9.皇帝妃エリザベート

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 現在の「市庁舎」は19世紀の建造物で、高い塔が何本も立った豪華な建物である。近々イベントがあるらしく、特設ステージが設営中だった。なにやら大量の雪が運び込まれていたようだったが、一体何のイベントだろう?
 ここから目と鼻の先にあるのが「国会議事堂」。これまた正面に金色の小物を持った像が建ち、屋根の上にもたくさんの像が並んでいる、というにぎやかな建造物だった。この中にあの有名なハイダーさんがいるのだろうか。
 議事堂前の市電の駅に、ソーセージを扱うインビス(屋台)を見つけた。片言のドイツ語でもらった焼きソーセージはやはりおいしかった。肉の味そのものが違う。添え物のパンもいける。ちょっとした軽食だが、それだけで満ち足りた気分になる。

 議事堂からまた1、2ブロックほど歩いたところに、2つの大きな博物館がある。「自然史博物館」と「美術史博物館」で、開いていた自然史博物館の方だけを回る。内部はいわゆる地球の歴史をたどった博物館で、展示物自体はそれほど目を引くものでもなかったが、内装がすばらしかった。高い天井と数々の装飾品。天井近くの部分には様々な絵が飾られている。何よりすごいと思ったのが、中央部の丸天井付近に描かれた、自然科学を象徴した絵と、中央部の天井に描かれた絵画、そして3階の階段に彫られた天使像である。特に2人の天使が美しく、片方は快活な、片方はおとなしそうな美少女だった。どうしてもこれらの写真を撮りたいと思った私は、係員にドイツ語で「写真を撮って良いか?」と確認し、撮ってきた。しかし撮り上がった写真を見てみたら、角度とフラッシュの関係できれいに写っていなかった。せっかくかわいかったのに、残念でならない。
 女の子と言えば、ヨーロッパの女性は概して美しい。自然史博物館にいた2人の女の子にしても、また外でガイドブックを広げていた女の子にしても、年はいくつなのか全く不明(おそらく10代ではないだろうか?)ながら、きりっと整った顔立ちをしている。そして香水の使い方もうまく、「おッ」と思うような、それはそれはいい香りを残して去ってゆく。ヨーロッパ生まれの香水というものは、やはり彼女たちに合わせて作られているのだろう。

 さて、街の中心部に出ると、やはり街角には警察官の方々がいらっしゃる。警察の帽子をかぶり、カーキ色で首のあたりにもこもことしたジャケットを着て、ズボンもカーキ色系の地味な色だったが、これがおそろしいまでによく似合っている。石畳の上で警備にあたっていた婦人警官、博物館前の大通りにいた男の警官、誰もがびしっと決まっている。やはり洋服は、彼らヨーロッパ人のためにある服装だ。日本人が着たってここまでかっこよくなるまい。

 自然史博物館と道路を挟んで向かい側にあるのが「王宮」である。ハプスブルク家の王宮だった建物である。
 入り口の「ブルク門」を抜けた先にあるのが「英雄広場」。左手にナポレオンを破ったカール大公騎馬像、右手にはよくわからないが偉いらしいオイゲン公の騎馬像がある。
 考えてみれば、ヨーロッパの広場にはこうした像はつきもので、ちょっと大きな広場には必ずある。「アム・ホーフ教会」前の広場にしても女性像が立っていたし、「ショッテン教会」前の、ここに逃げ込めば脱走者は教会の庇護を受けて自由になる、といわくのある広場にも、四つの川を示す女性像があしらわれた「オーストリア噴水」がある。
 こんな形態の広場は、日本では見たことがない。広い空間というとお寺の門の前や境内、他には城の中とかである。もちろんその真ん中に像など立ってはいない。そもそも日本では、広場の真ん中に像があるというのは見たことがない。たいてい像は広場のはしっこのほうに並んでいるのである。この場合の像の扱いは、建物の外装の場合とは全く逆である。
 日本の場合、広場は主に建物の一部としての空間のように思える。城の「二の丸」「三の丸」にしてもこれは城の防衛拠点であるし、寺社の境内も建物の一部。寺社の門前の広場も往来やデザインの関係上できたものであって、極端な話ただの道でしかない。
 一方でヨーロッパの場合、ギリシャのアゴラにも見られるように、街にとって広場とは重要な拠点だったわけで、みんながこの広場に集まってこられるように、道は放射状に広がっている。その真ん中のスペースに象徴的なものを置くという発想もうなずける。王宮前の広場も、かつてはそこに砦があったものを整備したということだが、防衛拠点としての広場ではないから、発想としては真ん中に何か建てる、ということになるんだろう。日本の城でこれをやったら、いざというとき邪魔でしかたがないだろう。境内の真ん中に灯籠が立ってたりすることはあるが、寺に入る人の目標は本堂にあるわけで、やはり単なる巨大な通路であると考えることが出来る。ヨーロッパの広場のど真ん中に、目印か何かのようにある像とは、意味合いが全く違うのだろう、と思うのだ。

 さて、この「英雄広場」には、観光用の馬車が何台も停まっている。10月末の月曜日、というと観光客は少ないらしく、御者たちが暇そうに話をしていた。しかもこの周辺、これだけ馬が毎日集まっているだけあって、どことなく動物園臭いのだが……馬というのはそういうもんである。
 「王宮」の内部は一部が修復作業中で、入り口を捜すのに大変苦労した。あちこちさまよい、ようやく小さな入り口を見つける。
 まず初めに入ったのが、王室の銀器コレクション。形的にはいわゆる洋食器だが、装飾が凝っている。どちらかというと銀器より陶磁器っぽい器の方がすばらしく、天使や女の子の小さな像にしても絵にしても、なんともなまめかしいというか、質感たっぷりという感じで、思わず見入ってしまった。
 次に向かった王宮内部の部屋も豪華で、あのリアルな、しかし美しいタッチの絵や像で飾られていた。全体的に、乳白色に赤い装飾という感じだったろうか。壁には絵画がかけられ、天井の四隅に彫刻がある。いかにもヨーロッパの王室というか、RPG的というか……。
 ここにはハプスブルク帝国最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世が住んでいたことがあり、お妃エリザベートの部屋、というのがある。身長173センチの絶世の美女で、自身のプロポーションを保つために部屋にフィットネス設備をつけさせたとかで、小さな吊り輪までぶら下がっていた――そこに女の子(といっても私より背が高い)が腕をかけて懸垂している様子、というのは、とてもお妃様には似つかわしくない。おそらくご本人は、そんなかっこわるいところは誰にも見せたくなかったに違いない。
 この人たちが存命していたのは19世紀半ばから20世紀前半。つまりカメラが実用化されている時代で、エリザベート妃の写真というのも残っているし、肖像画も何枚も描かれている。写真を見る限り、この肖像画を信用していいようだが、確かに美しい女性である――元々濃い顔立ちの女性はあまり好かなかったのだが、こちらに来てからだんだん変わってきた。
 確かによく見ると、肩のあたりなんかすごく筋肉ついてるし、すらっとしていただろうが、おそらく今の私と対抗できるような体格をしていたのでは、とも思える。しかし肖像画を見ているうちにファンになってしまった私は、おみやげコーナーでエリザベート妃の絵はがきばかりを何枚も買い求めた。辛くなったらこれを見て元気を出そう……。

 英雄広場をかこむようにして、王宮の隣にあるのが「新王宮」と呼ばれる建物である。ここには3つの博物館があり、そのうち「古楽器集庫館」と「武器集庫館」の2つを見て回った。
 武器集庫館は、私にとってはまさに見たいものがずらっと揃った博物館だった。RPGの武器屋に行くと売ってそうな武具の数々が並んでいる。巨大なランスをかかげたナイトの模型があったり、重厚そうなヨロイも並んでいる。多かったのはハルベルト(Harbert)というタイプの武器で、槍の刃の所に斧のような刃がついていて、リーチを取りながら斬るのも突くのもできる。某RPGではバランスの取れた使い勝手のいい武器なのだが、やはり実戦でも歩兵に持たせるには便利だったと見える。
 古楽器集庫館には、古びたピアノだのリュートだのがたくさん置いてあった。古楽器演奏を(一応の)趣味としている私には勉強になる場所だった。
 この隣には図書館があり、ここの内装もいい、とガイドブックに載っていた。しかし外人は入れそうにない(入れるんだろうが、ドイツ語で複雑な手続きをしなければいけなさそうだった)ので、あきらめることにした。学生の身分であればあっさり入れたかもしれないのだが……まだ他に、見るべきところはたくさんある。

 次に向かったのが、皇帝納骨所。つまり皇帝陛下のお墓である。入館時間ぎりぎりのタイミングだったが、受付の親切なおばあさんが中に入れてくれた。学生証はここでも値切りの効果を発揮した。
 さすがはお墓だけあって、その閉塞感・重圧感は教会の比ではない。しかもかび臭いような、ほこりくさいような空気。
 石造りの階段を下に降りていったところに、棺が並んだ部屋がいくつもある。一つの棺のために一部屋割かれたもの、大量の棺がずらっと並んでいるところ、といろいろあった。一つ巨大な棺があって、フランツ・ヨーゼフと書いてあるようなので、奥様すてきな方でしたね…とお祈りした。
 しかし考えてみれば、この棺の中には人骨が入っていることになる。そう考えるとちょっと嫌なものが……。

(00/12/11)
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