いろんな処ぶらりんこ 03’ 早春編


 京都・その1 〜洛西ぶらりんこ〜 (散策日: 2月14日)

ダンナが会社勤続25年を過ぎたので、この程会社から「ご苦労さん!」と旅行券をもらいました。(笑) ただこの旅行券、とっても面倒臭い。本人が同行しないといけないし、使ったかどうかもチェックされる・・・。1年経っても使っていないと没収。(フゥ・・) その期限が3月までと差し迫ってきていた・・・。(汗) なので今回思い切って家族3人、京都・奈良へ旅行する事にしました。

2月14日(金)午前9時26分発・ひかり号新大阪行きに乗り、午前11時59分京都着。お天気は晴れ時々曇り。寒い寒いと聞いていた京都。不思議とそんなに寒くない。ラッキー! まずは手荷物を預かってもらおうと宿泊予定のホテルへ。荷物を置き、さあ洛西へ出発。とにかく今回の旅行は時間が少ない。できるだけ多くの寺院をまわるため、タクシーを利用する事にしました。

まず、太秦の広隆寺へ。このお寺は今回で2回目。ここの弥勒菩薩像、もう大大大好きなのです。603年の創建。渡来人の秦氏が聖徳太子より仏像(弥勒菩薩像)を賜り、その仏像を本尊につくった寺がこの広隆寺です。山門をくぐり、まずは本堂へ。お参りを済ませ、霊宝殿へ向かいます。(この本堂、内部へは入れないのですが、ちょっと不思議な事がありました。詳しくは『月の岬』で。) 
霊宝殿には弥勒菩薩半跏思惟像(飛鳥時代・国宝)をはじめ天平時代から鎌倉時代までの仏像の秀作が安置されていました。かなり照明を落としていて弥勒様のお顔がはっきり見えない状態。(3年前に来た時は何故かスポットライトが当たっていた・・・。汗)仏像の保存の事を考えたらしかたないかな・・と思いました。それにしても・・・本当に美しい仏様です。(溜息) 



京都太秦・広隆寺本堂 広隆寺の白梅



広隆寺霊宝殿を堪能。次に洛西・竜安寺へ行きました。竜安寺は平安中期、円融天皇の御座所があった地に平安後期、藤原実能が山荘を造営。実能がこの場所にに一寺を建立。それが竜安寺です。まず有名な石庭を見学。 見学者も少なく本当に静かな時間の流れるひとときでした。方丈の北東、茶室の路地に置かれている『吾唯知足』と書かれた銭型のつくばい。なんでも徳川光圀が寄進した物とか。苔むした庭との調和が何とも言えず・・・・。(感動) 




竜安寺・庫裡

竜安寺・石庭
竜安寺・方丈のつくばい



竜安寺を後にし、仁和寺へ向かいます。ここは吉田兼好の『徒然草』にも登場する大寺院、世界遺産にも指定されています。創建は平安期、光孝天皇が西山御願寺として着工されたのに始まると言います。真言宗御室派の総本山。(ちなみに最初に訪れた広隆寺も現在はこの真言宗御室派) 広い境内の中、五重塔、金堂と見学。金堂の中では今日のお勤めの最中だったようで声明(しょうみょう)が聞こえてきます。この声明、素晴らしい。心が落ち着きます。本来なら宸殿や有名な茶室(飛濤亭・遼廓亭)も見学したかったのですが、時間がないので次回・・という事になりました。(半日で洛西をまわる・・・というのはやはり無謀でした。仁和寺もじっくり見るべきものがたくさんありました。帰ってからそれに気づきましたが・・・涙・・・後の祭りです。)




仁和寺・金堂
仁和寺・五重塔



仁和寺から妙心寺へ。 ちょっと距離があるのでまたまたタクシーを利用。すでにここで午後3時は過ぎていました。妙心寺のある場所は元々花園法皇の離宮で、法皇の発願により1337年(建武4)に寺を創建。臨済宗妙心寺派の総本山です。今回京都・冬の特別拝観という事で40余ある妙心寺の塔頭中、古さ、大きさ共に1・2番にあたる玉鳳院と退蔵院を見学しました。
まず退蔵院。ここには国宝・如拙作『瓢鮎図』所有。(現在は京都国立博物館にある) その写しが展示してありました。「瓢箪で鯰をおさえとる事ができるか?」という禅問答がテーマ。歴代の高僧による問答の答え(?)が瓢鮎図の画の上方に書かれていました。「レプリカなんて・・。こんな時くらい本物を返してくれればいいのに・・。」と思うのは私だけでしょうか?(笑)
現在、NHKの大河で話題の宮本武蔵が禅にめざめたとされる場所がこの退蔵院です。武蔵が禅の教えを住職に乞おうとやってきて、通された部屋などありました。また今回特別公開、室町時代の画聖、狩野元信がつくった庭(「元信の庭」と言われています。)枯山水庭園で築庭当初は赤い石、水をイメージした白い小石、まわりの緑と・・・いかにも画家・元信らしい色彩色豊かな庭園だったという事です。庭園自体がこじんまりしていて大きな窓から見るような形になっているのですが、まるで一枚の画をみるような・・・素敵でした。



妙心寺塔頭・退蔵院の門 妙心寺塔頭・退蔵院


 広隆寺、仁和寺、妙心寺退蔵院の参考資料はこちらから。(取り込み写真です。)


最後に、妙心寺塔頭中一番大きく、一番古い玉鳳院へ。通常は非公開。・・のせいか、やけに規制が厳しかったです。「あれはだめ。これはだめ」を連発。(汗) 妙心寺中一番古いお堂「開山堂」。もちろん中へは入れません。入り口からの見学のみ。このお堂とは別棟、花園法皇のお住まいになっていたお堂(当時は御所ですね。) ここには狩野派による江戸前期の水墨画や襖絵(狩野安信作)等ががありました。 御座の間の床の間には絢爛豪華な障壁画。こちらは狩野探幽の甥・益信の作『秋草図』が描かれていました。
この塔頭で一番印象に残った事。御所と開山堂の間、後方に小さなお堂がひとつ。ここには小さな男の子の像が祀られていました。この像、豊臣秀吉の長男、鶴松の像です。鶴松は3歳で死去。妙心寺でお葬式があげられました。最初、この鶴松の像は祥雲寺(現在の智積院)にありましたが(祥雲寺は秀吉が鶴松の菩提を弔うために建てた寺。現在、智積院の宝物殿にある長谷川等伯・久蔵親子の国宝襖絵は鶴松の弔いのために描かれたものだそうです。)、豊臣家滅亡後、祥雲寺は智積院となり、鶴松の像もひどい扱いをされるようになりました。それを見かねた妙心寺の住職が鶴松の像を引き取り、現在に至っているそうです。 とても可愛い像でした。時代の流れとは言え、お気の毒です。なお玉鳳院には唐門が2つ。お堂から見て左側、平唐門は重文。後小松天皇が御所より移築した物と言われています。門には応仁の乱の弓矢の痕が残っていました。



妙心寺・玉鳳院の平唐門 門柱に残る応仁の乱の弓矢の痕




大急ぎでまわった京都・奈良ぶらりんこ第一日目は無事終了。(ここで既に4時半) 休憩を取ってからホテルへ戻りました。