16.武器庫

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 グラーツ駅のコインロッカーで大荷物を預けた私は、早速街をうろつくことにした。まずは駅の窓口でバスの一日乗車券を購入。そして駅前広場のベンチに座り、前日の観光案内所でもらった日本語版のグラーツ案内パンフを開く。ウィーンと同じく、ここにも市電の細かい地図が載っているはず――なのだが、初めて見る地図だからよくわからない。
 とりあえず市電の乗り場に行ってみると、色あせた地図が張り出してあった。しかしこれが、赤色のバスはわかるのだが、別の色で表示してあったらしい市電がよくわからない。必死に目を凝らしてみて、またパンフの地図とも比較して、だんだんわかってきた。どうやら市電1号線というのが街の真ん中を通過するようだ。停留所がどこかわからないが、にぎやかなところで降りることにした。

 1号線は駅前からの広い通りを街の中心部へと進んでいった。ウィーンよりもずっと人通りの多い、なんだかにぎやかな街である。繁華街が苦手な私としては、もうちょっと落ち着きのある街並みのほうが好きだ。
 グラーツの市電は、日本のバスと同じく、次の停留所の名前を放送してくれる。だんだんドイツ語慣れしてきたし、こちらの放送ははっきりゆっくり話してくれるので、聞き取ることができた。
 街の中心部とおぼしき広場をぐっ、と曲がった先で、「市庁舎」という停留所の放送があった。すでに「次停まります」ボタンは誰かに押されていたから、他の乗客に便乗して降りる。私の目指す「州立武器庫」は市庁舎の裏手にあった。

 入り口には小学生とおぼしき群がいた。この群をかきわけつつカウンターに進んだものの、「入場券下さい」の英語が出てこない。前日からのドイツ語に頭の中が引きずられているのだ。しばしおろおろしたあげく、ようやく口にのぼせると、カウンタの人は丁寧に応じてくれた。係員はカギを取り出し、このカギでうしろのロッカーに荷物を預けて置いてくれ、と言う。写真を撮ってもいいか、ときくと、どうぞ、と返ってきた。
 案内のパンフはいろんな言語があるが、何語がいいか、と聞かれて、私はいたずら心を呼び起こされた。「日本語……」と言うと、係員は笑って「それはありません」。英語版を受け取った。

 一階の展示コーナーには、オーストリア・ドイツの歴史について説明してあった。英語版のパンフとガイドブックを援用しながら理解していく。面白いのは昔の地図で、現在のケルンはかつては「アグリッパのコロニー」と言われた、重要なローマの植民地であり、その南東にあるのが同じく植民地のヴィンドボナ――ウィーンであり、その南にグラーツがある。
 オスマントルコに対抗することになった中世時代、最前線となったこの街には武器が集められた。それらの武器は未だに大切に、いつでも使えるように手入れされている。それがこの「州立武器庫」なのである。
 2階からが、本格的な武器庫、ということになる。建物も内装は当時のままらしく、天井から床から全てが木造だった。武器”庫”というのはその由来からだろうと思っていた私は、2階に上がってなるほど、とうなずくしかなかった。そこには間違いなく、数々の武器が収納されていたのである。
 天井には火薬入れが大量にぶら下がり、部屋の真ん中にあつらえられた棚には、何丁あるのかわからないほどの銃が並んでいた。棚と棚の間には馬防柵が置いてあったり、巨大な槍(ランス)が置いてあったりする。ランスなどそれこそ小さな踏切の遮断棒ほどの長さがある。正直こんなものを持ち上げて突撃する騎士の気が知れない。
 壁際にも同じく銃がずらっと並べてあったが、ヨロイやかぶと、肩当ての類もかけてある。歩兵用の比較的身軽なヨロイが大量にあり、騎士のための重そうなフル・プレートアーマーはちょこちょこと、特別なヨロイかけにかけられて置いてあった。
 3階も同じように銃が並んでいたが、4階に上がるとこちらは主に防具の部屋で、タテが目立った。ここにはなんと少年用のプレートアーマーなどというものがあった。子供がこんな重い物を着込んで果たして戦えるのだろうか、と思ったが、主に貴族や騎士の子供を守るためなのだろう。
 最上階の5階には、今度は剣のたぐいがたくさん保管されていた。これらの剣は日本の刀に比べてもだいぶ重そうで、やはりこんなモノを振り回すには大変な筋力がいるだろう、と想像させられた。私の体力で振り回すとすればレイピアぐらいのものだが、それでも敵と戦闘しながら何分もつことやら……。

 しかし――夢にまで見た武器庫であったが、思ったより簡素で、私の想像とは違っていたし、期待どおりというわけにもいかなかった。何しろ倉庫だからきれいに展示されているというわけではなく、収納されてはいるがどさっと置いてあるわけで、なんだか雑然としてしまっていてよくわからないな、というところがあった。それはそれでいかにも武器庫らしく、当時の趣が伝わってきていいのかもしれないが、私の肌には合わなかったのだ。

(00/12/25)
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