった。釧路で降りて町の中を歩いてみるが、20時を過ぎている為開いている店がほとんどない。コンビニと、本屋がやっていただけで、マンが喫茶の類などは全然見かけなかったのが意外だった。コンビニで、明日の朝食にするパンと、本屋で暇つぶしに立ち読みと「機動戦艦ナデシコ」の小説版を買った。駅に戻り、駅の中にある「ミスタードーナッツ」で、先程買った本を見ながらコーヒーとドーナッツを食べて列車を待つことにした。今度乗る列車は、23時発特急「まりも」で、昔の「おおぞら14号」と同じ列車、同じ時間を走る列車だ。20分前にホームに行くと列車が入っていた。列車は5両で、そのうち2両は寝台車だった。自分は5号車の自由席に乗ったのだが、残念ながらキハ183系貫通型特有の展望席を取る事は出来なかった。
今日はこの「まりも」を宿代わりにして、明日のために「追分」まで乗っていく。23時になり、列車は札幌に向けて出発した。車内放送が始まり、到着時刻と車内の案内を終えると、翌朝まで特別な場合を除いて放送がない事を告げて終了した。車内はかなり空いていて、座席を向かい合わせにして4人分の席を使っても、全然問題にならないくらい空いている。「ムーンライトながら」や、急行「能登」等を想像していた自分としては、拍子抜けした感じだった。
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