23.湖上の宮殿

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 「ヘレンキームゼー城」は、当時のバイエルン王ルートヴィヒ2世が、国家財政を破綻させてまでして作ろうとした3つの宮殿の一つである。この王様、18歳の若さで国王という厄介な仕事を任された上、プロイセンとの戦争や貴族諸侯の対立問題と言った苛酷な仕事に耐えかねて現実逃避に走り、特にワーグナーに心酔。莫大な費用をかけて3つの宮殿を建てようとしたが、しまいには側近たちからも見放され、精神病患者として郊外の城に幽閉されたあげく、近くの湖で溺死、という大変かわいそうな人である。知り合いによく似た経歴をたどっている人がいるので、どんな人なのか想像しやすい。

 キーム湖の船着き場には、おばあさんのいる小さなカウンターがあった。ここで船のキップを買うらしい。さていくらだろう……と思いつつ並んでいたら、前にいたご当地の方々が順番を譲ってくれた。さらにおばあさんもすごく親切で、あたたかい笑顔で往復切符を売ってくれた。やはりドイツ人はいい人たちだ。
 船はちょうど、乗船を受け付けているところだった。桟橋の列に加わり、船に乗り込む。適当な席に腰を落ち着けると、船はすぐに出発した。
 時期的には終わりの頃だったが、湖の紅葉は美しかった。岸には色づいた木々に守られるようにして家が何件か建ち並んでいたが、建て込んでいるわけではなく、デザインと共に周囲の風景と見事に調和していた。湖の中の島にも雰囲気のいい屋敷が建っていて、中から王侯貴族が出てきそうなたたずまいがあった。

 思ったよりも早く、船は城のある「ヘレン島」の桟橋に着いた。ここからは馬車か歩きだが、私はあえて歩きを選択した。スケジュール的には結構きつかったのだが、せっかく来たのだから島を探索してみたかったし、御者の方に「乗せて下さい」というのがおっくうだったこともある。
 木立の中を続く道を歩いてゆくと、博物館らしき建物がある。それを過ぎてさらに道を宮殿へと進むと、木立の向こうに草地の丘が見え、ひょろりと木が一本立っていた。島の中にこんな景色があるとは……しばらくその景色にみとれて突っ立っていた。

 砂利道をさらに進んで行き、木立を抜けた先に、ヘレンキームゼー城はあった。
 お城、というよりは宮殿だが、なんとも中途半端な建物である。しかも改修工事がされていて半分ぐらいが工事用のシートで隠されている。改修工事の方はともかくとして、この宮殿は建設中にかわいそうなルートヴィヒ2世が世を去ったので、結局未完のままになってしまっている。島の森が切り開かれて立派な庭園が作られ、その端は湖までずっと続き、宮殿から湖の素晴らしい景色を眺められるように設計されていた。
 なんでもこの宮殿、ルイ14世にハマったルートヴィヒ王が、ヴェルサイユ宮殿に感銘を受けて作ったコピーだという。本家を知っている人にはすぐわかるらしいが、私にはよくわからなかった。もちろん本家より規模は小さい。
 宮殿内部の見学はガイドによるツアー形式で行われた。チケットを学生証を使って買い求める。時間にそれほどのムダがなかったのは、船の到着時刻を計算してあるからだろう。ドイツ語と英語のガイドツアーがあり、もちろん英語のツアーに参加した。
 ガイドのスタートは、天井がガラス張りになった大きな広間だった。壁面には数多くの彫刻が施され、大きなシャンデリアが下がっている。しかし一部のカベはいかにも未完です、と言わんばかりに、積み上げられたレンガがむきだしのようすで放置されていた。外国では高層ビルが建っていた19世紀に、ルートヴィヒ王はこんな古くさいものを作っていたんだ、とガイドは説明していた。
 食堂には、上から陶器製のシャンデリアが下がっていた。なんでもかの有名な高級陶器、マイセンで作られた物だという。ルートヴィヒ王は大変な労力をかけてこれを作らせると、二度と同じ物が作れないように型を破壊してしまったという。全く乱暴なことをするものである。さらに隣には全てをマイセンで作った「陶器の間」なんてものまで作ってある。マイセン磁器はきれいだし、私も土産に買うつもりではいるが、明らかにやりすぎである。
 さらに圧巻だったのは鏡の間。超巨大なダンスホール、つまりは宴会場なわけだが、天井には美しいフレスコ画が描かれ、片面に巨大な鏡がいくつもつくりつけられ、シャンデリアと燭台がずらりと並んでいる。さらに装飾のあちこちもキンキラキンだから、これに全部明かりをともしたら大変なことになるだろう。
 ツアーの終わりの方で厨房にも入ったが、ここには拷問器具のような巨大な機械があった。何かと思ったら、ちょうどこの機械の真上に食卓があり、機械は食卓を机ごとまっすぐ下に降ろしてくるしくみになっている。ここに厨房で作った食事を置き、そのまま上に持ち上げると、食事の乗った食卓が食堂にせり上がっていくという驚くべき仕組みである。こんなものを作ることもまた、”やりすぎ王”の彼らしい行動と言える。

 帰りはゆっくり博物館も見ていきたかったのだが、時間の問題があってまっすぐ帰ることにした。ちょっと違ったルートを通り、島の自然を眺めながら桟橋へと戻った。
 桟橋には、高校生らしき人たちが集まって、船が来るのを待っていた。なんだか英語の勉強をしているらしく、何かの構文をひたすら練習していた。NOVAで聞いたことのあるような内容だったが、ここで彼らに英語で話しかける、なんていう強烈なことはできなかった。おとなしく桟橋の側のベンチに腰掛け、船を待ったのである。

(01/3/19)
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