ぐるり北海道の旅 その1
11月24日23時50分、宇都宮駅にいた。0時2分発、寝台特急「はくつる」に乗るためだ。
しかし、今日の「はくつる」の切符をまだ買っていなかった。
それというのも、前日まで予定らしい予定を考えてなかったからだ。
使う切符は「ぐるり北海道フリーきっぷ」東京都区内からJR北海道のフリー区間までの往復を含んだ切符だ、東北線を走る特急(新幹線含む)・急行の指定席とB寝台が利用できる。最初は普通列車で青森まで乗り通すつもりだった。しかし、「はくつる」が廃止になるのを思い出し、時刻表を見てみると・・・0時02分に宇都宮を出る。
上野から宇都宮までは1890円、新幹線でも4000円強の負担で切符の有効期限が延びるのならありがたい。
それを思いついたのが当日の20時、身支度を整え、家を出た時は21時を過ぎていた。
21時では旅行代理店は閉まっている。途中の駅でも、時間の都合で窓口まで行く事ができなかった。
結局、宇都宮まで「はくつる」の切符を買う事は出来なかった。駅員に事情を話し相談してみると、「直接、はくつるの車掌に訊いてみて下さい」との返答だった。
しばらく待合所にいると、さっきとは違う駅員が来て、車掌の乗ってる辺りに案内してくれた。
駅員が「はくつる」到着の案内を告げると共に、眩しいくらいのヘッドライトの光が見えてくる。続いて自動放送の案内、赤い車体の機関車に青い客車がいくつも連なっている。
自分を案内してくれた駅員が、車掌に座席の有無を聞いてくれた。幸い今日は空席があるとの事だった。
駅員に礼を言って、「はくつる」に乗り込んだ、最近は廃止決定の影響か、混んでる事が多いという。
車掌に案内された席は9号車の4番上段、寝台券はさすがに車内では発行してくれなかった。
すでに車内は減光されている。さすがにそんな状態では車内を見て回るわけにはいかないだろう・・・、早々に寝る事にした。
寝かけてた頃、列車が止まった。上段には窓がないので、通路に出て外を見てみる。外には見慣れている115系電車が止まっているが、反対側には見慣れない電車が止まっていた。
駅名板が見えないがおそらく黒磯だろう、しばらく外を見ていたが、列車が動き出したので、再び寝る事にした。
翌朝、7時位に目が覚める、ちょうど八戸辺りだった。新幹線の線路は見ることが出来なかった。
家から持ってきたおむすびを食べる。あと1時間ほどで終点の青森になる。
「はくつる」は過去1回利用しているが、それは青森の帰りに乗っただけで、青森行きに乗ったのは初めてであり、日中に八戸〜青森間を通るのも初めてだった。
青森到着の放送が流れる、列車は高架を進み、右に曲がっていき青森駅3番線に到着する。
青森駅にはすでに何人かの鉄道マニアが集まっていた。
自分も降りると、すぐに先頭のほうに向かって歩いて行く。ちょうど上野から列車を引いて来た機関車を切り離す作業をしているところだった。
機関車が離れ、先頭に出た電源車を撮っておく、そして最後尾まで走って行く。
最後尾になる1号車には、熊が寝転んだ絵の大きいシールが車体に貼ってあった。今日、上野出発の列車まで連結される「ゴロンとシート」だ。寝台車と同じ車輌を指定席扱いで利用できるが、寝具などのサービスはない。しかし、座席車よりかは快適に寝られるだろう・・・。
その1号車には、入れ替えようの機関車が連結されていた。写真を撮っていると、1番線の向こうを機関車が走っていく。
先程切り離された「はくつる」の機関車だった。仕事を終え、客車より一足先に車庫に戻ってゆく。
1・2番線ホームに行くと、2番線に盛岡行き特急「はつかり8号」が止っている。今度のダイヤ改正で廃止となる列車同士の並びだ。
1番線には、大阪発函館行き寝台特急「日本海1号」が入ってきた。東京では見ることができない濃緑と黄帯の機関車に引かれて来た。
「日本海」は大阪から青森・函館まで、その名の通り日本海側を通って結ぶ寝台特急で、同じルートに、寝台特急「トワイライトエクスプレス」がある。
海峡を渡る2番手となる「日本海1号」は、東能代からB寝台車が立席特急券(自由席特急券と同額)で利用できる。青森で機関車の交換と、後ろの客車(5〜12号車)を切り離し、向きを変えて、8時51分函館に向けて走り出した。
さて、、「はくつる」の方は「日本海」の機関車の付け替えが終わった頃に車庫に引き上げてしまっていた。代わりに普通列車の気動車が止っていた・・・。
自分が乗る列車は快速「海峡3号」だ。青函トンネルの開業の時、役目を終えた青函連絡船の代わりに走り出した快速列車だが、特急格上げのため廃止となる。
青森駅は青函連絡船への乗換駅だった。そのため、北側は海に面していて、改札口などは南側にしかない。今でも北側には、連絡船の桟橋に行くのに使われた跨線橋が残っている。
今は、殆ど誰も通らないであろう北側跨線橋を通り、「海峡3号」の待つ6番線に向かう。手入れがされていないのか、床のひび割れなどが目立つ。
北側の跨線橋から行くと、列車の止っている位置までが遠い。それもそのはず、列車は改札口につながっている跨線橋に合わせて止るからだ。
自分の乗る車輌は1号車、一番前になる。青森駅のホームを、殆ど端から端まで往復したようなものだ。
5両の列車の側面には「ドラえもん」のシールがたくさん貼られている。機関車まで「ドラえもん」塗装だった。
9時15分、列車が函館に向けて出発した。自分は「はくつる」の中で朝を食べているのに駅弁を食べ始めた、青森駅の「とりめし」だ。
「海峡3号」は左に東北本線・青森車輌所・奥羽本線を見ながら、一番右の線路を通って行く。ここからは、津軽線(青森〜三厩)となる。
単線のため、奥内で列車の待ち合わせがあった。次に停車した蟹田では、乗務員がJR東日本からJR北海道に替わった。
蟹田から、実質JR北海道の列車となる。次の「中小国」駅が東日本と北海道の境界駅だが、津軽海峡線を通る列車は全て通過してしまう。
その中小国を気付かず通過してしまう。列車は止りそうな速度まで減速してゆく、ガタガタとポイントを渡って行くと、白い柱のような物が迫ってくる。よく見ると、青森側に「東日本旅客鉄道」函館側に「北海道旅客鉄道」と書いてある。この柱の場所が路線の境界線だった。
ここで津軽線と別れ、海峡線に入ってゆく。今までの単線ローカル線のイメージではなく、複線高架の新幹線のようなイメージの物になった。線路も砂利敷きではなく、コンクリート製の「スラブ軌道」と呼ばれる物になっている。
車掌がこれから通る「青函トンネル」の案内を始める。途中、7つのトンネルをくぐり、青函トンネルに入ってゆくという。2つトンネルを抜けた後、右から中小国の先で別れた津軽線が寄ってくる、海峡線最初の駅「津軽今別」に到着だ。
この津軽今別駅は、津軽線の「津軽二股」駅の隣にある。異名同駅といった雰囲気がある。ここに北海道新幹線の「奥津軽(仮称)」が設置されるようで、駅横に新幹線誘致の大きな看板が立っている。
列車は津軽今別を出て、青函トンネルに向けて淡々と走ってゆく、何個もトンネルをくぐってゆく、いつ青函トンネルに入ったのかが分からなくなりそうだった。
青函トンネルは全長53.85kmで世界最長のトンネルと言われている。トンネル内は常に摂氏20度、湿度80%に保たれている。そのため、トンネル内52.7kmにつなぎ目のない「スーパーロングレール」が使われている。そのため、「タタン、タタン、」というレールの継ぎ目でする音がなく、代わりに「ガーーー」というような単調な音が車内を支配していた。
窓には湿気のためか、曇ってきて外は見えない。車内放送で、左側に「ドリームサイン」というものが見えるとの案内があり見てみる。「ねぷた」のような、赤く点滅する絵を車窓から見る事ができた。
竜飛海底駅をいつ通過したか分からないまま、吉岡海底駅に到着する。駅に着く前に右に分岐して行くトンネルが見えた。
吉岡海底駅で列車を降り、青函トンネル内の見学をする。青函トンネル内にある「吉岡海底駅」と「竜飛海底駅」は海底駅見学者専用で、「ゾーン539カード」を持っている乗客しか降りることは出来ない。そのため、列車も指定された号車のドアしか開かないようになっている。しかし、駅を名乗っているためにふらりと途中下車しようとする人や、ここから列車に乗れるだろう・・・とか、駅なんだから食堂とか売店くらいはあるだろう・・・と考えて、地上側から来る人もいるらしい。
ここでは青函トンネルの歴史や、海峡線にある駅の役割などの説明を聞く。元々、竜飛海底駅と吉岡海底駅は駅としてではなく、災害発生時の避難場所として作られている。
その為、駅として乗客が乗り降りする設備はなく、地上に出るには「斜坑」といわれる作業用のトンネルを登らなければいけない。また、災害発生時の為に「本坑」といわれる列車が通るトンネルには多数の消火栓が設置されている。非難する時に線路を歩くのは危険な為、避難用通路として「作業坑」トンネルが「本坑」の30m横に作られている。この「作業坑」には一時避難場所となる広場やトイレ等も用意されている。この為、本来は「駅」ではなく「定点」と呼ばれるそうだ。この吉岡海底駅では、JR北海道から委託されている係員とガードマンが案内してくれる。通路となっている「作業坑」トンネルは、本線である「本坑」の両側にあり、下をくぐる形でつながっている。避難所は下り線側の作業坑にある。見学場所は主に下り線側の作業坑だった。吉岡海底駅の模型、青函トンネルの歴史を伝えるパネル、災害時対策としての駅の設備等、ホームに出ている時に、盛岡行き特急「はつかり」がやってきたので、写真を1枚撮らせてもらった。係りの人も列車の時間が分かっているので、ファンサービスのようだ。
一通り見学した後、10月までやっていた「ドラえもん」イベントの後を見せてもらう。このイベント場は、「下り線横取基地」という部分で、新幹線が通るまでは使わない為イベント等に利用しているという。駅手前で見えたトンネルは、この上り線側のものだった。この時は12月からの「ドラえもん」イベントの準備がされていた。ここで、次の列車までの時間を過ごす。作業中ではあったが、ビデオ上映、オレンジカードの販売は行われていた。
発車時間10分前にホーム手前の作業坑トンネルに戻り、ガードマンの案内で列車に乗る。
今度の「海峡5号」には客室仕切りの上に電光表示機が付いていた。先程乗った「海峡3号」には付いていなかった。車輌も特急形から普通列車用に変わっている。今度の列車は表示機がある為、どの辺りを走っているかが分かった。トンネルを抜け、北海道に上陸する。昼間にこの区間を通るのは初めてだったが、あいにく天気は雨だった。1日2本しか止らない知内駅を通過して列車は木古内駅に着いた。ここで見学者からも下車客が出た。列車は木古内から江差線(江差〜五稜郭)に入って海岸線沿いに函館を目指す。津軽線と同じく単線のローカル線で、あまり速度は出ない。
横を併走する道路には、北海道らしい矢印の標識が道路の上に立っていた。
途中で、「はつかり」とすれ違う。向こうはトンネルに入ったままこちらを待っているようだった。
海峡5号は13時50分に函館に着いた。10分後に札幌行きの特急「北斗11号」があったが、素通りするのも面白くないので降りてみた。函館駅を出て右側に歩いていくと、「メモリアルシップ摩周丸」がある。これは、青函連絡船として最後まで活躍した摩周丸を利用した記念館で、同じような物で、青森に「メモリアルシップ八甲田丸」がある。摩周丸に入る前に、今日の宿を決めていなかったのを思い出し、札幌ハウスYH(ユースホステル)に電話する。
都市部のYHは混んでる事が多いので、今日の予約が取れるか心配だったが、あっさり取れてしまった。予約が取れた所で摩周丸の中に入る。中は青函連絡船の資料、特に第2次世界大戦中の連絡線の事や、洞爺丸台風の事など、八甲田丸とは、また違った内容だった。冬季期間の為、デッキに出る事が出来なかったのは残念だった。ほぼ1時間で見終わってしまい、駅に戻ってみるとちょうど、特急「スーパー北斗13号」が発車したところだった。次が16時10分の「北斗15号」だった。窓口で指定券を買い、時間潰しに駅向かいの「和光」というショッピングセンターに行く事にした。中に入ってみると「アニメイト」が入っていた。結局、CD1枚を買ってしまった。駅に戻る途中、コンビニに寄ってお菓子と飲み物を買っておく。
駅に戻ると、すでに「北斗15号」は入線していた。指定席は禁煙席が売り切れだった為、自由席に乗ることになった。乗った時ははガラガラの感じがしたが、発車した時点では8割方の席が埋まっていた。車内販売で幕の内弁当を買い、これが昼食兼夕食となった。すでに日が落ちて外は真っ暗だった。景色も見えずひたすらぼーっと外を見るしかなかった。
東室蘭辺りから車内が混んできて、列車も遅れだしてきた。札幌には7分ほど遅れた19時56分到着となった。札幌では運良く「ホワイトイルミネーション」が始まった頃で、駅前の通りでイルミネーションが光っていた。最初はなんだか分からなかった・・・。歩きで大通り公園、狸小路に行ってみた。2月に歩いているので、覚えていると思っていたが意外と忘れている物だった。時間が21時近かったので、ミスタードーナッツで2個ドーナッツを買い、札幌ハウスYHまで歩いていった。21時20分にチェックインして部屋に行くと、すでに爆睡している人がいた。荷物を降ろし、明日の宿の予約をしなければ・・・と思い、塩狩YHに電話をすると、今日から休館だ・・・と言われてしまった。他に近い所はないか聞いたところ、名寄に新しくオープンしたYHがある・・・と言われたので、連絡先を訊き電話してみた。名寄サンピラーYHでは予約を取ることができ、一緒に夕食も頼んでおいた。
明日の宿も確保できたのでくつろいでいると、自宅からメールが届きその内容を確認のために電話をしてみた。親からの返答は、「29日の朝には東京に着くように」との事だった。
29日発の「はくつる」に乗る予定でいたので、列車を1日早めるか、28日中に新幹線で帰るか、そのどちらかにしなければならない。
とりあえず、27日以降の予定を考えながら眠る事にした。
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