幕末ぶらりんこ 春爛漫編

三ノ輪 (散策日 4月5日)

4月4日の夜中(もう5日になっていたかもしれません)、突如「上野ぶらりんこ」決定!・・とにかくいつもこの調子。(笑)三ノ輪の円通寺に上野戦争当時の黒門と彰義隊の墓があるという情報から、居ても立ってもいられず朝8時過ぎに家を飛び出しました。
JR常磐線で南千住駅へ。 そして徒歩5分ほどのところに円通寺はありました。黒門を見た時、この門をはさんで旧幕府軍と新政府軍が激しい戦いをしていたのかと思うと何とも言えない気持ちになりました。
お寺の方にお願いして、フェンスで囲ってある黒門や彰義隊の墓等がある場所へ入れていただき、まず彰義隊の墓にお参りしました。(フェンスは近年作られたようでした。墓や門に悪さをする者がいるらしく、史跡全体をフェンスで囲っています。)
黒門には本当に無数の弾痕が残されていて、戦いの激しさが想像できました。黒門は塗りなおしをしたようでした。最近では、弾痕についても色々言われているようですが、ここではあえてこの事には触れずにおきたいと思います。
円通寺の彰義隊の墓には、新選組十番隊隊長原田左之助が眠っていると言われています。しかし最近発売になった新人物往来社「別冊歴史読本18 新選組組長列伝」の原田のページでは別の解釈がされていて、函館の土方歳三埋葬の地や、近藤勇の胴体部分の真の埋葬地(三鷹?板橋?)・・と同様にいろんな説があり、本当に興味は尽きません。(本人に訊くのが一番いいんですけどね。そうもいきませんし・・。(笑))
フェンスの中に入って右側、3つの墓石があります。一番右が彰義隊の墓です。真ん中は「死節之墓」と書かれた戊辰戦争で戦死した旧幕軍の兵士を供養した慰霊碑です。この碑に刻名されている戦死者・・土方歳三、甲賀源吾、中島三郎助、伊庭八郎子他多数です。 
お参りを終え、フェンスの外側から黒門を見ようとすると、その傍らに「吉展地蔵」というお地蔵さんがありました。昭和30年代、誘拐されて殺された吉展ちゃんの遺体が発見された場所、それがまさにこの円通寺の「吉展地蔵」が立っている場所だったのです。
この事件、戦後最初の幼児誘拐殺人事件という事で、テレビ・マスコミで大きく取り上げられていました。ここでも合掌。幼くして殺された吉展ちゃんの冥福を祈りました。
さて、ここで三ノ輪はおしまい。上野へとぶらりんこは続きます。


円通寺・黒門  黒門(裏側から撮影)

 新選組関係はここまでです。この後は幕末関係へ移ります。 幕末関係・上野へ


千葉・流山 (散策日 4月17日)

この日は少し足を延ばし、茨城県笠間市まで行きました。作家司馬遼太郎氏の愛した画家、鴨居玲の作品展を日動美術館で観るためです。常磐線友部駅下車。ここから笠間市観光周遊バス(無料)に乗り、日動美術館へ。そして特別展示「鴨居玲」を観て、鴨居の作品50余点を堪能しました。その後徒歩で創建1350年という笠間稲荷神社へ。とても立派な神社です。本殿の横に大きな藤棚が2つあって、まだ6〜7分咲きといったかんじ。満開になったらさぞや綺麗だろう・・などと思いながら神社を後にしました。
その後、北山魯山人がアトリエとして使っていた建物を鎌倉から移築したという「春風萬里荘」を見学。中でもユニークだったのが魯山人作の織部焼きの風呂場と便器(男性用)です。便器などはそのまま傘立になりそうなくらいの美しさ・・。どういうわけか展示してある便器の横に「使用出来ません」の張り紙がしてあったのが何ともおかしかったです。(過去に使用しようとした人が居たんでしょうか?(笑))


笠間市日動美術館 笠間稲荷神社 春風萬里荘



春風萬里荘を後にし、笠間駅まで徒歩15分。そこから水戸線、常磐線と乗り継いで、千葉県流山の長岡陣屋跡(近藤勇の陣屋跡)へ行きました。松戸駅で一旦乗り換え、地下鉄千代田線馬橋駅で下車、総武流山電鉄に乗りました。この流山電鉄の車両というのがとてもカラフルで、電車マニアの間では相当人気があるのだそうです。色鮮やかな、そして斬新な模様のついた電車が何台も停まっていました。 さて、流山電鉄で約10分、流山駅に着きました。陣屋跡まで徒歩5分の距離。外から土蔵を見学。この土蔵は勇と歳三が政府軍に投降するかそれとも勇が切腹するかで長時間話し合いをしたその場所です。
「二人とも本当はどうしたかったのだろう?」 この時の2人の行動は、色々な研究家の著作を読んでも何となくスッキリしない・・本当に謎の残る行動です。何故投降したのか? 政府軍側に話せばわかってもらえると思っていたのだろうか?政府軍側に新選組局長である勇の顔を知っている人間はいない・・などと2人は本気で考えていたのだろうか?勇投降の後、歳三はすぐに勝海舟を訪ねています。勇の助命嘆願の為だったのでしょうか?勝海舟の日記(?)には「歳三が来た。」 という事しか書いてありません。本当はどうだったのでしょう?。あれやこれやといろいろ考えながら帰路に着きました。

本当だったらここは「新選組関係」のぶらりんこのはずなんですが・・。流山はほんと、外側から見学しただけだったので書く事は、ほとんどなし。(笑) ついでと言ってはなんですが、笠間の話もけっこう面白かろうと勝手に決めつけ、付け足しました。ご容赦の程を。(笑)



流山・長岡屋陣屋跡