22.国境を越えて

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 例によって朝早く起きてしまった私は、日の出の撮影のためにホーエンザルツブルク城を訪れた。もちろん門は開いていないので、門の手前にあった低い塀の上に座って待つことにした。が、7時近くなっても白む気配すらない。いくら10月下旬でも日の出が遅すぎる。ようやく山ぎわが白んできた頃には7時をだいぶ回っていた。一方で夕方5時にはすっかり暗くなることを考えると、サマータイムにしないととても仕事にならなさそうだ。
 部屋に戻ると、例の日本人以外の人は皆起きていて、出立の用意に取りかかっていた。私も小物をまとめると、食堂に向かった。
 食事はいつものヨーロッパ式朝食で、陽気なオーストラリアンは「ロクでもない」と言っていた。しかし、毎朝納豆ごはんなんかを食べている私としては、おいしいハムにパン、ヨーグルトにコーヒーといった食事は新鮮である。食堂で日本人の女の子を見かけ、ちょっと話しかけてみようかとも思ったが、やめておいた。それよりさっさと食事を済ませてザルツブルクを出なければならない。
 前日から時刻表とにらめっこしてスケジューリングをしていたのだが、ドイツ国内のスケジュールはかなり厳しいものとなってしまった。1日が、そして日のあるうちの1時間が非常に重要になってくるのだ。

 食事を終え、私が荷物をまとめて出ていくときには、すでに他のヨーロッパ人の姿はなかった。さすがは手慣れた旅行者たちである。私も荷物をまとめ、宿を出る。
 前日が祝日だったので、手持ちの貨幣はオーストリア・シリングしかない。ドイツ国内でシリングはつかえないから、当座の生活費としてドイツマルク(DM)を手に入れなければいけない。
 アメックスのオフィスはモーツァルト広場に大きな店舗を持っていて、前日に日本でもらった紙の住所を頼りに探しに来たときも、店の正面に大きく「American Express」とでかでかと書いてあるのにはびっくりした。やはり国境の町だけに需要があるのだろう。
 このオフィス、開くのは午前9時で、私がモーツァルト広場に着いたのは8時半である。もう少しで開くとはいえ、すぐにでもユーロのT/CをDMに替えたいところだった。そこで前日にチェックしていた、代行業務をしているというホテルに向かうことにした。そこでは休日や朝早くの両替に応じてくれる、とのことだった。
 ホテルのカウンターに行くと、宿の人は時計を見て、あと少しで開くのに、という顔をしながらも、両替はしてくれると言ってくれた。そこで当座の1日分、100ユーロを取り出すと、100ユーロは扱わない、と言う。もともと350ユーロを替えておくつもりだったから、これではしょうがない、とホテルを出て、モーツァルト広場の前のベンチで、オフィスが開くのを待つことにした。その間、ユースの前の道で配られたドイツ語のチラシを、辞書を片手に読んでみることにした。ケーブルテレビの新しいチャンネルが出来るとかなんとか、そんな内容だった。
 オフィスに一番乗りで入った私は、窓口で350ユーロを替えてもらうよう頼んだ。事前にいくらになるかを尋ねることも忘れない。ちゃんと手数料ゼロになっているかどうか、が大変重要なのである。端数は切られていたが、ほぼレート通りだった。
 しかし、どうもコンピュータの調子が悪いらしい。いろいろキーボードを叩いているが、どうもフリーズしているようだった。
「1秒待って下さいよ〜すぐにやりますから〜」
なんて事を言いながら(確かに彼は1 second待ってくれ、と言っていた(笑))、窓口のオジサンはいろいろやっていたが、数分して無事作業は終了した。ちょっと焦ったオジサンが面白かった。

 街を楽しみつつ、歩いて中央駅まで戻った私は、窓口でジャーマンレイルパスの使用手続きをしてもらった。国境駅のザルツブルクから有効で、1日何をどこまででも乗っていられるのだ。駅員がパスの上に記した数字が、ヨーロピアンな雰囲気でかつしっかりした、いかにもドイツ語圏の人が書きそうな字体だった。
 目的地であるキーム湖の最寄り駅「プーリーン・アム・キームゼー」駅までは、都市間快速(IR)を利用する。今回乗り込んだ列車は新型らしく、かなり広々としたコンパートメントが仕切られていた。周囲はガラスばりで、空間がさらに広く見える造りになっていた。
 駅を出ていく列車の中で、これでオーストリアともお別れか…と外をぼーっと眺めていたら、ちょうど橋の上のところで、雲の合間からさす朝日を受けたホーエンザルツブルク城の姿が見えた。これは!と思いカメラを向けたが、列車は橋を通り過ぎ、城は見えなくなってしまった。カメラは常に構えておくべきである。
 さて、この列車では、お隣にナイスバディな(もちろん体はとても大きい)女性が座ったのだが、バニラっぽい香水が大変きつい人だった。しかもこの女性、500mlの缶コーラを一人であっという間に飲み干してしまった。
 同じ500mlでも、缶入りのには特別な思い入れがある。高校時代、学校の近くの店に500ml缶の炭酸飲料が売られていた。持つとずしりと重く、缶のために一旦開けてしまうと持ち運びに不便で、駅に着くまでの道では飲み干すのはなかなか大変だったのだ。
 そんなわけで、500ml缶の炭酸は強者たちのための飲み物、という印象があったのだが、それを目の前で、きれいな女性にあっさり飲み干されてしまうと、なんだかがっかりしてしまう。同じ500mlでもペットボトルの場合にはそういう気分は感じないのだから、不思議なものである。

 プーリーン/キームゼーまでの列車の中では、検札があっただけで、出入国の審査は全くなかった。EU域内だからチェックしない、ということなのか。
 列車を降り、駅の窓口で地図をもらう。「これしかないよ」と手渡されたものは、パンフか何かのコピーだった。見づらいがとりあえず地理はわかる。湖畔までは夏ならミニSLが走っているのだが、あいにく時期が外れていたので、歩いていくことにした。
 湖までの道には宿屋やカフェが立ち並んでいたが、ごく普通の民家もあり、デザインも自然で調和がとれていた。何よりも日本と比べて、一件当たりに使われている面積が広く、建物にゆとりがある。
 SLの線路を横目に歩くこと30分弱、SLの終点となる駅と、その向こうに大きな湖、そして船が一隻、船着き場に停まっているのが見えた。
 バイエルン州最大の湖、キーム湖である。

(01/2/11)
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