幕末ぶらりんこ 仲秋編 



 日野・みたび その1 (散策日 9月15日)

当日は敬老の日。全国的に祝日。(ちょうど三連休の真ん中でした) でも私にとっては、もう一つ大事な日でもあります。東京日野・八坂神社の大例祭が行われる日です。一年に二回、歳三忌とこの大例祭の日だけ、八坂神社に奉納してある「天然理心流奉納額」が公開されるんです。このチャンスを逸しては・・と今年3回目の日野訪問を果たしました。
日野を訪れるのですから、やはり石田の土方家のご当主、お嬢様のお顔を拝見したい・・、そんな軽い気持ちで「お顔を拝見したく思います。門の処まで出ていただけますか?」の手紙を事前に投函。「今日は資料館開館日、お忙しくてお会いするのは無理かもしれないなぁ。」と思いながら、中央線に乗りました。 立川駅下車。 ここから多摩モノレールに乗って「万願寺」駅で降りました。時計を見ると午前11時。八坂神社の奉納額公開時間は午後1時から4時までです。お顔だけ拝見し、石田寺にお参り、その足で日野館で昼食。そして八坂神社の奉納額を見学後、佐藤家菩提寺・大昌寺に佐藤彦五郎・のぶ夫妻、嫡男源之助の墓参りをし、甲州街道はさんで向こう側、井上源三郎の生家を見て、それで帰る予定でした。この後、話が思いもよらぬ方向に行く事等知らずに・・・。

石田の土方家へ到着。5月にお伺いした時におじい様(歳三から数えて4代目ご子孫・故土方康氏)に関する物をいただいていました。15日は敬老の日、おじい様にあげていただこうと花を持参しました。インターホンを鳴らすと、ご当主はすぐお分かりになってくださって、「どうぞー。」とわざわざお宅の方へ上げてくださいました。リビングに通され、「ちょっとお待ち下さい。」そう言い残すと、ご当主はお忙しくてあちらこちらを走り回っていらっしゃいます。(ちょっとおかしな表現なんですが・・。でもホント、そんなかんじだったんです。笑)「わー、どうしよう。お忙しいのに。お花を差し上げて直ぐ失礼しよう。」そう思ってソファーのところでソワソワしながら座っていると、「ごめんなさいね。今日はいろんな事が重なっちゃって朝からこの状態なんです。」 ご当主が私の前にお座りになりました。 5月の訪問の際のお礼と、おじい様にお花をあげていただきたい旨申し上げると大変喜んでくださいました。その間も資料館開館日のせいか、ひっきりなしに開館しているかの問い合わせの電話がかかってきます。「いつもこの調子なんですよ。開館前の週は、こんなかんじです。」 本当に大変です。「「テープにしたら?」って言われるんです。でもね、こんな小さな資料館でそんな事をするのも・・。」とおっしゃっていました。お優しい方です。でも聞いている中で携帯電話を使って「今、どこどこの角にいます。ここからどうやって行くんですか?あ、今、そこまで行きました。後は?」みたいな電話をかけてくる人も居るという話も出てきました。ご当主は何もおっしゃいませんでしたが、私としてはこういう非常識な電話のかけ方をするのはやめていただきたいと思いました。せっかくご当主が電話での問い合わせを受けてくださっているんですから、一個人のお宅の電話だという事をもっと理解していただきたい、そう感じました。

残念ながらこの日はお嬢様はお留守でした。ご当主といろいろな話をしている中で、「あ、ちょうどよかったわ。是非これに署名していただきたいの。」ご当主が持っていらしたのは、なんと「石田・新井地区」存続のための日野市長・日野市議会議長宛ての陳情書でした。もう「寝耳に水」とはこの事です。 「つい先だって平成16年の大河ドラマ「新選組!」放映にあやかって「日野町おこし」をやろうとそのための予算まで作っておきながら、一体日野市って何を考えているんだろう。」 理解に苦しみます。ー 「新選組にあやかっての町おこし」と「歳三のふるさと「石田」の地名をなくす」 ー まったく相反する事を同時にしようとしているんですから。 私は坂本龍馬も好きです。以前龍馬の家族の墓所がある高知の丹中山の土地が悪い不動産屋の手に渡り、移転に合意していないのにもかかわらず墓の移転を終了した土地だけを強引に削り、結果移転していない墓の「塔」が何個もできてしまうという悲惨な出来事が起こりました。その際「丹中山の墓地を守る会」さんや「大阪龍馬会」さんが中心となって全国の龍馬ファンに訴えた事を思い出しました。(現在も署名活動は続行中です。)
「もしかしたら、石田の件も全国の歳三ファンに伝えれば力になってもらえるかもしれない。」そう思った私は、ご当主にこの石田問題のネットでの呼びかけを提案させていただきました。ご当主はとても喜んでくださって、「よろしく。」と言って下さいました。私のような小さなサイトでどこまでお手伝いできるか見当もつきませんが、とにかく精一杯お手伝いさせていただこうと思いました。「陳情書と署名用紙はお隣の土方さんのご主人が作成したもの。余分にもらっていきなさい。」そう言われ、この後お隣も訪問する事になりました。 この日は「土方歳三散華」の著者・萩尾農(みのり)さんが土方家を訪問。(資料館でサイン会があるようでした。)私が失礼しよう玄関で靴を履いていると、そこで萩尾さんとバッタリ。もちろんあちらは私の事等、ご存知ありませんので会釈をして土方家を出ました。

さて、お隣の立派な長屋門をくぐり恐る恐る・・(笑)、奥様に声をかけました。奥からご主人が出ていらっしゃって、お庭で、そうですねぇ、20〜30分はお話ししていたでしょうか。 ご主人(樹木医をなさっていらっしゃいます)も私の気持ちをわかってくださいました。 こちらの土方家は歳三生家と10代前に分かれ、当時石田の名主と目医者をなさっていたそうです。 たくさん史料をお持ちのようで、「公開していだきたたいですっ!」と一生懸命お願いしてきました。(笑) 貴重な話を聞かせていただいて本当に勉強になりました。 「歳三が帰って来る時はうちの門を目印に帰って来るんだよ。当時のものはこの門しかなくなったからね。」 ご主人のこの言葉が心に残りました。

                                               (※幕末・維新関係の故人の敬称略しました。)



資料館入り口の歳三生家の大黒柱(横柱) 樹木医の土方家・長屋門



ここで12時40分。急いで石田寺へ向かいました。 着いてみると何やら大勢の人が・・。ハイキングがてら石田寺を訪れたご年配の方々と、新選組同好会活動をなさっているお嬢さん方と遭遇。土方家墓所へ行くと美しい花、線香がすでに手向けられていました。歳三の墓で枯れた花がそのままの状態って、私は見た事がありません。本当に愛されている人です、土方歳三という人は。(当たり前なんですが。笑) 今回はまずおじい様にご挨拶し、その後歳三にお参り。石田の地名の件、よーくお願いしました。たぶん、これで大丈夫でしょう。 ご年配の方々に歳三の墓の説明をしているお嬢さんの脇を通って資料館近くの道路までもどりました。この日は、愚かにもサンダル等というものを履いてきたため、もう既に足の調子が悪くなりつつありました。タクシーで日野駅方面に行こうにも、まったくタクシーは来ません。しかたなく万願寺からモノレールに一つ乗り、甲州街道駅で下車。そのまま日野警察の前を通り、八坂神社へと急ぎました。



土方歳三の碑(石田寺) 土方歳三の墓(石田寺)



                                                 話は日野・みたび その2へ続きます。