幕末ぶらりんこ 春爛漫編


板橋・牛込柳町・伝通院 (散策日4月23日)

この日は厄日。朝から娘と喧嘩です。ムシャクシャ気分を吹っ飛ばすため、「ぶらりんこ」へいざ、出発! 今日は命日も近いので板橋の近藤勇・土方歳三墓所へお参りに行く事にしました。 JR埼京線板橋駅東口下車。墓所は駅から1.2分のところにあります。
実際勇が処刑された場所はここではありません。(この事には今回は触れない事にします。)ここは寿徳寺の管轄、この墓は明治になってから新選組二番隊隊長だった永倉新八が、松本良順と協力して建てた墓です。
ここには正面に3基の墓、その手前左横に永倉の墓があります。正面右側は勇最初の墓(?小さな墓です。)、真ん中が勇・歳三両氏の墓、左側に無縁仏(板橋の刑場で刑死した人たち)の墓があります。線香を上げお参りをし、墓石を確認。真ん中の勇・歳三両氏の墓の側面には新選組隊士(墓を建てた当時に死亡が確認されていた隊士)の名前が刻まれていましたが、墓石の傷みが激しく、よくわかりませんでした。 この墓を建てるにあたり、良順が書を何枚も書いて墓を建てる費用を作ったとも、その書を全国行脚した永倉が売り歩いていたとも言われています。(良順の書が多く残っているのもそのためだと言われます。) 4月21日は板橋区の「新選組まつり」がありました。あいにく当日は雨。どんな慰霊祭が行われたんでしょう。墓前には真新しい花が手向けられていました。 
後で知ったのですが、この勇・歳三両氏の墓の手前左側にある永倉新八の墓、実は永倉の遺骨が分骨されているのです。永倉の長男・義太郎氏が永倉が亡くなった後分骨したそうです。「新八っつぁん、死んだ後まで近藤さんの目の前で、「あーだ、こーだ。」言ってるのかな?近藤さんは嫌だろうなー。」と思わず笑ってしまいました。「文句なんか言ってねぇよ。俺はただ近藤さんと土方さんを見てるだけさ。」そんな声が聞こえてきそうでした。墓の傍らに「墓前ノート」を入れるガラスの引き戸のついた戸棚のようなものがありました。中にノートがぎっしり。「こんなにも新選組は愛されているんだ。」と改めて感動。その横に例の如く近藤勇像が・・・。小ぶりな全身像で、勝沼よりはハンサムで一安心。(笑) 「また、来ますね。」と言いながら板橋を後にしました。




板橋・新選組墓所表示板
  板橋墓所・近藤勇像


「試衛館のあった場所もどんなところだったんだろう?」電車に乗りながらふと思いました。そこでこんどは新宿から都営地下鉄大江戸線に乗り換え、牛込柳町駅まで行きました。この辺りはとても坂の多いところです。試衛館のあった市谷甲良屋敷はこの牛込柳町駅から5分もかからない場所にあります。(現在の市谷甲良町) もう当時を偲ぶ事の出来るものは何一つ残っていませんが、彼らが吸っていた空気・・とでもいいましょうか。それを感じながら辺りを散策しました。本当にどんなところだったんでしょうね。「試衛館」って・・。 何とはなしにまた大江戸線。今度は春日まで行きました。春日は後楽園・東京ドームのあるところと言った方がわかりやすいかもしれません。 春日駅、地上に上がると目の前は富坂です。その富坂を上り、小石川・伝通院まで行きました。ところが・・・、なかなか伝通院までたどり着きません。ずーっと富坂を上がっていき、富坂警察署を目指し、えっちら・えっちら歩いて歩いて・・、やっと富坂警察署が見えました。その角を右に曲がると伝通院はありました。
伝通院は徳川家康の生母・於大の方の眠る寺です。正式には、無量山傳通院寿経寺と言います。於大の方の法名に「傳通院」がつくのでこの名称で呼ばれるようになったそうです。この伝通院、徳川家では於大の方の他に、千姫、家光夫人、家光三男、家康側室、幕末関係では清河八郎、七卿落ちの澤宣嘉、歴代伝通院上人や新しいところでは作家の佐藤春夫の墓などがありました。
この徳川関係の人たちの墓のデッカい事っていったら・・。もう天にも届きそうな程のデカさです。(笑)それが火にあぶられて黒々としているのですから、一種異様なかんじがしました。 谷中の墓地にも徳川家の墓はありましたが本当にすごいです。 寛永寺の歴代将軍の墓って一般公開されていないんですよね。 怖いもの見たさでちょっと見てみたいかも・・。
清河八郎の墓は建て直されたかんじでした。(新しかったので)佐藤春夫の墓の隣側にありました。
最後に本堂へ行きました。本堂も建て直されていました。(火災で焼失) 文久3年2月8日、この伝通院の塔頭処静院に幕府の募った浪士組は集合、京に向かって出発したんです。それを思うと感無量でした。


牛込甲良町・試衛館跡付近 小石川・伝通院本堂


とは言うものの・・・、あまりの徳川家の面々の墓のデカさにほとんどクラクラ状態になってしまった私は(笑)、気分転換に根津神社まで足を延ばし、満開のつつじを堪能しました

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