6.カーレンベルク

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 目的のカーレンベルクの丘へは、ハンデルスカイ駅からSバーンでひと駅、ハイリゲンシュタット駅からのバスで向かう。ウィーン市の中でも観光名所として知られ、それも日曜日と言うこともあって、バスは日本のラッシュアワーのようにすしづめ状態だった。欧米人はこういうのに慣れていない、というような話を聞いていたのだが、みんなガマンして乗っている。ドイツ語圏の人は平気なんだろうか?
 バスの形は日本とほぼ同じ。次の停留所の名前が放送され、降りる人はボタンを押す方式である。これも電車と同じく、いちいち人のいるところを通る必要はない。停留所では前のドアも後ろのドアもみんな開いてしまうから、適当に飛び乗って、適当に降りるのである。無賃乗車し放題な気もするが、時々私服警官が乗り込んでいて突然検札を始めるという。捕まると警察でたっぷりしぼられる上、莫大な罰金を取られる。それが無賃乗車の抑制になっているらしいのだが、なんともいいかげんである。
 私の乗ったバスは、カーレンベルクを経由して、その奥にあるレオポルズベルクまで向かう。つまり私はカーレンベルクのバス停できちんと降りなければいけない。バス停の放送は聞きとれないし、電光掲示もない。これはどうしよう、と思ったが、ともかくこれだけすし詰めになっている人たちのほとんどはカーレンベルク目的だろうから、みんながどどっ、と降りるところで降りよう、と決めた。一度目の波の時は、雰囲気が山の上という感じがなかったのであえてパス。二度目の波に押し出されてとりあえず降りてみて、バス停から少し歩いた先に見えたのは「カーレンベルク・ガストハウス」。うまくいったものである。
 バスに乗っていて感じたが、とにかくオーストリアの人は体格が大きい。人に埋もれるようにして乗り物に乗ったのは、それこそ中学校以来かも知れない。私など、周囲の人からは少年に見えたに違いない。それに、バスの運転もなんだか乱暴で、山道のきついカーブで私は何度も振り回されそうになったのだ。

 観光名所と言うだけあって、丘の展望台、というかレストランの屋上からは、ウィーンの街が一望できた。街を抜けるドナウ川とドナウ運河、所々に高くそびえる教会の塔。ヨーロッパらしい眺めではあったが、私はこれと言って感銘は受けなかった。教会はともかくとして、高いところからの景色となるとあまり変わらないように思う。違いがあるとすれば高層マンションや高層ビルがないことと巨大なネオンサインがないことで、似たような景色は日本の城の上からでも何度か見たことがあるように思えたのだ。
 観光名所、ということは日本人も多く訪れる。従って、レストランの横の小さな出店(あいにくと休みだった)のひさしには「記念品・モーツアルト」などと下手な日本語で書いてあった。漢字などはどこか中国文字っぽい雰囲気がある。これでは「日本人は財力を利用して好き放題している」と非難されてもしかたがない気がする。
 ガストハウスの側には、教会があった。オーストリア最初の教会、ということで中に入ろうかと思ったが、横に入り口がぽつっとあるだけ。果たして勝手に入っていいものか不安でしかたなかったが、勇気を出して入ってみることにした。
 内部は薄暗く、天井は高い。なんだかすごく厳粛な雰囲気である。人々が長椅子に座り、じっとなにやら考え事をしている様子である。神に祈っているのだろうか。両側の壁面には像が置かれ、その前に小さな祭壇が一つずつ。正面には大きな祭壇と、ご本尊とも言うべき大きな像があった。どれも厳粛な空気をまとい、人々が祈りを捧げていた。
 一体どうすればいいのだろう、と隅っこの方によって観察していたのだが、みんな右足を一歩後ろに引き、膝を折るようにして頭を下げている。これがこちらの流儀なのだろう。私も早速マネをして、重体の友人の回復を願い、祈りを捧げた。

 ガイドブックには隣のレオポルズベルクという丘までの道がおすすめだとあるので、歩いてみることにした。途中道を間違えてよくわからない塔のところに出たりしてしまったが、なんとか目的の林道を探し当てた。結局レオポルズベルクまでは登らず、途中の道を麓の方に折れることにした。
 山はそろそろ紅葉も終わるか、という頃合いで、落ち葉と、まだ木々に残った黄色い葉が美しい。傍らには枯れた小川がある。こんな情緒のある自然が、名だたる首都からほんのすこし――東京で言えば中央線で三鷹あたりまで出るような感覚のところに残っているのである。東京ならば高尾山まで出ない限り、こんな景色は拝めないだろう。
 麓の集落の近くまで来ると、急に視界が開けた。ちょうどそこはブドウ畑になっていて、収穫を終えたらしいブドウの木は黄色い葉っぱをつけて、整然と並んでいた。そのブドウ畑の向こうに集落の教会の塔と家並みが、ドナウ川を背景にして建っていた。いかにもヨーロッパらしい景色に、目を奪われる。
 こちらのブドウ畑は、日本のように屋根の上に吊すようにはなっていない。背の低いブドウの木が列をなして並んでいるだけである。ここまで様子が違うと、ブドウ畑というよりも英語の「ヴィンヤード」というのが似合うように思う。

 オーストリアの人々は概して服装が地味である。赤やオレンジと言った服を着ている人はほとんどいない。一方、私が着ているのは、旅行前にユニクロで買った真っ赤なフリース。日本で着ている分には全然変に見えないのだが、どうやらそうとうおかしかったらしく、山の上でも、街でも、なんか面白そうな目で見られたり、「おっ、マクドナルドだ」と言われたりした。歩きにくいことこの上ない。
 日本人としては顔の濃い私ではあるが、ヨーロッパに出ればのっぺりした日本人である。赤い服を着せたらヨーロッパ人の方がよっぽど似合うわけで、非常に似合わないハデな格好をしているように見えたのかも知れない。
 それとも、男で赤い服を着ているというのは、何か特別な意味があるのだろうか?例えば同性愛者の印だとか、あるいはネオナチのトレードマークであるとか……。
 その手の情報は全く仕入れてなかったのは失敗だった。治安のいい国だったからいいものの、場所によっては服の色一つで殺されかねない。

 麓の街からバスでハイリゲンシュタットへ戻った私は、今度は地下鉄で街の中心地に出ることにした。のどが渇いたので屋台でジュースを買い――屋台の人が英語が苦手らしく、やりとりが大変だった――地下鉄でカールスプラッツ駅へ。この側に「ウィーン歴史博物館」がある。月曜休館なので、この日のうちに行くしかない。
 着いたのは閉館の1時間前、本当にぎりぎりの時間。カウンターにいた人がこれまた流ちょうできれいな英語を使う人で、あっさりと言葉が通じた。屋台で自分の英語に不安を感じていた私には、うれしい瞬間だった。
 館内は人も少なく、守衛の人もヒマだったのか、私が入ってきたら英語で少しばかり解説をしてくれた。だが、ドイツ語なまりがきつく聞き取りにくい……ごめんなさい。
 館内の展示物は、1階が古代の遺物、2階は改装中で、3階には近代・現代美術が展示されていた。1階には昔のヨロイや部族の紋章なんかが飾られ、なんでここにもっと早く来なかったか、と後悔したほどである。但し書きはドイツ語なので読めないが、そういうものを見るだけでも楽しい。3階の絵画も、16世紀のものには興味をそそられた。美術についてはとことんうといのでよくわからないが、人が人らしく描いてあって、見ていて飽きなかった。
 1階に戻ったとき、守衛さんが一押しの、入場券の裏に描いてあった人物画のことが気になったので、カウンターの係員に聞いてみた――建物のどこにも飾られていなかったのである。すると、係員はすごく喜んでくれて、パンフレットを出してきて説明してくれた。クリムトという作家の絵で、最も美しいと言われているものだという。残念ながらクリムトの絵はいまいちピンとこなかったが、懇切丁寧に説明してくれる係員の親切がうれしかった。「このパンフ、頂いて良いですか?」と聞くと「プレゼントにさしあげますよ。」と言ってくれた。その心遣いがうれしかった。
 その帰り、カールス広場の宮殿みたいな所で韓国人夫婦(?)に呼び止められ、写真を撮ってくれと頼まれた。そこで私も写真を撮ってもらった。そしてまたしばらく歩き、カールスプラッツ駅の駅舎を撮影していたら、今度は金髪碧眼の青年に写真を撮ってくれ、とせがまれ、撮ってあげることにした。こういう交流があるのが、海外旅行のいいところである。

(00/11/27)
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