幕末ぶらりんこ 早春編

東京・日野周辺 (散策日 3月20日)

この日も本当にいいお天気。ついに27年ぶりに日野を訪れる事にしました。なんだか心ワクワク。(笑) 中央線日野駅下車。懐かしい・・。高校生の時もそうでした。此処から土方家まで歩いていったのです。あの日、土方家の場所を尋ねた交番、ありました。応対してくれた若いお巡りさん、「土方先生のお宅は・・ですね。」の言葉がとても爽やかで、私の心に響きました。「あのお巡りさん、日野警察署長さんにでもなっていてくれたら嬉しいんだけど・・。」等と思いながらまずは宝泉寺へ。此処は井上源三郎の墓や碑のあるお寺です。 ちょうどお彼岸の時期とも重なって、墓地内はお参りする人が大勢いました。「平日なのに?」とも思いましたが、「日野の人たちはご先祖様を大切にするんだなぁ。」と変に納得。「私も見習わなければ!」と改めて決心。(笑) そして八坂神社へ。此処は天然理心流の奉納額があるのです。9月15日の神社の大祭にのみ公開されるとか。(最近は5月の歳三忌の時期にも公開されているようです。)今回もまた見る事はできませんでした。(涙)  甲州街道をぶらりんこして、旧佐藤彦五郎邸である蕎麦処「日野館」へ。店の前まで行きましたが、午前11時前だったので店は開いていませんでした。本当に立派ですね。道場跡の碑、門構え、屋敷の外観だけで当時を充分偲ぶ事ができました。何と言っても道場を持っていたんですから。三鷹の宮川家や町田の小島家の出稽古では屋敷の庭で稽古をしていたようなので。(それも凄いですけどね。) 一体どんな道場だったのでしょう?
途中モノレールに乗り、万願寺駅下車。土方歳三の生家、土方歳三資料館へ向かいました。周辺は東京近郊の閑静な住宅地・・といったかんじで27年前とは随分変わっていました。歳三の生家も藁葺き屋根の家からモダンな現代の住宅に建て替えられていました。 これを見た時は何とも言えない気持ちになりました。
私には思い出があるのです。27年前、土方家を訪れた時の事です。当時はまだ高校生、「土方歳三の生まれた家が見たい。石田散薬の葛籠が見たい。」という何とも図々しい事を考えて日野を訪れたのです。友人と門のところへ行くと、奥の物干しで奥様(現ご当主)が洗濯物を干していらっしゃいました。 近くには小学校低学年くらいのおかっぱ頭の女の子(お嬢さん・歳三から数えて6代目ご子孫)が一人で遊んでいました。私たちの来訪に戸惑っているお母様に「アルバムだけならいいんじゃないの?」と口添えして下さったお嬢さん。 そして歳三も毎日上がったであろう土方家の玄関から中へ上がり、スクラップ・ブックや新選組ファンの書いたノートを見せていただきました。今思えば、顔から火が出るくらい恥ずかしい・・そして私にとっては何物にも換えがたい大切な思い出なのです。
アポイントも取らずにこうしてやってきて、図々しくインターホンを鳴らすわけにもいかない。それに当日は第三日曜日ではなく資料館も閉館しています。「お会いする事はできないだろう。」 そう思っていた私は奥様とお嬢さん宛に手紙を持参していました。「あの時は有難うございました。」の気持ちをお二人に伝えたかったのです。

宝泉寺 日野館 土方歳三資料館

郵便受けに手紙を投函、土方家を後にし、歳三の墓のある石田寺へ向かいました。墓参りを済ませ、帰り際に寺入り口近くにある樹齢400年のかやの木に触れてみました。不思議と幹が温かかった。
「歳さんも幼い頃にこの幹に毎日のように触れていたのかな?」 そんな事を考えながら浅川を渡り、高幡不動駅方面へ行きました。昼食を済ませ、お不動さんにお参りし、土方歳三像と両雄顕彰碑を見学。碑は場所が本堂の脇(というか裏というか)、トイレのある場所の途中にあり、ちょっと気の毒でした。(2002年9月に、碑は土方歳三像の隣に移転。)
あとは、お不動さん近くの松盛堂で「歳三まんじゅう」と、どういうわけだか売っていたワイン「土方歳三の血」を購入。(飲めるはずもありませんが・・(笑))帰路につきました。
実はこの話には続きがあるのです。 お楽しみに。

石田寺への途中で・・ 石田寺(後方はかやの木) 浅川