13.ムーア河畔のブルック町

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 グラーツについた私は、とりあえず宿を探そうと観光案内所を訪れた。ヨーロッパは旅行者が多いために観光案内所のサービスも充実していて、宿の斡旋や予約を始め、ありとあらゆる相談に乗ってくれる。利用しない手はない――とガイドブックに書いてあるので、とりあえず使ってみることにしたのだ。
 案内所の女性はとても親切だった。私のつたない英語にもつき合ってくれた。しかし、
「宿はないんですよ。サッカーの試合があって、あちこちから人が来てますから。」
というのが、女性からの返事だった。
「今日だけはダメなんですよ。昨日も明日もは平気なんですけど。郊外の都市のどこにも宿はないし、唯一残っているのが非常に高価な宿なんですよ。」
 聞くと3000シリング……日本円で21000円、ユースの10倍である。全く非現実的な値段だった。
 なんとか他に宿はないのか、もっと遠くの街で――と例を挙げようとしたが、都市の名前が出てこない。そこで
「ウィーンに戻るぐらいのこと、しないとだめでしょうかね?」
と聞いたら、しばらく女性は考えて、
「ここのユースならなんとかなるかもしれません。」
と、ブルック・アン・デル・ムーアのユースを紹介してくれた。奇しくも私が乗ったあのインターシティの名前と同じ都市である。
「グラーツからは電車で1時間弱、さらに駅からタクシーを使って下さい。歩いても20分ですが、難しいのでたどり着けないでしょう。日も落ちますから。それでもかまいませんか?」
 一も二もなくうなずいたのは、言うまでもない。実家は東京駅から電車で1時間の距離にあり、駅から歩いて15分。うちから都心に出るような感覚で来られるのなら、何の問題もない。
 女性は電話を取り、予約を取ってくれた。
「シングルルームを使いますか?」
と言われて、いいえと答える。またしばらく話をして、女性は笑顔で電話を切った。
「ここのユースはガラガラですから、行けばすぐに入れるそうですよ。」
 私は女性に頼み込んで、ついでに翌日のグラーツのユースも予約してもらった。
「あとは、グラーツへ向かう電車だけですね。窓口に行ってキップを買う時に、どの電車に乗ればいいか、教えてもらえますよ。」
 こんなに親切にしてもらえて、本当にうれしかった。私はありがとう、と何度も頭を下げつつ、案内所を後にした。

 窓口でキップを買うと、もうすぐ電車が出るという。すぐにホームに向かい、列車に乗り込む。誰もいないコンパートメントの、窓のそばの席を獲得する。
 ドイツやオーストリアの鉄道で、日本式の長椅子というのは結局見たことがなく、ボックスシートばかりであった。特に地方都市間を結ぶ路線の場合、6人単位で個室になっている席があり、3人掛けのイスが向かい合わせに配置されているのがある。これが「コンパートメント」である。ガラガラの時には、ここに正々堂々と入っていって適当な席を占拠してしまえばいいのだが、込んでいるときなどはなかなか入っていって「ここ空いてます?」と声をかけづらいものがあった。もちろんこの方式に慣れている人たちは、平然と「ここ空いてますか」と言って入っていくのであるが……。
 しばらくして、このコンパートメントには純朴そうな少女が入ってきた。どことなく、四つ下の母方の従妹に、顔立ちがどことなく似ている。年齢もだいたいおなじぐらいだろう。その少女が私を見て、なにかドイツ語でぺらぺらとしゃべった。はい、と首を傾げると、また同じくドイツ語をしゃべったが、最後の「Bitte?」というのがかろうじて聞き取れた。どうやら丁寧に言い直してくれたらしい。しかも何かして欲しいらしい。つまり「座っても良いですか?」ということを彼女は丁寧に聞いてくれていたのだ。「ここ空いてますか?」という簡単な表現しか知らない私には聞き取れなかったのだ。快く「ええ」と答えると、「ありがとう」と言って彼女は廊下側の席に座った。
 彼女が入ってきたとき、風の関係か、ふわりと香水のいい香りがした。その香りがまた、あの従妹を想起させるような香りだった。そうなるとますます、その少女が従妹に似て見えてくる。同じ黒髪と茶色の瞳のせいだろうか。

 ブルック・アン・デル・ムーアとは、「ムーア河畔のブルック」という意味である。ブルックという街はオーストリア国内にもう一つあって、区別するためにそう呼び分けている。
 ここはウィーンから南に延びる路線で、グラーツ方面に南下するほうと、クラーゲンフルトやザルツブルク方面に西進するほうに別れる、分岐点にあたる駅になっている。だから駅舎もそれなりに大きく、小さいながらもロータリーが備わっていた。と言ってもオーストリアの首都ウィーンや第二の都市グラーツと比べるとずっと小さいので、なんだかひなびた地方駅の印象が強かった。
 コンパートメントで一緒だった少女は、私と同じくこの駅で降りた。彼女は駅前で何かを待っていたが、ある自家用車が小さなロータリーに入ってきたのを見て、それに乗り込んで去っていった。この街の住人らしい。とすると、この街は母方の実家によく似た街なのかも知れない。
 その間私はひたすらタクシーが自然とやってくるのを、タクシースタンドのところで待っていたのだが、なかなか来てくれなかった。いいかげん覚悟を決めて電話で呼ぶか、と思ったその時、高級車っぽいタクシーがやってきた。私は早速このタクシーを利用することにした。
 こちらのタクシー、ドアは自分で手で開ける。タクシーは運転手さんの持ち物なので、装備も充実しているのだった。
 運転手さんは、素晴らしい発音の英語を話す人だった。ここに行ってくれ、と住所を見せると、少し行った先で車を止め、
「こんな住所はないんだけど……」
と困惑気味に言った。
「ユースホステルがあるんです」
と言うと、
「ちょっと待ってください。」
と、無線で本部と連絡を取り始めた。
 実は私が見せたのは、自分で清書した住所だった。そこでもう一度、観光案内所で書き留めた、汚い字のメモを見せると、彼はなんだそうか、と頷いた。なんと、私は清書の時、住所の途中に空白を入れてブッたぎってしまっていたのだ。それではわからないのも納得がいく。ドイツ語はやたらと綴りの長い単語を平気で使う、ということを忘れていた。
「お仕事なさっていらっしゃるんですか?」
「どちらからいらっしゃったんです?」
と、運転手さんは大変フレンドリーな人だった。
 5分以上は間違いなく走ったのに、たったの66シリング……日本円で500円しない。今度のユースがちょっと高めの1泊360シリング(2500円)と考えると、タクシー代は割安である、と言えるだろう。何だか得した気分になった

(00/12/18)
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