12.サポーター・トレイン

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 ウィーン市のはずれに、ハプスブルク家が誇る「シェーンブルン宮殿」がある。ウィーン3日目のメインとして、どうしても見ておきたかった宮殿である。
 はずれ、と言っても地下鉄をちょっと長く乗っていただけ、東京で言えば丸の内線の中野坂上あたりの感覚である。もちろん距離的には中野坂上〜大手町よりも、シェーンブルン〜カールスプラッツ(ウィーンの地下鉄が集まる、まるで東京の大手町みたいな駅)のほうがずっと近い。にも関わらず、シェーンブルン駅の回りは自然が多く、ほとんどシェーンブルン宮殿しかないんじゃないか、というたたずまいだった。いかに東京がムダに大きすぎる街か、本当によくわかる。
 宮殿には、いろんな種類のチケットが売られていた。回る場所によって決められているらしい。VIPチケットというのがあって、これが城内部の回れる場所全てと外の巨大迷路まで入れる。どうせなら見て回ろう、とそれを買うことにした。
 室内は、ウィーンの王宮とよく似ていた――私には美術センスや美術史の知識がないから、いろいろと特徴を述べられてもよくわからないところがある。どこの部屋にもきれいな彫刻があしらってあって、だいたいどこの部屋にも花っぽい装飾があって、きれいで巨大なシャンデリアがさがってて、絨毯がひかれていて、という具合。女の子と2人で来たらさぞや楽しかろうが、男1人の見学となると、ほほう、とうなずきながら巡るしかない。あちこちに部屋の説明をするのぼりのようなものが張ってあって、ちゃんと英語版もあったのだが、時間的な問題で、ゆっくり見て回れなかった。
 庭園はいったいどこまであるんだ、というぐらい広かった。丘の上にはギリシャ風の建物が建っていて、行ってみたい!と思ったがそこで時間切れ。巨大迷路を巡る時間もなかった。本当に心残りである。

 かなり焦ってウィーン南駅についた私は、グラーツ行きの2等のキップを買い(窓口の駅員は英語が堪能だった)、ホームに待っていた電車へと飛び乗った。結局ウィーンカードは一度も出番がなかった――博物館の割引は国際学生証でできたし、検札も空港を出た時の一度だけで、市内で受けたことは一度もなかった。割引の意味がないのはともかくとして、検札対策にすら出番無し、というのがあまりに悲しい。
 さて、私の乗った電車は「インターシティ」というタイプの都市間特急列車。グラーツまでおよそ2時間半である。こちらの特急には全部の列車にそれぞれ個別の名前が付いていて、このインターシティには「ブルック・アン・デル・ムーア市号」という名前が付いていた。この列車と同じ名前の都市が、ウィーンとグラーツの間にあるのだ。
 さて、車内にはグラスゴーから来たサッカーのサポーターたちがいた。私は彼らに埋もれるように座ることになったのだが、この人たちが陽気で楽しい人たちだった。
 歌が好きで、なにかと歌い出す。もっとも私の正面に座っていたお兄さんは恥ずかしいらしく、あちゃー、という顔でたぬき寝入りのマネをしたりしていた。しかしみんな、どんどん盛り上がっていくし、側で聞いていても楽しい。
 ぼーっと窓の外を見てみると、「おい、メガネ君」と隣のお兄さんに声をかけられた。「どこから来たんだい?」から始まる英会話。私の技量が足りないせいで、さらりさらりという会話ではなく、なんだかNOVAのレッスンみたいなたどたどしいものだったが、それでも十分に意志疎通はできたし、楽しめた。彼らがスコットランド・グラスゴーのサッカーチームのサポーターで、グラーツではその日の夜、グラーツ市のサッカーチームとの試合があるので、みんなでかけつけるのだということ。日本の東京から一人で来た、と言ったら、早速中田の名前が出てきた。彼はいいプレイヤーだ、と大変高く評価していた。そしてやはりスコットランドの人である。「ロンドンはしょうもない街だよ。」――そういうノリは私はよく知っているので、面白がって笑っていたら、彼は「いや、いい街なんだけどね」とフォローしていた。面白い人たちである。
 彼らは、一人が歌い出すとみんなで続きを歌い、盛り上がる。サッカーチームというだけではないのだろう、私が聞いたこともあるような歌も歌い、みんなが自然と混ざっていく。そういう文化なのだ。面白がって私も鼻歌で混ざってみたら大喜びされた。あとは手拍子足拍子、立ち上がって拳を振り上げと大騒ぎ。少し離れた席に座っていたお兄さんと目があって、二人で面白がって拳を突き上げていたら、正面のお兄さんもついに観念したように歌を歌い始め、さらに巨大なイギリスの旗に「ブリテン・ハイランド」と文字の入ったのを取り出して席のところにしばりつけたり、その車両は完全にグラスゴー・チーム・サポーターの独壇場になった。検札に来た車掌も知り合いのように(本当に知り合いかもしれない)仲良くサポーターたちと話をし、私たちの姿を見て苦笑していた。
 隣のお兄さんから「日本の歌は知らないのか?」と言われて、「サッカー好きの友達はいろいろ知ってるけど、僕は……」と断った。みんなで歌える曲など知らない。せいぜい鼻歌で軍艦マーチとか、高校の体育祭で歌った「赤組応援歌・闘魂は」ぐらいしかない。それすらもうろ覚えである。残念この上ない。
 しかし、そんな楽しいひとときで、2時間半はあっという間に過ぎ去った。駅に降りた私は、彼らに「大変楽しいひとときを過ごせました、ありがとう!」と礼を言い、車内のテンションをひきずったままの彼らと一緒に駅を出た。

 こうして私はオーストリア第二の都市、グラーツへと足を踏み入れたのである。
 だが……大変な問題が起きていた!

(00/12/18)
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