幕末ぶらりんこ  春爛漫編
                                            

 この話は新選組関係(三ノ輪)の続きです。 新選組関係・三ノ輪へ
上野 (散策日 4月5日)

三ノ輪から上野へ・・と思ったのですが、ちょっと小腹もすきましたので「午前10時のお茶タイム」と一旦日暮里で電車を降り、創業文政年間というお団子屋さん「羽二重団子」へ。ここで抹茶とお団子のセットをいただきました。このお店、本当にお団子しか売っていないんです。それもしょう油と餡の2種類だけ。贈答品もこれのみ。これでよく店が潰れずに今迄やってこられたものだと感心してしまいました。それだけ根強いファンが一杯いるという事ですね。お味はとっても素朴で美味しかったです。この「羽二重団子」、上野戦争の折、彰義隊の敗走兵が襲ってくるという事で、家族みんなで何処ぞに身を潜めていた・・という話があります。 そろそろ戦も収まって敗走兵は居なくなったかなと、そろりそろりと家族のみんなが出てきて店に戻ってみると、野良仕事の道具やら、野良着やらがなくなっている。代わりに刀や槍が捨てられていた。「彰義隊の連中は百姓に化けて逃げていったんだな。」と店の家族は思ったそうです。店内にはその時彰義隊の敗走兵が残していった槍が展示されていました。


   羽二重団子    寛永寺・上野戦争碑


さあ、いよいよ上野へ。と、その前に昼食を・・。また食べています(笑) 本当は「伊豆栄」の鰻(伊豆栄は創業享保年間。たぶん下谷御徒町に住んでいた伊庭八郎も通った店・・のはず)を食べる予定が違う店になってしまいました。(次回は必ず!) 
その後いよいよ「上野ぶらりんこ」スタート! 台東区立下町風俗資料館ー不忍池(弁天堂)−清水観音堂(寛永寺)−五條天神社、そして、彰義隊の墓へ。この墓の隣には家が一軒建っています。上野の山に一般の家が・・です。実は彰義隊の墓守をしている彰義隊士のご子孫のお宅なのです。 円通寺によれば、この墓のある場所に戦死した彰義隊士の遺体を集めて荼毘にふし、三ノ輪まで運んで葬ったとか。ここでも胸がいっぱいになりました。 彰義隊の墓を後にし、寛永寺ゆかりの上野大仏(現在はお顔しか残っていません)、上野東照宮を見学。 この東照宮の祭神は家康、吉宗、そしてなんと!15代将軍徳川慶喜です。なんで慶喜が祭神に選ばれたのか不思議なんですが・・、ま、気にせず先を急ぎましょう。 後は寛永寺の中をまわり、輪王院、旧本坊表門を見学。この門は上野戦争時、唯一焼失を免れました。(重要文化財) ここにも上野戦争時の弾痕が少しですが残っています。
「上野ぶらりんこ」はここで終わり・・なんですが、この後私はあんみつ食べたさに根津まで行ってしまいました。(食べ物に対する異常な執念・・笑)このお店については「いろんな処ぶらりんこ 根津編」でご報告します。
東京と言えば、浅草・上野と言われる位有名な場所 上野。 しかし現在あまりにも整備がされておらず、東京の汚い場所の代名詞のようになりつつあります。その昔天海僧正が「東の国にも比叡山を」の想いから築かれた天台宗東叡山・寛永寺。上野戦争でほとんどが焼失してしまいましたが、明治に入ってからやはり、文化・学問の中心に上野をしようという動きがさかんにありました。確かに多くの博物館・美術館が立ち並び、表面的には文化・学問の中心であるかのように見えます。しかし、やはりあの「汚さ」を何とかしない限り真の「文化的街」とは言えないのではないでしょうか? なんとか昔のような姿を少しでも取り戻して欲しい、そんな気持ちで帰路に着きました。

 私がこの「上野ぶらりんこ」をする前に、上野を勉強する意味で読んだ一冊の本があります。寛永寺執事・浦井正明氏の著作で『「上野」時空遊行』(プレジデント社)という本です。大変上野の事がわかりやすく書かれています。ご興味のある方は是非。



旧本坊表門