15.最強のユースホステル

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 部屋に戻った私は、とりあえずシャワーを浴びることにした。荷物をひっくり返し、タオルと着替えを取り出す。
 シャワールームに入ると、なんと脱衣スペースにバスタオルとハンドタオルが2組置いてある。早速使わせて頂くことにした。シャワーは湯もふんだんに出るし、ヘッドの部分が固定式ではなく、上下に動くうえ、独立してはずれ、自由に使える。まるで自宅のようなシャワーである。こんな設備が整っているとは……恐るべきユースホステルである。
 部屋の調度品はすべて木で統一されていて、どれも新品できれいだった。一面は中庭に向かってガラス窓になっていて、真ん中の大きな扉を開けて外に出られるようになっていた。ただ、怖かったのは、この地域のサッシの開き方で、日本のようなヨコ開きではない。ノブを下向きにしていると閉まるのだが、横向きにすると普通のドアのように開く。問題はこのノブを上向きにした状態で引いたときで、今度は手前に倒れるように開く――下の部分を支点にして、上の部分がちょこっと開くのだ。つまりこちらのサッシは、ノブの位置によって横を支点にして開く時と下を支点にして開く時があるのだ。
 ここでそれに気がついた時には本当に驚いた。何しろさっきまで普通に開いていた、自分より背が高いガラスのドアが、今度は手前に倒れてこようとするのだ。一瞬壊したかとかなり焦った。
 気になるのはこのサッシを中途半端に開けたときにどうなるか(爆)……とてもこの恐ろしいガラス扉で実験する気にはならなかったから、別の宿の小さな窓で実験してみたのだが、右下(あるいは左下)の一点だけを支点にしてがばっ、と取れてしまうことは無いらしい――いや、一度取れそうになって焦ったことが(爆)取り扱いには注意したほうがよさそうだ。

 ドアの外は、芝生の敷き詰められた中庭になっている。宿のどこからかライトが当てられ、薄明かりがさしたようになっていた。部屋から出たところはウッドデッキになっていて、一つの部屋に1個、木製のリクライニング・チェアが置いてある。他の部屋については真っ暗だった――どうやらこの宿には、今夜は僕ぐらいしかいないらしい。普段はこの時期、ドイツ語の通じない外人、ことに日本人は来ないような場所に、私だけが泊まっている。私にとっても、またこのユースホステルにとってもイレギュラーである。もっとも私にとってはこのイレギュラーはいい方に転んでいた。
 リクライニング・チェアに横になってみる。時期が時期だけに少々肌寒いが、熱いシャワーで火照った体にはよかった。上を見上げれば、東京では見られないようなきれいな星空。そして庭の奥に黒く広がる森にあるのだろう、小川のせせらぎが聞こえてくる。今まであったいろいろな苦労、そこからわき上がる不安、そういった辛いことがみんなきれいに洗い流されていくような、そんな気持ちになった。
 そして思い出されるのは、グラスゴーの陽気なサポーター、グラーツの観光案内所の優しい受付のお姉さん、そして宿の女の子、Lisaさん。人間の優しさにふれた、そんな一日だった。

 本当はそこにずっと座っていたかったのだが、体が冷えてからではどうしようもないので、ほどほどのところで部屋に引き取ることにした。
 部屋のリビング・スペースとも言うべき机の上には、様々な小冊子が載っていた。どれもこのユースホステルについてのもので、辞書を引きつつ調べてみたら「ユース&ファミリ−ホステル」とある。なるほど、家族単位で遊びに来られるような所なのだ。どうりで設備が整っているわけだ。
 小冊子の間をめくると、よくあるアンケートが入っていた。全部ドイツ語表記。読めなくはないが、読み間違いをして失敗したらことだ。あえて書かないことにした。もっとも、後から考えれば、英語ででも良いから「ありがとう」の一言でも書いておけばよかった。

 ヨーロッパの水道水はおいしくないともっぱらの評判である。だからウィーンでも、洗面所の蛇口から出る水を水筒に詰める、なんてことはしなかったのだ。ところが今回、歯を磨いた後、ついでにちょこっと水を飲んでみたところ、これがすこぶるうまい。カルキのにおいもしないし、なんだか日本で飲んでいる水に似ている気がする。あまりにおいしいのでぐびぐび飲んでしまったが、翌朝胃腸に何の支障もなかったところをみると、もしかしたら硬水ではなかったのかもしれない、と思った。
 こんなに上手い水を放っておくすべはない、と、私は水筒からペットボトルから水でいっぱいにした。エビアンのペットボトルにも詰めていこうかと思ったが、あんまり荷物が重くなってもよくないのでやめておいた。しかし、旅行中に飲んだ水の中では、ここのが一番おいしかった。あえてエビアンにも詰めていく価値はあった、と大変後悔した。

 翌朝、私はまだ外も暗いうちから目が覚めた。といっても午前5時。この時期この地方は7時ぐらいにならないと明るくならないのだ。
 書き物をしているうちに、だんだんと空が白み始めてきた。広い中庭の向こうに、レストランのある棟が見える。芝生の向こうの森が明るくなってきて、川も意外とすぐ近くにありそうなのがわかった。そうして明るくなってみると、ますますこのユースホステルが恵まれた施設であることがわかる。
 広く清潔な部屋で、私は悠々と荷物をつめかえした。ゴミは外の箱に分別して入れる。そうこうしているうちに、8時になった。
 私はまたLisaさんがいるものだと思っていたが、かわりにおばさんがいた。確かにこの日はウィークデーのまっただ中、朝8時に店番の出来る10代の女の子がいるわけがない。ドイツ語を……と思ったが、この人には英語が通じた。いつものような、ハムにヨーグルト、パン、紅茶という食事。しかしこのハムがおいしいので、まだ飽きてこない。この朝の食事が、私にとっての一日の活力源となる。ここはいちいち片づけなくて済むのがうれしい。

 食事を終え部屋に戻ると、すぐ出発である。本当はもう一晩泊まっていきたかったが、またLisaさんに負担をかけるのも何だと思うし、グラーツに宿を取ってしまっているのでしかたない。
 次に降りたときには、四十がらみのおじさんがいた。おろおろしていたら「英語話せます?」と流ちょうな発音。それを聞いてようやく私もすんなり英語が出てくるようになった。どうも片言ドイツ語に影響されて、英語まで片言になったようである。

 帰りはちょうどバスが来ていたので、おじさんの案内でそのままバスに乗った。途中でおろされたからここが駅かと思ったら、もう1本乗り継いでくれ、という。といっても日本のようにもう一度券を買い直す必要はなく、制限時間内ならバスを乗り継いで行けるのだ。
 駅について、街並みを見てこようか、とも思ったが、主目的であるグラーツをおろそかにするわけにはいかない。グラーツの武器庫を見ること、それが4年越しの夢なのである。ちょうど乗り継ぎがよかったこともあり、私はブルック・アン・デル・ムーアを後にした。
 いずれまた、ここに来たい。今度はドイツ語もしゃべれるようにして、のんびりした街並みを楽しむ、そんな旅行がしたいものである。

(00/12/22)
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